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20周遅れで、進化した韓流ドラマ・映画にはまる。 「気まぐれ映画雑感全ジャンル」一番好きな映画、「パリテキサス」

韓流ドラマはまぎれもなく、新しいスタイルの映画だった。決してテレビドラマではなく、データ配信になり新たな映画世界が誕生した。

一番好きな映画は?と問われると
ヴェム・ヴェンダーズ監督の「パリ・テキサス」だと答えることにしている。なぜなら一番何度も何度も、繰り返し見た映画だからだ。
他の、ヴェンダーズの他の作品となにかが違う。サム・シェパードの脚本のせいかもしれない。


この8mmのシーンは、大傑作だ。映画も写真も画質ではない。

初めて見たのは渋谷の文化会館だった。1985年だろうか。直後アメリカロケに行った時、レーザーディスクで英語版を買った。何度も繰り返し見た。何度も見すぎて、翌年、映画のラストシーンの場所、ヒューストンまででかけた。
人の歩いていない街、もう来ることはないと思っていた。ところが縁ができたのか、その後6、7回訪れている。

その数年前、ハワイロケでウォンキーという中華屋で初めてパクチーを食べ、吐き出し、好物の三つ葉も食べられなくなったのが、ヒューストンのベトナム料理屋で騙されたと思って食べた新鮮なパクチーは、美味でその後大好きになった。
その10年後にベトナムにハマったのもなにかの縁かもしれない。

昨年、2020年2月僕は世田谷から大田区南馬込に引っ越した。
ワークショップや撮影ができるスペースが欲しかったからだ。築40年の木造2階建て、2回に8帖間と廊下のついた実質10帖の空間。テーブルとイス、廊下部分に本棚しかない、日常には使わない部屋。ストロボ撮影もできる。
引っ越してすぐに、新型コロナにより、世界はスローダウンする。
ある意味都合がよかった。膨大な荷物の引っ越し整理。2月中はそれに専念できた。3月中頃には片付き、撮影とワークショップができるようになった。3月はまだそれでも、平穏。

生活には使わない部屋を手に入れ、持っていた80インチのスクリーンを立て、天戸を閉めて暗くして、7,8年前にから使っているエプソンのHDプロジェクターで映画を見た。以前から感じていることだが、このプロジェクターは購入した当時は満足していたが、次第に画質に不満を感じていた。パソコンの画面と比べるとあまりに劣っている。シャドーも、ハイライトも諧調がない。写真を見るには絶望的。これまで何台もプロジェクターを買っていた。SD時代はそれでよかった。しかしパソコンのHDになった画面の再現は相当高価なプロジェクターじゃなければ無理だった。
アマゾンでプロジェクターを探した。最初は10万ぐらいのを探していた。この数年ストロボや照明器具など、中国製が目覚ましい進化をとげている。どれも価格はかつての10分の1.そんな時、このプロジェクターを見つけた。

なんと6600ルーメン。Full HD マニュアルで台形補正がついたたった¥25000のプロジェクターを見つけた。クーポンなど使えば実質15000円。だまされたと思って購入。
買ってびっくり。世界中価格破壊が始まってる。
価格は中国が決めている。
当然ズームではないので映写距離が必要だが、映写してさらに驚いた。おもちゃのつもりが、かつて9マンぐらいしたEPSONのほうがおもちゃだ。

2年ぐらい前、NetFlixにひと月無料に入った。そこで見たかったのは、「三国志」だ。DVDでさまざまなバージョンを見た。
連続もののテレビドラマだと思っていたら大間違い。
スケールは映画そのものだ。
通常、劇場映画は2時間と3時間の制限がある。テレビのような長大な歴史ロマンは映画では無理だ。
それが新しいメディア、デジタル放送や、デジタル配信は映画の常識を変えた。テレビのような連続ものを、映画コーリティで制作する。
Netflixのようなデジタル配信が、新しい映画のビジネスモデルになっていた。
かつてから、テレビの連続ものは、NHKの大河ドラマや、朝の連続テレビ小説がある。民放の連続ドラマなど。(正直、大人になってからは、あまり見てない。まして連続ものは全く見ない。話題だった「あまちゃん」も、まったく知らない)きっちり見た最後は、いや記憶にあるのは向田邦子の「阿修羅のごとく」と山田太一の「岸辺のアルバム」ぐらいだ。その時代のテレビメディアが生んだ傑作だろう。
当時は、映画とテレビは全く違う媒体だった。テレビの連続ものが映画にはできないジャンルだった。作家性の強かったドラマがいくつもあった。

しかしどんなにお金をかけようが、テレビドラマは映画ではない。
制作方法が違うのだろう。ライティングひとつとっても、テレビはテレビのやり方があった。
日本のテレビの場合は、お決まりのストーリーと俳優の顔見世のようなものだ。今、旬のタレントというキャラクターをどう動かすのか。
テレビは、演劇的な演技と映画的な演技の間で揺れている。
日本のテレビは、システムのなかで制作され、
映画は監督が作る。
その差が大きい。
正直、テレビのドラマの映像は説明的。記録しているだけ。
写真家である僕が、驚いた映像をみたことは一度もない。
それは台本が現場ではなく、机の上で作られているからだろう。
写真や、映画のように現場で制作していないからだ。
旬の有名な俳優たちを、時間というスケジュールで切り取り、
プログラムする。個人の作家性はじゃまなのだろう。
それは日本のテレビが、
放送という巨大システムの一部でしかないからだろう。
受ける、もうかるという仕組み。
机上の台本は、それまで存在したものの組み合わせだ。
スケジュールを組み合わせて制作する。
だからテレビの連続ものは、しょせんテレビ的映像しか撮れない。
最大の武器は、大河ドラマのような連続性だけともいえる。

Netflixの「三国志」は面白かった。時間のスケールはテレビだが、
内容は連続映画だった。中国映画界の底力を知った。
他にいくつかを見て、無料のNetFlixはキャンセルした。
正直、その時は、オリジナルばかりで、見る気にならなかった。
連続ドラマ、連続映画の最大の敵、最大の弱点は、一作を見るのに時間がかかりすぎる。頭の中の暇人ならよくても、考えることに忙しければ20時間以上もついやしたら、ほかのことができない。テレビを見ているだけの消費者にはよくても、自分が創造する側の人間としては、よほどよくなければ時間の無駄だからだ。
そう言う意味では、映画は効率的だ。たった2時間、もしくは3時間で一つの世界を描えている。2時間でひとりの人間の人生を描く。
ただから、ますます映画は繁栄するだろう。ただ映画館に行かないだけだ。
もはや、自分の家のスクリーンで、ほとんどの映画体験は可能だ。

アマゾンプライムはずっと入っていた。
日本映画も外国映画も、見れるものはほとんど見た。
ただ、見たいものがすぐになくなってしまう。
昔の日本映画の名作を見直したが、それも見つくした。

引っ越してからは、ミニシアターのように、暗闇のなかで映像を見たかっ
25年ぐらい昔に、BOSE直販で買った高級カセットCDプレーヤー、当時確か28万ぐらいした。広々とした体育館でも、吸収されない音量と質。
音に深みがある。CDはすでに壊れている。カセットはほとんど使わなかったので、今でも使える。それを80インチのスクリーンの下に置いて、鳴らすと音に広がりがあり臨場感は十分だ。

映画を見るならUNEXTだった。
契約して最初に見たのが「YESTERDY」
僕の世代にとってビートルズは特別だ。シャープな話ではないし、ストーリーは陳腐だ。でもリアルにビートルズ世代としては楽しめた。
話題のクイーンの映画ボヘミアンラプソディはだめだった。
どう見たって出っ歯で短足の主人公は、フレディマーキュリーに見えなかった。あの異様なフレディの、あの時代の短髪の異様な美しさとは、程遠い。
なにしろ本物のライブ映像があるのに、娘は絶賛していたが、本物を知っていた世代にとって共感できたなんて嘘だ。
と、わたくしは思っていた。
「パリテキサス」もみた。
同じ映画を繰り返してみるのは、神経症だろうか。
20回以上見ているけれど劇場以外はレーザーディスクや、DVDだった。画面を大きくしてみたことはない。レーザーディスクも、画質はよくなかった。それが新しいプロジェクターでHDで見たとき、初めてその映画を見たときのことがよみがえった。
電波放送ではなく、データ通信。HD画像はそのまま美しく再現されている。UNEXに入って昔の映画は片っ端から見た。
コロナで暇だったせいもあり、一日5本以上見た。
初めて見る映画もたくさんあった。
ひととおりUNEXTにある洋画はみたあと、日本の古い映画を見た。でも、どのシリーズも数本入っているだけで、全シリーズがあるわけじゃない。もっとみたい。日本映画の全盛期の作品を。名作ではなく、ごく普通に作った通俗的な映画も、その細部はいまよりずっとゴージャスだった。
今、全盛の韓国映画と同じ匂いがある。
末端の、小道具一つ、ファッション一つ、どうどうと自信たっぷりに制作ししている。映画が最先端だったからだ。
日活映画も、東宝映画、東映も、見た。裕次郎も、美空ひばりも、高倉健も、植木等も、初代ゴジラも、見た。
見る気の起きなかったシンゴジラも観た。駄作だった。
何が面白いのかわからない。見にゴジラのキャラクターデザインにこれはコミックかと思った。
ヌーベルバーグ、ニューシネマ、モノクロ、ヘップバーンからなにからなにまで。見れるものは見た。
ただ、ヨーロッパ映画はあまりなかった。まあ、そのうち見れるだろう。
そして最後に現代の日本映画を見た。
若い俳優たちの映画だ。それなりにどれも面白かった。
スケールはないが、日本のこの貧しい中で、熱意は伝わる。
でも、どこか嘘くさい。そして圧倒的にタレント頼り、ストーリー頼りで、映像的なフレッシュ差が皆無だった。
いちばん気になるのが演技。
映画というより完全に、テレビ的なオーバーな演技。
映画世界へいざなわれることはなかった。
でも、話は面白い。でも面白どまりだ。

数週間前、娘と家内に、NetFlixに入ってほしいと言われた。え、あそこはオリジナルばかれでしょうと答えた。ただ、「全裸監督」に興味があった。単純に、連続映画ではなく、普通の映画だと思っていた。ところが全然映画的じゃない。テンポがのんびりしている。進行は、あくまでテレビドラマ的だ。撮り方がテレビドラマより、ちょっとお金がかかっている。が話は尻切れトンボだったけど。ハワイのシーンが予算不足寂しかった。
でも十分面白かった。アナーキーだ。
でも、テレビドラマの枠からは飛び出すことはなく、映画世界には行けてない。前半よかったけど、後半尻つぼみ。
でもよかった。

そしてついに禁断の一番人気の韓国映画にたどりつく。
甘い、甘いラブストーリー。
「愛の不時着」~Crash Landing on You~

期待はしてなかった。荒唐無稽な話。
しかも連続物。完全にテレビドラマだと思って見始めた。
しかし見始めて、北朝鮮に不時着した主人公ソン・イェジンとそれを助ける軍人ヒョンビン。韓国朝鮮には、若者には徴兵があり、南北に分断されているリアル。僕はあたまのなかで、次々に起きる問題を、どのように切り抜け、解決するのか考えながら見ていた。
そしてその多くが裏切られた。そんなのありえないと思いながらも、彼らの、テレビ的ではない演技、僕にとっては無名の、韓国の俳優たちのリアルに驚かされた。
撮り方は素直だった。でもテレビ的ではない。
演技も自然で映画的だ。テレビの演技は、アメリカのソープオペラも、ちょっと演劇的だが。
映画の基本演技はやはりリアリズムだ。演じているのではない。なりきる。
日本の映画もその影響があるのだろう。
でも、最近の日本映画の演技は、テレビ的だ。

素晴らしい脚本とイマジネーション。
といいながら正直、内容の凄さより、
ヒロインのソン・イェジン、なんとも覚えにくい名前、
その韓国の女優にやられてしまった。
彼女の感情の上がったり、下がったりの表現が心地よくて、
久しぶりに女優に惚れてしまった。なんなんだろう、この魅力。
映画の(この連続映画は、どうみても映画だった。何が違うのだろう。そしてこれまでの映画からも、テレビからも解き放たれていた)
映画のなのに、時間から解放されている。
映画だったら2時から3時間。
テレビ得意の連続物なら、日本のテレビドラマも真骨頂だろう。
でも、だらだら長い描写が続くだけだ。
日本のテレビドラマは、俳優の演技を見せられている気になる。

ストーリーも、演技も、あー韓国映画は恵まれてるなあ。
背景の暮らしぶりも韓国はいまや、日本を超えている部分もある。
一人当たりの年収は日本より多い。
嫌韓ムードに日本人は酔ってるけど、
こと映画に関して言えば、遅れている。

何より、デジタル時代になった映画のビジネスモデルをきっちりと韓国映画は創造している。
そしてあくまで映画は表現になっている。

単なるビジネスではない。役者も脚本もカメラも編集も、
皆、プロフェッショナルだ。
そして役者たちの、そして彼女たちの話す韓国語のなんと美しいことか。
映画世界のなかの、絡みあうダイアローグ。
男も女の、本来言葉にならない、うちなる言葉を、
韓国の映画世界は、自由に会話として生まれている。
北野武の映画の、怒号と無口とは正反対の、饒舌な世界。
韓国映画の恋愛ものの、饒舌表現に驚くばかりだ。
そんな言葉を自在にあやつる、ソン・イェジンにこの年になって、脳みそを麻痺させられた。
この映画は、エンターテイメントで、甘くて、奇想天外。ありえないだろう、を納得させる。センチメンタル。陳腐さえもドラマにしてしまう。
そして韓国映画の男たちのバラエティさ。
韓国は若い国なんだなって思う。
歴史は古くても、ほとんどが破壊されているわけだし、まるでアメリカのように、近代史を現在捏造中だ。でもそのエネルギーが映画を面白くしている。彼らは、過去ではなく、現在を創造している。かつてのハリウッドのように。
ソン・イェジンに魅せられ、次に見た連続映画は、


「よくおごってくれる綺麗なお姉さん」

チョン・へイン &    ソン・イェジン

この映画で、ソン・イェジンに完全に恋をした。
彼女の、恋を語る口調に、こんなに美しい、
現代女性でありながら、女性性を前面にだした語り口は
なんなのだろうかと思った。昔の日本の女性が持っていた女性性。
この連続ドラマ、連続映画も、一気に一日半で見た。
韓国の家族制度、日本よりは女性の地位が高いと言われている
が、家族の結びつきはさらに強い。
ここでも、役者たちの演技に、演技力に驚かされる。
そして、ねばっこい、セリフのやりとり。そのリアルさ。
心の中の言葉を、セリフとして発声する。
演劇的ではなく、あくまで映画的な、映画世界での会話。
女の、女らしさ。韓国語特有の、あまったるい抑揚。
むかしの女たちが使っていた、日活映画の中の、女性性。女言葉。
かつての日本映画のなかの、多弁な会話はいまやどこに行った。
韓国映画は会話を、発明をしている。
韓国の俳優たちは、日々発明しているのだろう。
現実には、そんな話し方、そんな内容はない。
と、簡単に切り捨てず、表現のために、表現を発明している。
そして今は、かつての映画はない、テレビドラマでもない、
新たな映画を発明している。

ソン・イェジンの、宣伝用の動画を見ると、普通の人だ。映画のなかほど光っていない。
メーキングを見ても、乗り移っていない。でもひとたび、スクリーン(コンピュータースクリーン)に現れると別人になっている。
彼女の映画やドラマを他にもいくつか見た。今の美しさは、昔からあるわけじゃない。若い時はもっとかわいらしかった。でも、オーラは不足している。今は、スクリーンの中で、別人のように晴れ晴れしい。
すごい女優だ。


韓国映画の中の原点といえば、「冬のソナタ」だ。
断片的には見たことがあるが、長すぎるし、どう見てもテレビドラマ、ストリーは知らない。
もう、20年近く前の作品。でも、なにか現代の韓国映画の片鱗があると思い
AmazonPrimeで一気に見てみた。
そして驚いた。

冬のソナタ 

よく取り上げられるのは、まるでミュージックビデオのようなシーン。日本ではそんなことより、ヨン様だったのだろう。このメイキングを見ても、チェ・ジウにそんなにオーラがあるようには見えないが、ひとたび映画の世界に入ると人間が変わる。
この時代HD以前、ハイビジョン以前のだろうか、予告はHDサイズだけれど、スタンダードサイズに見える。
これは韓国ドラマの原点であり、現在の韓国映画の要素はすでにある。
これまで、まったく興味がなかったが、見出すとストーリーが秀逸だった。
脚本がいい。
さんざん、「愛の不時着」の中で、いじられていたが、韓国映画は記憶喪失が多いとか、絶体絶命の時に、キスをして逃れるとか。
なにより、ミュージックビデオのような、音楽に乗せただけのような、映像シーンは、写真的な手法の、完全な映画言語になっていた。
現場で作られる脚本と映像。
このメイキングビデオのドタバタは、まるで写真撮影のようだ。そして何より、すでに発明されている、男女の内なる会話の現実化。

日本語はこのあたり、かつては持っていたが、今は失った表現。
現代の日本の女たちの、話し方もバリエーション不足。
本来、それを発明するのが、映画なんだろう。
小津の映画や、日活映画の中の、彼女たちの、言語表現。
いや、今は男も、女も、見分けのつかない、クソリアリズムな話し方。
だから、現在の日本映画のラブシーンには、会話の貧困があるのだろう。
考え方を変えれば、日本映画は、やることが満載だ。
北野武の怒号と無言劇だけが、映画のリアルじゃあるまい。
そして、Netflixの真打
この10年の中で僕のベストの映画がこの映画だ。
昨日の朝から連続して、のっぴきならない時間以外は見続けて
こんなすごい連続映画が、存在したことに拍手喝采。
これまでの映画でも、テレビドラマでもない、新たな映画。

「梨泰院クラス」イテウォンクラス Itaewon class
この映画を見て、ソウルに行ってみたくなった。
なぜか韓国は行ったことがない。
映像の美しさ、俳優のいきいきさ、ストーリーの新しさ。
音楽の良さ。
すべてが完璧だ。しかも2時間や3時間ではなく、20時間の娯楽大作。
古くて新しい思想。
今、みるべき映画だと思う。




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