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居た人がいなくなる寂しさ

こんばんは、アレクサンドリアです。

職場で、引継ぎの説明のとき、「今月は一緒にやるけど、来月はもういないので・・・。」というと、相手は、「そんな寂しいこと言わないでよ。」などという場面がよくありました。

そして、久しぶりにお会いする上の方からも、「いつも居た人がいなくなるのは寂しいね。」と言われ、リップサービスかも知れないけど、今日はそんな日なのかな、と思った次第です。

ただ、私の方は寂しさはなく、それよりも、これからの白紙の未来に向けて、あるいは、今抱えている案件について、どうやってこなしていこうかという、焦りにも似た思考が、秒速何メートルで頭をまわっています。

できれば今日も、今すぐにでも帰宅して、やるべきことをやりたい、というのが本音でしたが、そこは勤め人の辛いところ。今日予定していた時間まではいて、会社の仕事をしなければなりません。

話は先ほどの、「今まで当たり前にいた人が居なくなる寂しさ」に戻ります。
その気持ちを、私もかつて感じたことがあります。

それは、私が社会人になってしばらくの頃のこと。
姉が結婚するため、家を出ることになったのです。

そのこと自体は、ごくありふれた、平和で幸せな出来事なのですが、生まれたときからずっと、20数年間、同じ屋根の下で暮らしてきた姉が、家に居なくなるということに、とても寂しさを感じたのでした。

私には妹もいるし、ずっと姉とつるんで仲良く成長してきたわけではなく、小さい頃は「お姉ちゃん、お姉ちゃん。」といってよくついて回っていたような気がしますが、10歳ごろに突然、このまま姉を頼ってばかりいてはいけないとの自立心が芽生え、

「もう、これからは、あれこれ言わないでほしい。」

というようなことを、姉に言ったような気がします。

とはいえ、それからも普通に仲良くしゃべったり、ケンカしたりしながら大きくなりましたが、途中からはそれぞれ友達との世界がメインになり、一足先に姉は社会人となって忙しくなったので、さらに接触は減っていきました。

そんな中での出来事。
寂しさを感じた理由のひとつには、私が生まれた後に妹が生まれて以来、誰一人、家族の構成員に変化がなかったので、初めての変化に心が慣れていなかったこともあると思います。
誰ひとり、単身赴任や、下宿で家を出るということがなく、旅行以外は皆、家に帰って来て寝て、日々を暮らしていました。

一方、姉はといえば、そんな寂しそうでもなく、母と一緒に新生活の準備に忙しそう。母も、初めての娘を嫁がせる親の役目を、張り切ってやっているように見えました。

そんな記憶が、映像とともに蘇りました。

これからも変わらぬ場所でいる人にとっては、親しい人が居なくなることは、その人の部分が変化であり、焦点があたります。

一方、新しい場所に行く人にとっては、すべてが変わるので、自分をその全ての変化に適応させたり、自分で動いてクリエイトしていかなければならないということで、この先の全てに焦点があたります。

双方の心理には、そういった違いがあるのかな。

ただ、見送る側は、居た人がいなくなっても、案外すぐに慣れて、その居ないことが当たり前になり、場合によっては居心地が良くなることもあります。
物理的、心理的空間が広がるとかね。

そんな感じで、結局は上手く、あるべき形におさまっていくことでしょう。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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