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消えたコンテナとクレイジーケンバンド

高校生の頃の関心ごとと言えば音楽と女の子。当然だい!当時、横須賀、横浜でかなり有名になっていたハードロックバンドのドラマーに友人がいた。彼らがよく出演していたのは今はもうない元町のシェルガーデンというライブハウスだった。そのライブハウスのスケジュールに"ダックテールズ"というバンド名が載っているのを頻繁に見かけた。通っているうちにライブハウスのスタッフと仲良くなり、タダだけどガードをやらないかと誘われた。客がステージに上がらないように体を張ってガードをする役目だ。今度、アースシェイカーがあるけどやる?なんて言われたら、もちろん行きますと即答。マーシーの「MORE」を誰よりも前で聞けるなんてこんな贅沢な事はない。みじかで見たキラキラ輝く彼らのオーラは一言では言い表せない。アナーキーは興味がなかったけど断れきれずガードに入った。だが、どうにもこうにも手が付けられない。みんながステージに上がり無法地帯と化した。ハウス側も危ないから放っておけと指示が出たくらいだった。何度かその仕事をしたが、あいにくダックテールズのガードの話はなかった。

僕も当時はバンドでマイク片手に下手なロックを歌っていた。どうしてもシェルガーデンでライブがしたくて、対バンの形でステージに上がった事がある。モニターから返ってくる素晴らしい音響(下手な歌がうまく聞こえる)とお客さんがいるというあの感覚。病みつきになるはずだ。僕は最後の曲の終わりでバック宙をしてステージで力を出し切った。残ったのは売り切ることができなかったチケットの残金。後日、アルバイトで貯めておいた金を持って支払いに行った。このあたりからシェルガーデンにも足が遠のくようになった。ただ、ダックテールズと同じステージに上がれた事は事実である。

横浜2

*上部写真の右奥。赤と白のキリンの首のようなものがガントリークレーン

十代後半、アルバイトで横浜の本牧港へ毎日のように通った時期があった。輸出入の貨物の検品をするアルバイトである。事務所の待機所ではいつもの顔ぶれの学生たちが数人、行き先を告げられるのを待っていた。今日、お前はD埠頭のフィリピン船へ行けなどと指示を受けてみんな持ち場へ散って行く。その日の担当はどこの埠頭かは忘れたがコンテナの輸出の検品であった。ガントリーと呼ばれる巨大クレーンが大きなコンテナをヒョイと掴んでは船へ運び込む。巨大物恐怖症の人は近づかない方がいいくらいにデカイ!僕はコンテナの番号が記された一覧表と実物のコンテナの番号を照合しながら表をチェックするのである。作業も中盤に差し掛かった頃だろうか。ガントリーが明らかに違う番号のコンテナを掴み運び込もうとしていた。僕は荷役の親方に駆け寄り番号が違うと訴えるが聞く耳持たずとはこの事だ。クレーンの運転士が間違えるわけがないと僕の訴えははねつけられた。

翌朝、会社へ行くと上司が、お前、昨日のコンテナ、あれ間違いだよ。船、もう出ちまったよ。二千万円分ね。ギョエ〜〜〜。親方に言ったんですけど〜〜。もう船出ちゃったからいいよ。なぜか上司はにやけた顔をしていたような覚えがある。会社に損害はなかったのか?それともクレーンと親方の会社の方が責任を負ったのか?そのことについて僕は何も知らない。

横浜4

ついさっき、ほぼ日の糸井重里さんのツイッターに横山剣さんとの対談が載っているのを見つけた。剣さんのプロフィールの中にクールス脱退後は地元、本牧の港で輸出の検品の仕事をしていたと記述があった。それってあの二千万円のコンテナが消えたあの港か!僕がアルバイトをしていた当時の会社名がはっきりわからないので同じかどうかは定かではないが、似たような仕事をされていたのだ。ただし港のステージに立ったのは僕の方が早い(笑)。ダックテールズというバンドが横山剣さんのバンドだった事はほんの数年前に知った事だ。やっぱり〜〜。当時からポスターを見ては只ならぬ雰囲気を感じていたからね。クレイジーケンバンドとなってからは破竹の勢いで日本の音楽界を席巻した事は言うまでもない。

僕は今でも時々、横浜を訪れる。でも港には行かない。そもそも埠頭は立ち入り禁止になっている。猫をダサかっこよく撮るための練習のために。昔はもっといたのに今はだいぶ数が少なくなってしまった。
あれから35年以上の月日が流れた。体にガタはきているが、まだまだダサかっこよくいい映像が撮りたい。体が枯れ尽くすまで。
ところであのコンテナ、どこへ消えた…。
まあ。いいね!!👆👉

横浜3


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