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【子育て】人はどれくらい周りの影響を受けるのか(4)子供から大人へ

社会における「影響を受ける」とは

前回まで(1~3)は、生物学的な目線で、
単なるたんぱく質の塊である私たちがなぜ意思を持ったようにふるまうのかをちょっと難しく書いてました。


そもそも説明が難しい、とか簡単、という話も「誰にとってか」という問題は常につきまとっています。
生物学者にとっての当たり前が、物理学者には理解が難しいこともあれば、その逆もあるだろう、というのはイメージできるかと思います。

このnote記事の対象は以下の記事の方針から変えていません。

しかし、わかりやすくする試みとして、今後は動画配信を検討しています。
今回はその理由を解説するとともに、

 そもそも子育てで親の影響が気になる

方のために、次の章に一足早く結論だけを列記しておきます。

この文面だけで「ああ、そういうことか」とわかる人もいれば、
「わかりそうでわからない」とか、「半分くらいはわかった」
という人が出てくることを想定しています。
今後はコメントや以下の記事を購入された方のご質問に答える形で、記事を追加していく形をとろうと思っています。

この世界は形が全てを決めている

以下、列記しますがここは定期的に更新します。
Rev.0 2024/02/29

【この世界の原理】
単なるたんぱく質の塊が、意思があるようにふるまうことと、
単なる0/1の組み合わせで動くAIに、意思を感じるのは同じこと

【子育てで注意すること】
単純接触効果、継続は力なり、習慣は価値観・・・
一見目に見えないような精神論も、
毎日の筋トレ、口癖、歯磨きの習慣・・・
この世界には「記憶」があり、
それはただ物質がどこにあるかだけに依存する

【社会に出たら】
組織は個人の集まりであるが、組織の成果を考えるのに
個性の考慮は不要、
ということと
 10kgの袋の中に入っているものが米か、豆か、石かは
 重さには関係がない
は全く同じ「メタ認知」と考えると、
 組織がダメになる理由に、個性は関係があるのではないか?
という問題は、袋の中身が米か豆か石かを考える必要があるのは
どんな時かを想像できれば、簡単に解決できる

自分で書いてて、この文章の真意がわかる人がどれだけいるのだろう、と思うのですが、この「真意がわかる」というのは、つまり言語単独ではコミュニケーションの限界があることを意味し、その点では言語を統一すること自体が実は「プラスの意味を持っていない」とも解釈できるのかもしれません。

こnoteのコンセプトは、副次的には「気楽に生きようぜ」ってことが言いたいのですが、問題は「いつから気楽に生きようと思ったのか」は人それぞれですよね。
従来のアドバイス的な記事は、その辺が曖昧だったと思うのです。

そもそも個人の関心のすべては人間関係にある、から始めたこのnoteですが


「今の日常にストレスを感じる原因」を知っておかないと、対処方法はその原因によって変わるのが当然です。それを理解したうえでないとアドバイスされても実行しづらいですよね。
理解してもらうためには、「自分とはなにか」を知る必要がある、というのがこのサイトの主張ですが、それ自体がとてつもなくハードルが高い。

この世界は形が全てを決めている、はわかりにくい副題ですが、真理です。
昔からこれを研究されている方もいるのですが、これから、その事実がみなさんにも広く知られるであろうと思っています。

単純に言えば
「人は誰かの真似しかできない」

もし興味ある方は、以下をご覧になるとより理解が深まると思います。

誰にとって役に立つ話をこれからするのか

私は、1日に本業、副業、趣味の3つを進めつつ、これらをより楽しむために必ず一つ以上は何かINPUTして終える、そうすると必然的にOUTPUTの場を求める・・・これを繰り返してきました。

これは自然界のプロセスのイメージと合致します。
それが成長なのか流転なのか破壊なのかは定義に寄りますが、今私たちが生きている「エントロピー増大が時間軸」の世界では「とどまる」ことはエネルギーが必要な行為で「自然に任せる」ことは「変化すること」
昨日の自分と同じでいようとすることは、自然の流れにとっては「邪魔」でしかないわけです。

つまり、もしあなたが

なんか、成長を感じない
日常が退屈
変化が無い

と思っているなら、それはあなた自身に「ネガティブなエネルギー」があるからで、そこに留まっていたエネルギーをうまく解放するだけで、「したいこと」は何でもできるようになります。 

しかし、ここでひとつ人間の根源的な謎があります。
「したいこと」
これは、いったいどこから発生するのでしょうか?

あなたが「したいこと」はどこからやってきたのか?
今の仕事を、自分の気持ちを正当化するために無理に「やりたかったこと」と思いこんでいないか?
今のパートナーとの関係を「いままで」があるから、無理に続けていないか?
歳を取ったら、若い時のようなことはもうできない、と「思い込んで」いないでしょうか・・・

いったい、すべての始まりはどこにあったのか?

と、いうことで。

これからは「もしXXをゼロから始めるとしたら」という形の記事を増やします。
以下、年齢に関係なくできることです。

もしコーヒーの味をゼロから楽しもうとしたら
もし日本のワインをゼロから勉強するとしたら
もし健康になる努力をゼロから始めるとしたら
もし料理をゼロから始めるとしたら

この4つは例ですが、この「ゼロから始める」シリーズはうわべの知識の暗記ではなく、最後までお付き合いいただくとあなたにとってはスキルというものに変わります。例えば5~6年自転車に乗ってなくても、「初めは乗るのに苦労した自転車」も、一度体が覚えてしまえばすぐ乗れるようになりますよね。
そこには実は「明確なプロセス」が存在します。これを学ぶには知識と実践の両方が必要で、さらに「習得したと言える判定基準」も必要。
もしこれが「あなたの仕事」にも適用できるとしたら、素晴らしいと思いませんか?

ただ、それを「仕事」として伝えるのは「楽しくない」ので、ここでは楽しそうなものを選んで紹介しようかな、と考えています。

なので、誰にとって役立つ話かといえば「趣味に本気になりたい人」でしょうか。残念ながら、私は絵や音楽でそれをお伝えすることは「今は」できません。絵も音楽も、ゼロから始める準備をしているのですが、今は先ほどの4つで一週間が終わってしまうのです。

あれ?初めのテーマと話が違うじゃねーか、と思った方。
そうではないんですよ。
この話と、子育て、特に4歳~15歳くらいのお子さんへの影響、は「自然の摂理」として強い類似性があります。
「類似」という言葉。メタ認知とはなにか。
何と何が「同じ」で、何と何が「違う」のか。
コーヒーには昔こんなコマーシャルがありましたね。
「違いの分かる男」
まあワインも結局は違いを楽しむ趣味ですよね。
健康も、それを「どう実感するか」
料理は味、見た目、そして・・・

子育てとは、親が子供に対してとる「態度」だと私は考えています。
親はすでに「社会の一員」です。
一方、子供はまだ「社会の一員」ではないので、いろいろと「子供の特権」が与えられています。親はその「子供の特権」が無くなっても、社会の一員として、一般的には国家の一員として「社会に送り出すまで」育てるわけですが、子供ができることといえば「親の真似」以外にないのです。それが反面教師だとしても。

だとするなら。
親が子に対してできることは何か。
もしこれを読んでくださる方が、誰かの親ならば。
子供の機嫌を取るよりも、厳しく𠮟るよりも前に、すべきこと。

これは私の考えですが
「この世の中捨てたもんじゃない」
くらいの気持ちで、あなた自身が楽しく毎日を送ることだと思います。
それだけで、お子さんはそんなあなたのようになろうと「しない理由」はないのです。

何かを言っても、忘れるときもある。
やさしくしても、厳しくしても、それは「その時の状況」であって、それが親の本音かどうかは、子供にはわからないし、意味もない。なぜなら「言語の限界」があるから。

親が子に残すメッセージは、親自身の生き方だと思います。

もし、子育てで何か悩んでいるなら、一緒に力を抜きませんか?

自然に任せる、ということをこれから一緒に学びましょう。

今、読んだら(1)の記事も初めの印象と変わるかも?
卵子を目指す精子に「意思」はあったのか??



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