nico &pepin

頭の中のモヤモヤを吐き出す為にはじめました。 パステル三毛の猫飼い。日立市在住。

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頭の中のモヤモヤを吐き出す為にはじめました。 パステル三毛の猫飼い。日立市在住。

最近の記事

からかわないで俺の事を 知ってほしくない俺の事を あくびしてる神に祈るより 何も知らない俺でいたい

    • ミッシェルガンエレファントを聴いて泣きそうになる日が来るとは夢にも思わなかったな

      • 28歳の若さで私の前から消えた母

        28歳で私を産んで私の前から姿を消した母。 正確にはノイローゼになっておかしくなったことが原因で、父に捨てられ離婚させられた。 私はいつも何処かで母の愛を求め彷徨いながら今の今まで生きて来たと思う。 少なくとも母と同等の愛を女性に求めながら生きて来たことは間違いない。 私が母親不在のマザコンであるとはっきり自覚したのは30歳を過ぎてからで、それまで女性に対してだけでなく生きる上でかなりの苦労を強いられた。 思い返せば、私が人生のどん底で喘いでいる時、絶望の淵に立たされている時

        • 生きていると何もしなくても腹が減って仕方がないね

        からかわないで俺の事を 知ってほしくない俺の事を あくびしてる神に祈るより 何も知らない俺でいたい

          冷たい雨に撃たれていた

          昨日の明朝、通勤の為に車を走らせていた途中、対向車線の国道の真ん中で横たわっている動物の死体を目にした。 恐らく猫の死体だろうと思われたが、子犬のようにも見えた。 夜中に轢かれて、その後に死体に気付かない車に何度も轢かれた為だろう、顔を潰された挙げ句、皮膚のほとんどが捲れ上がっていた。 ああ、あの子は裏切りにあったんだなと瞬時に思った。 人間による酷い裏切りの為にアスファルトの上で何度も潰され、ただの肉の塊になって冷たい雨に撃たれ続けていた。

          冷たい雨に撃たれていた

          猫の魂

          いつまでも子猫の魂のまま、母親の愛情を求め続ける猫の姿は私の姿そのもの。

          死に向かいながら命の灯を燃やし続ける矛盾の中を、 今日も生きていますか?

          死に向かいながら命の灯を燃やし続ける矛盾の中を、 今日も生きていますか?

          死の横溢する空間で

          私の父が今年の2月に入院する出来事があった。 朝、新聞を取りに玄関先に出たところで転倒し、腰をコンクリートに打ち付けた。 その後は平気にしていたようであるが、暫くしたある夜中、トイレに行った際に転倒し腰を強打。 ドーンというフローリングの床に腰を打ち付ける激しい衝撃音が隣の部屋に居た私にまで伝わって来た。 なんとかベッドへ戻り、就寝したが朝は起き上がることが出来ず、私は会社に出掛けたが夜帰宅すると救急車を呼んでくれと言う。 そして、MRIの検査の結果、腰椎骨折の疑いということ

          死の横溢する空間で

          母親不在の人生を生きて来た

          生後間もなく母親を失ったらしい私は今日まで、母親の顔も知らず(だがいつか、小学生か中学生の頃だったか、父親の引き出しから母親が父親と一緒に写っている写真を見たことがある。母親の名前もその写真に記してあった) 決して美人ではなかったが、意思の強そうな顔をしていた。 お前の母ちゃんはノイローゼだったんだ、お前が生まれて2週間ぐらいで死んだんだ、そんな風に小学生の頃に父親に聞かされた憶えがある。 それから数十年経った今でも、母親の情報はただそれだけで、私は父親に母親のことを何も聞い

          母親不在の人生を生きて来た

          サヨナラだけの路地裏

          私が猫を飼うことを夢見るようになる、そのずっと以前の猫に対する認識は、外にいるのが当たり前の存在であり、外猫が直面している過酷な現実には全く思い至っていなかった。 私は路地裏の猫を儚く美しい存在として心の中で愛でていた。 あの角を曲がったら、それっきり。 そんな、サヨナラだけの路地裏。 でもそんな路地裏を美しいとは今は全く思わない。 寝ている猫の頭を石で打ち付けて殺害する、どうしようもなく頭の悪い子供。 猫の腹を蹴り飛ばす老人。 毒餌での殺害。 外猫への虐待、虐殺の事実は枚挙

          サヨナラだけの路地裏

          命の煌めきと循環

          夏を恋しく想う。 私は夏が堪らなく好きだ。 夏を感じる為に生きているといっても過言ではない。 私自身が夏生まれということも関係しているだろう。 晴天、初夏の陽射しが気持ちの良い季節に散歩に出掛けた。 住宅街を通り抜ける間、3歳ぐらいの小さな男の子を連れた若くイケメンでお洒落なお父さんの親子とすれ違う。 以前には存在しなかった真新しい綺麗な住宅がいくつも建っている。 全てが初夏の陽射しの中でキラキラと輝いていた。 また、赤ちゃんを抱っこした若い2組のお母さんともすれ違った。 私

          命の煌めきと循環

          塙山キャバレーに配達してた頃

          私は二十歳の大学生の頃、今から27、8年前の話であるが、その後NHKのドキュメント24時の番組やフジテレビのドキュメンタリー番組、ザ・ノンフィクションの取材を受けることになった、地元でも有名な飲み屋街、塙山キャバレー、通称塙キャバへ軽トラックを毎日運転してお酒や灯油などの配達をしていた。 私がアルバイトをしていた酒店が塙山キャバレーの全店舗を取り仕切っていた関係で、ビールや日本酒、焼酎やウイスキー等の注文を聞き回り、必要な種類、本数をその都度、配達して回っていた。 店舗の家賃

          塙山キャバレーに配達してた頃