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寅さんと鳥山さんの背中

春の柔らかい陽射しとは裏腹に、寒さが残る3月の下北沢。
日曜の午後を鳥山さんと2人、のらりと歩く。
駅前の喫茶店は満席で入れず、井の頭線の高架下、ミカン下北を抜けていく。

人の往来が絶えない通り沿いに面した喫茶店のテラスに空席を見つけ、遠慮がちに置かれた木製の上品な椅子に腰を降ろした。
「こんなにいいところあったんだ」と物腰の柔らかい抑揚が優しく耳に残る。
ホットコーヒーを注文し、タバコの箱を取り出す。
火を点けてから吐き出すまでの動作が手際良く、ゆらゆらと伸びていく煙も慣れた様子で流れていった。

コーヒーの芳醇な香りが到着し、一口すすると、より美味しそうに煙を吐き出した。
コクのある苦味を口に運びながら、鳥山さんのこれまでの活動に聞き入る。断片的に知っていた情報が少しずつ繋がっていった。
それでも不思議な経歴に「自分でもよくわからない」と表情を緩めながらまた、タバコに火を点ける。

話題は、5歳の頃からずっと好きだという『男はつらいよ』に移る。
寅さんがフラれて終わるという、いわばお決まりの展開ではあるが、それに勝る人間の面白さであったり、背中を見せて去っていく哀しさがある。
「メロン騒動」という有名なエピソードでは、メロンを巡っての一悶着で描かれるのは、ただの一悶着ではない。
時には感情移入し、時には客観的に『男はつらいよ』の魅力を語る鳥山さんに、寅さんに似た人間の生き方を見た気がした。

ヒコロヒーさんと一緒に観に行った50作目の「お帰り 寅さん」では、2人隣同士で号泣し合ったという。その話を聞いて、その光景を思い浮かべて、笑いながら、なぜかもらい泣きしそうになった。
柴又駅のホームでマフラーを渡し、「故郷ってやつはよ…」とつぶやく寅さんを見送ったさくらの顔が思い浮かぶ。

「寅さん」に命を吹き込んだ「渥美清」という俳優、そして芸人としての生き様が心を打つ。
水を飲むために吸いかけのタバコを置く。灰皿からは、先ほどよりもまっすぐな煙が伸びていた。
鳥山さんが『男はつらいよ』に出てきそうだと口にした店主が、空いたグラスに水を注いでくれた。
「ありがとうございます」と小さくお辞儀をする。落ちた水滴が、編み物のコースターに色を足していた。

店を出て、さらに人通りが増した道を行く。少し小雨になりそうな空になっていた。
バイク乗り場の近くで鳥山さんと別れた。
口調と同じく優しい背中を見送る。
下北の雑踏に、柴又の人情を見たような気がした。


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