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【小説】5度目の朝は、キミの隣で寝かせて。(最終話)

夜が満ちていた。校庭の照明は数時間前に落ち、全てを呑み込みそうなほどに真っ暗で深く、夜の海にすらみえた。頭上には幾つもの星が煌めき、私達の鼓動と共に呼吸している。

「綺麗だね。」
屋上のコンクリートの上に寝転び空を見上げていた莉奈が口を開いた。
「うん…そうだね。こんな風に星をみるの久しぶりかも。」

私達はずっと屋上で話し続けていた。今までのこと、そしてこれからのこと。日の出と共に莉奈の心臓が止まったあとの機械の使い方からタイミングまで、全てを聞いた。
あと数時間もすれば、ほんとに莉奈の心臓は止まってしまうのだろうか。これが現実だなんて信じられない、何かの悪い夢であってと切に願った。でも、時として現実は残酷なことも私はこの3年で知っている。

「いつからこの世界の私のこと好きなの?」

まただ…。莉奈の声が私を辛い現実から引き戻してくれる。たとえほんの一瞬でも、私にとってはそれが救いだった。

「中学1年の時…」
私は身体を莉奈の方へ向け、横顔を見つめながら続けた。
「今でこそ誰とでも仲良くなれるようになったんだけど、あの時は違った。私、人の目をみて話すことが出来なくてずっとおどおどしてて、いじめられるようになったの。でも、そんな時莉奈が助けてくれた。いつも一人だった私に声をかけ優しくしてくれた。それで、気付いたら好きになってた。」

莉奈は上目遣いでどこか遠くの方を見るかのように視線を宙に浮かす。

「あーあの時ね。なんだか不思議な感じ。自分では経験してないのに、記憶にはあるってすごい違和感なんだよ。分かる??」
莉奈は笑みを溢し、おどけてみせた。

「辛いことも悲しいこともいっぱいあったけど、いい人生だったな…。」
吐息を零すかのように囁いた莉奈の横顔をみて、私は胸が張り裂けそうになった。

「なんか寂しくなってきた。ねぇ、手繋いでもいい?あっこっちの世界の私に怒られちゃうか。やっぱやめとこうか?」

私は莉奈の言葉を聞いて考える間すら置かずに手を握った。莉奈の体温が、鼓動が、身体に伝わってくる。莉奈の手は温くて、滑らかな肌が私の手に吸い付いてくる。
「ありがとう。」莉奈はそう言ったあと私に微笑みを向けた。

私達はしばらくの間、手を繋いだまま星をみていた。互いに言葉を交わさなくても、心で通じている気がして流れる時間に抗うことなく星を見続けた。空という世界の中で、徐々に光が薄まり星という存在を私達が認知出来なくなるその瞬間まで、ただ星を見続けた。

「ねぇ、起きてる?」

莉奈の声で目を開けた。

あまりにも辛い現実に全てが冷たく感じ始めていた私は、ただ一つの温もりを、莉奈の体温を感じ取りたくて少しの間目を閉じていた。
莉奈の甘く柔らかな声が静寂な空間を満たしていく。空に視線を向けるとうっすらと明るく染まり何色にもグラデーションがかった空があり、夜は隅に追いやられていた。

「もうすぐ日が昇る。そろそろいこっか。」

莉奈の言葉が私の肩を小さく震わせる。
分かっていた、分かっていたはずだった。莉奈の話を何度も頭の中で噛み砕き心に落とし込めたはずなのに、いざその時がきてみれば私の覚悟は全く足りてないことが分かった。私は左手で目元を拭い、先に起き上がった莉奈に支えられるように身体を起こした。そして、手は繋いだまま二人で校舎への扉を開けた。

‾‾‾‾‾‾‾‾最後の瞬間は、私達の教室でいつもみたいに窓越しに景色をみながら逝きたい。あそこからみえる景色が私は好きだから。

莉奈がそう言った。私は最後の最後まで莉奈の願いを聞くつもりでいたから、隣で一緒に景色をみようと莉奈の手のひらの上に手を添え、そっと包んだ。

外は薄明かりだが校舎の中はまだ暗く、私達は手すりに指を沿わしながら一歩ずつ確かめるように階段を下った。私の左手にはあの機械が入ったボストンバッグがある。質量以上の重さを感じ、一歩前へ足を踏み出すことを余計に躊躇させた。2フロア下り、廊下を渡った先に私達の教室がある。梨奈は今日の為にあらかじめ用意していた教室の鍵を胸ポケットから取り出し扉を開けた。

うっすらと明るい静寂な教室。二人だけの教室はいつもより広く感じた。梨奈は真っ直ぐに窓際の最後列の席に進み、腰を下ろした。

「ここからの景色はね、私に生きてる実感をくれたのよ。この世界で目覚めた時は、もう自分が生きてるか死んでるかさえ分からなくなってた。でも、この景色が希望をくれた。
そしてキミの存在がいつしか私の生きる支えになってた。」

私は莉奈の元に駆け寄り、もう一度手を握った。
「私だってそうだよ。今の莉奈だって、この世界に元々いた莉奈だって、私にとってはどっちも大切だよ!」

莉奈は目に涙を浮かべ満足そうに微笑んだ後、何も言わずに視線を窓辺に移した。私も同じように視線を移すと、空はより一層明るくなっていた。 
そして、窓からみえる一番奥の建物が白く染まり輪郭が露になった。少しずつ、でもあっという間に周りの建物が光り白く染まる。やがて校庭の先までその光が照らしたと思った刹那、窓から光が差し込んだ。

教室が一瞬で隅々まで照らされた。
私達の制服が、莉奈の顔が光輝いてみえる。

その眩い光の中で莉奈を視界から見失わないようにと、右手をかざし必死に目に力を込めた。
すると、微かな視界の中で莉奈が微笑んでるようにみえた。

「明日美、ありがとね。」

刹那、コツンという音と共に莉奈は窓に寄りかかった。腕をだらんと下げ全身の力が抜け落ちたかのように、窓に身体を預けていた。

「莉奈?…莉奈?」

窓に寄りかかる莉奈の身体を何度も揺すった。呼びかけるが反応がない。
私は、莉奈の顔をみてようやく悟った。
すごく安らかな顔をしていた。
莉奈は眠るように逝ったんだ。そう思った途端、濁流のように感情が込み上げてきた。もう抑えられなかった。涙がとめどなく溢れ、嗚咽が止まらない。

「馬鹿…莉奈の馬鹿…。なんで最後の最後で名前で…わたしの名前呼んでくれるのよ‥」

教室の中で私の泣き叫ぶ声だけが響き渡っていた。莉奈の身体を壊れほどに強く抱きしめ私の涙が制服を徐々に染めていく。

「莉奈…っ莉奈…逝かないでよ」

悲しみに暮れていた私は、莉奈の言葉を思い出す。

――――いい?7分よ。7分以内に再び心臓を動かさないと手遅れになる。必ず7分以内に機械を使って。

しっかりしなくちゃ…。ここで私が失敗したら莉奈の死が無駄になる…。向こうの世界の莉奈の為にも私がしっかりしなくちゃ!

莉奈への気持ちと心の中で芽を出した小さな勇気が私を奮い立たせた。

目に涙を浮かべながらも急いでファスナーを開け、バッグから機械を取り出した。莉奈の身体を横に寝かし、一つずつ上着のシャツのボタンを外したあと、端子を身体につける。コンセントを挿し、機械の電源を入れてからチャージと書かれたボタンを押した。
 
ここまでは全て莉奈に教えられた通り。
「デンアツヲヘンカンシテイマス」冷たい機械音が教室に流れる。「ボタンヲオシテクダサイ」言われた通り私は莉奈の身体から離れ、スタートボタンを押した。

その瞬間、ものすごい音と同時に莉奈の身体が弓のようにしなった。そして、かすれ声と共に莉奈は大きく目を見開き、息を吹き返した。

「………。」

私の両目の端から水滴がはらはらと落ちた。頬を伝い、地にむかったそれは一粒、また一粒と続けざまに散った。

「……莉奈?…大丈夫?」
横たわる莉奈の肩にそっと手を置くと、
莉奈は掠れた吐息を混じえながら口を開いた。

「明日美…」

私は莉奈の身体を抱きしめた。ずっと待ってた。この時を。またこうして言葉を交わせるって信じてた。

「ほんとに…ほんとに元の莉奈…なの?」

莉奈は力なく頷くと、左手を私に差し伸べる。小刻みに震えるその手を、私は両手で受け止め自分の胸元へと押し当てた。

「良かった…ほんとに良かった…。おかえり。」
「う…ん。ただいま。」

涙で滲んだ目では、ぼやけた視界でしかみえなかった。でも、そこに居るのは確かに元の莉奈だと、全身が訴えかけていた。

私はこの3年に何があったのか全て伝えようと思った。いや、伝えなければならないと思った。

「莉奈聞いて。莉奈は京都に行った時、突然気を失ってね」

その先も続けようとした私は莉奈に手を握られたことで口をつぐんだ。

「知ってる。全部知ってるよ。ずっと中でみてたから。夢だと思ってたけど、目が覚めてすぐに現実の出来事だって分かった。」

私は一瞬驚いたが、向こうの世界の莉奈が言ってたことを思い出し納得した。記憶は引き継がれるか…。

莉奈が身体を起こそうとしていたので、私は左手を背中に添えそっと身体を支えた。

「明日美、ありがとう。伝えたい気持ちがいっぱいある。でも、その前に明日美にみて欲しいものがあるの。じゃないともう一人の私が報われない。」

莉奈の真剣な眼差しに思わず言葉を失ってしまった。今までみたこともないような眼差しにたじろいでしまったのだ。
どうにか見つけた言葉は、「分かった」とただ呟くことだけだった。

私達は学校から離れ、莉奈の住む家に向かっていた。再び動き始めたばかりの莉奈の心臓になるべく負担をかけないようにと、歩幅を合わせ出来る限り莉奈の身体を支えた。

家に着くとこっちと言われ、私は莉奈に連れられ2階の部屋に上がった。扉を開けると、部屋の中には乱雑に置かれた書類やホワイトボードがあり、机の上のノートには見たこともないおびただしい数の数式が書きこまれていた。

莉奈はその内の一つのノートを手に取り、私に差し出した。
「読んであげて。」
私は言われるがままノートに視線を落とす。何やら研究日誌のようなものだった。数々の数式と日々の出来事が綴られていた。私はページを次々にめくる。すると、綴られた言葉が徐々に乱雑になり悲痛に歪んでいくのが分かった。『もう、打つ手がない。諦めるしかないのかもしれない。私は元の世界には戻れない。』最後のページのノートにはそう綴られていて、次のページは白紙だった。

「ずっと辛い思いをしてたんだね…」
私はそう呟いた後、ノートを莉奈に返そうとした。
「読んで欲しいのはそこじゃない。続きがまだあるの。」
私は莉奈の言葉に目を丸くし、もう一度ノートを開いた。白紙のページをパラパラと捲っていると、再び文字が綴られているページがあった。しかもこのページはタイトルまで付いていて、私は莉奈に言われた通り読み始めた。


『私は私を救うと決めた』
『私を救うと決めてから一度目の朝。何一つ変わらない朝にみえるけど私の命はあと5日しか持たないなんて、なんだか不思議。もう逃げない。絶望にくれるなんて私らしくない。何が何でもこの世界の私だけは助ける!!』
『馬鹿だ…私。明日美に偽善者だなんて思ってもないこと言っちゃた。今度知らない場所にいこうと誘ってくれただけなのに。まだ私は自分が死ぬことを受け入れられないのかもしれない。明日、絶対に謝らなくちゃ。』
『私を救うと決めてから2度目の朝』
『また泣かせてしまった。何やってんだろう私は…。この世界の私を絶対に助けると言った私の言葉をあの子は信じてくれたのだろうか。』
『私を救うと決めてから3度目の朝。』
『今日は学校にいく時間は取れない、残念だけど。あとの問題は電圧だけ。底上げする何かを作らないと、しっかりしろ私!!』
『私を救うと決めてから4度目の朝。』
『この家で過ごす最後の朝がいよいよ来た。おばさんには良くして貰ったから最後の挨拶をしてから学校にいこうと思う。』
『明日美にはまた辛い思いをさせてしまう。
もしかしたらまた泣かせちゃうかもしれない。
17歳の女の子に身体に電流を流し、蘇生させてくれなんて頼もうとしてる私はどうかしてると思う。でも、それ以外に方法はない。どうか許して欲しい。この気持ちが明日美に届いてくれることを願ってる。
なんだか書くことを止められない。私はもしかしたらまだ生きていたいのかもしれない。あんなに絶望してたのにね、自分に笑っちゃう。』
『テレビの占いで望みをノートに書けば叶うってみたから書くことにした。研究者の私が占い頼りなんてね…。
明日が、5度目の朝が、私にとって最後の日になります。だから一日だけでいいから最後に明日美と過ごさせて下さい。私にとって、この世界で唯一の友達だから。』
『p.s.この世界の私へ。』
『まず、あなたには謝らなくちゃ…。
本当にごめんなさい。
あなたの大切な時間を、大切な家族を、私がこの世界に来たせいで奪ってしまったこと。
どんなに謝っても償いきれないと思ってる。
でも、あなたが目覚めた時、私はその世界にはもういないから言葉を置いていくことしか出来ない私をどうか許して。
本当にごめんなさい。
いろいろとやり残したこともある。
正直なとこ、もっと生きていたかったって気持ちもある。
だから、そんな私の分まであなたには幸せになって貰いたい。
私が唯一あなたに残せるものがあるとしたら、それは3年間ずっとあなたの代わりに明日美から貰い続けてきた愛や想いをあなたに伝えることだと思う。
でも、魂が元に戻った時にもし私と同じように記憶が引き継がれているのなら、もう言う必要はないよね。
知っての通り明日美はあなたのことをずっと守ってくれた。ずっと愛してくれた。だからお願い。明日美のことは、ずっと大切にしてあげてね。』


ずっと抑えてた涙が、一筋の涙が、私の頬を伝いノートに落ちた。綴られた文字の一つが徐々に形を失っていく。

「なんでよ…なんでもっと早く言ってくれなかった‥のよ。そしたら友達として、もっと長い時間一緒にいれたのに。」

私は両手で顔を覆いその場にしゃがみ込んだ。鼻の奥が痺れ次々に目から涙が溢れてくる。

「明日美に頼むのは最後の最後だって自分で決めてたみたい。悲しませたくないから。だから…許してあげて…。」

莉奈の発した言葉に、私は小さく頷いた。
分かってる。もう一人の莉奈は私達のことを思い全てやったことだって、そんなこと私だって分かってる。でも、悲しくて、辛くて、どれだけ両手で抑えても涙が止まらなかった。

「そうだ!」莉奈は思い立ったかのように私の手を掴み再び机の前に立たせた。

「ねぇ、このノートに私達の気持ちも書かない?きっと天国にいるもう一人の私にも届くと思うの。」
新たなページを開いた莉奈は、そう意気込んで既にペンを手にしていた。
もう一人の莉奈への想いが涙と共に溢れていた私は、その姿をみて小さく何度も頷くことで気持ちを伝えた。

「代表して私が書くね。きっと明日美も同じ気持ちだと思うから。」

『もう一人の私へ。』
『あなたのお陰で、再びこの世界に戻ってこれました。まずはほんとにありがとう。私は、あなたに救って貰った命が尽きるまで、明日美と二人でこの世界で精一杯生きていきます。』
『もしかしたら私達のこの先の関係を悪く言う人達がいるかもしれない。嫌がらせをしてくる人達だっているかもしれない。病気や事故にあうことだってあるかもしれない。先の事は分からない。でも、負けないから。絶対に幸せになってみせるから。明日美と二人で力強く生きていくから。みてて!!!』


私は後ろから莉奈が紡いだ言葉を黙ってみていた。全てを読み終えた後、再び感情が高まり目頭が熱くなる。〈みてて!!!〉という文字だけが太字で書かれていて意志の強さを物語っていた。

「同じ気持ち…私も莉奈と同じ気持ちだよ…。きっと天国にも私達の思いが届く。」

背中に手を回し優しく莉奈を抱きしめた。
気持ちに応えるかのように莉奈も私の腰に手を沿わせてくる。

カーテンの隙間から溢れた陽が私達を照らした。長い夜は朝へと変わり、一日の始まりを私達に告げるかのように、神々しく直線上に伸びた光の先に私達はいた。莉奈の肌と髪を、私達の制服を、何もかもを白く輝かせ光の中に包まれているかのような気分になった。

海の中を揺蕩う海月のように、身体がふわふわとする。光の中で抱きしめ合っていた私達は、互いの髪を耳に掛け額をくっつけた。刹那、全身が痺れていくのを感じた。体温を分け合った箇所から頭の先へ、そして胸元を通り足先へ。徐々に呼吸があがっていくのが自分でも分かった。

心臓が細かく波打っている。周期がどんどん短くなり大きな音を伴った波は、鼓膜まで轟かせていた。そして改めて思った。私は莉奈のことが好きだと。愛してる。もう気持ちが抑えられそうになかった。莉奈も同じ気持ちなのかもしれない。眼差しを私の唇に向け、何かの引力に引き寄せられるかのように私達は互いの距離を縮めた。 

__もう一人の莉奈が私達を救ってくれた日

「明日美、愛してる。」

莉奈は私の頬に左手をそっと沿わせ、私も唇に眼差しを向けた。

__私達の時間が再び動き始めた時

「私も…。中学の時からずっと愛してる。」

吐息が交わる少し手前で私は静かに瞼を閉じた。

__互いの思いが溢れたその瞬間

私達は初めて唇を重ねた。




end.

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