見出し画像

(あぁ、わかる)〜 報道を観て、そう呟いた僕は芸能界の住人の端くれ

※これは全て自分個人の経験と感覚で書いています。

ここ最近、連続で日本の芸能人の方々が次々と亡くなられている。自殺らしい。

悲しみがTLを流れ始めるのがよくみえた。

「なんで?」

「いったい何が?そんな感じしなかったのに。。」

「日本の芸能界、最近おかしくない?」

疑問の声。”真実”の追及を求める声。悔しさ、虚しさ、悲しさが滲む声。ツイッターらしい、まさに日本全国の声の総合だ。

そんな中で自分も気持ちをつぶやこうと思ったが、書いていくうちに自分がTLと、どこかずれている気持ちを持っていることに気づいた。

『あぁ、わかる。』

それが僕の気持ちだった。

正直、つぶやくか戸惑った。

俺がおかしいのか?自殺に共感するなんて。むしろ、自殺は共感できるものなのか?

頭の中がグルグルと回る感覚。そこで、リスクを背負って呟いた。それが、この記事につけた画像のツイだ。


予想以上の反応だった。普段RTなんてめったにつかず、いいねも平均5未満。それを超える反応だった。

その反応がまさに、芸能界と一般社会の隔たりを物語っていた。


【芸能界】と聞いたとき、みなさんはどう思っているのだろう?

僕がこの世界に入る前は、只々【憧れの人々の住む世界】だった。

容姿端麗で、天才で、何千・何万もの人々に愛される人々。好きなことをして生き、それでも愛される。彼らが住んでいる世界が【芸能界】。ある意味、毎日幸せにあふれる、薔薇色の生活なのだろうと思っていた。自分のとはあまりにも違う生活。

なぜなら、彼らは常に笑っていたからだ。

雑誌の表紙。グラビア、プロマイド。テレビのゲスト出演。撮影現場の写真。

話していることも楽しそうだった。

宣伝している作品の現場での笑える失敗談。私生活のドキュメンタリー番組で紹介される、欠点のない幸せな生活。雑誌のインタビューで語る意気ごみ。

まさに憧れの人々は憧れの生活をしていた。

でも、やはりそんな生活などありえなかった。


僕は芸能界で働いているといっても、裏方だ。しかも下っ端。まだ学生でもある。自分の味わってきた芸能界など、スーパーの味見程度のものだ。

だが、それだけでこの世界が薔薇色とは程遠いものだということが一瞬でわかった。


芸能界に入ることは、常に他の評価のみで生きていることになることだ。

おもしろかったか、おもしろくなかったか。

これは決まった物差しで予想できるものではない。

だが、そのリスクを背負い、自分の作品を信じ、莫大の努力をつぎこむ。そうして作品は出来、この世にでてくるのだ。

この作品一つで人生が大きく変わるのもおかしくない。勿論、どちらの方向へ行くのかも他の評価で左右される。自分の人生がそうやって決まっていくのだ。他の評価のみで。自分がした自分にした評価は、無だ。

なので、この芸能界は肯定感の低い人しか住んでいない。

この感覚を【貪欲の精神】とよくいわれ、評価されることが多い。

肯定感はこの世界にいることで、無くなるものなのだ。


これだけを読むと、明らかにフラグしかない。まさにうつ病のなり方の指南書のようだ。

これが憧れの人々がしてきている薔薇色の生活なのだ。


このような生活をしていくと、人は評価がないと生きていけないマグロのようになる。

マグロは常に泳がないとエラに酸素が届かず死んでしまう。働く=生きること、なのだ。

この評価が、憧れの人々の酸素。評価は働かないとやってこない。

それに加えて、働くことによって、それ以外の不安や自分への低い評価も忘れれる。まさに一石二鳥。

なので、働かないと、死ぬのだ。


この約半年、彼・彼女らはどのような生活だったのだろう。

働けず、酸素を失い、イキグルしかったのだろうか。

僕も参加予定だった撮影は全てキャンセル、初めて計画していた自分の作品もおじゃん。そうして夏休みに入り、学業も無く、バイトへも行けずの日々。働かない日々。

足を止めれば、限りない将来への不安や自分の技術への悲観が襲いかかってくる。毎日、窒息しそうな感覚だった。

芸能界に片足すら入っていないような自分がこのような感覚だったのなら、全身、心の奥底まで浸かっている彼・彼女らは、言葉にすら書けないものだったのだろう。だから、言葉にするのも悲しすぎる選択をしたのだろうか。


では、なんでそこまでしてこの世界に住んでいるのか、と思っているだろう。なぜそこまでして、他からの評価で生きる、虚しい生き方を選んで、この世界に住んでいるのか、と。

人にとって、その理由は様々だ。

実際、評価が好きでやっている人もいるだろうし、薔薇色の生活をしているという嘘の感覚に酔いしれている人もいるのかも知れない。

でも、僕は多分、彼・彼女らが持っていた同じ理由で住んでいるのだと思う。いや、そうであって欲しい。

それは、作品を作ることが、好きだから。

映画を撮る事が好き。脚本を書く事が好き。写真を撮る事が好き。メイクする事が好き。衣装を作る事が好き。演技する事が好き。

そして、それを一般社会に届けて、そこの住人のひと時の安らぎをあげたい。何故なら、大好きな事をして安らぎを与えれる事は、史上最強の恩返しであり、生きる意味だから。

だから、その大好きな事が出来ないでいると、マグロと一緒で死んでしまう。評価が酸素なら、その大好きな事が栄養だから。

その栄養がこの先いつまでない状態で続くのかわからないと、それは絶望と同じだろう。


ツイートの文字数は日本語で現在140文字。それではあまりにも足りなくて、コレを書き起こした。

スクリーンに写っていた彼・彼女らの笑顔のように、彼・彼女らの生活を知るのにはあまりにも足りなかった。そして、この感覚はこれからも変わる事はないだろう。


芸能界の薔薇色の生活。僕は、これからそうやって生きれるのだろうか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?