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曖昧さが生み出した余白や余計を楽しめる余裕がないな。

何かに猛烈に追われている感覚もなければ、一日、1時間を、丁寧に生きているかと問われれば、自信をもって”はい”とは言えないです。むしろ、日常生活にたくさんの余白があるはずです。

それでも僕の書く文章や、発している言葉は、いつも白黒はっきりしたと思っていたり、無駄は事は省きたいと思っているし、意味がないと思っている事は、やりたくない。と表すようなものばかりです。

無駄を省いて、時間に有限性を感じながら、毎日を一生懸命に。このような感情の持つことは強制されてないし、むしろ、このような感情はある種、「意識高い系」の、ジャンル分けをされます。

僕は意識高い系に所属してなければ、そのように、人それぞれが持つ感情を一言で簡単に纏める行為が好きではありません。

自分の価値観を正しいと思いたいし。
けどそれを他人に強要したいとも思っていません。
もしかしたたら、受け手の人は強制されているように感じ取っているかもしれませんが、それが正しいことです。
書き手ではなく、読み手が解釈することが全てなのです。

自分に余裕がないのかもしれません。
自分が、余白や、余計なことと考えている事象を楽しむ事はできません。
今の自分はそんな感じです。

日常生活は白黒はっきりできることばかりではないし、曖昧さが生み出してくれている幸せもきっとあります。

自分を信じ切れていないからこそ、すぐ結果が出るようなことや、自分に、メリットがあると思うことに、積極的になるのでしょうか。
思い返せば、24年間生きてきて、全てに意味を見出していたかと言えばそうではありません。

意味ないと思っていたことでも、今考えると意味あることになっている過去の経験もあります。それを認知できるか、認知できないかでこれからの自分の人生の幸福度もずいぶん変わってきそうです。

余白や曖昧さが、深みを出してくれています。

自分に自信が持てるようになる手段は「挑戦すること」だと思います。
まだまだ足りないことばかりですが、自分を信じれるように、もっと挑戦してみようと思います。

では良い週末を!!

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