死の横溢する空間で

私の父が今年の2月に入院する出来事があった。
朝、新聞を取りに玄関先に出たところで転倒し、腰をコンクリートに打ち付けた。
その後は平気にしていたようであるが、暫くしたある夜中、トイレに行った際に転倒し腰を強打。
ドーンというフローリングの床に腰を打ち付ける激しい衝撃音が隣の部屋に居た私にまで伝わって来た。
なんとかベッドへ戻り、就寝したが朝は起き上がることが出来ず、私は会社に出掛けたが夜帰宅すると救急車を呼んでくれと言う。
そして、MRIの検査の結果、腰椎骨折の疑いということで1ヶ月の入院を余儀なくされた。
若い医者の説明ではかなり背骨が曲がっているらしかった。
退院後、リハビリでの通院で父親を車で送り向かいする日々を過ごしたけれども、病院で直面する老いと死が横溢する空間というものは少なからず私に苦痛を与えた。
待合室に溢れる老人達の姿は、私を不快な気分にさせるに十分であった。
死に損ないという言葉が口の端に浮かぶのを押さえることは出来なかった。
私はこの中の老人達と比べれば、まだかなり若い。
それでも、そう遠くない将来にこの老人達の中に埋もれることは確定している。
その事実の残酷さを私はまだ受け入れられずに過ごしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?