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『Jesus Is King』を聴いてたら存在しない風景が見えた、気がする 〜カニエ・ウェストが生み出した神々しい狂気〜

この前、代官山スペースオッドで踊ってばかりの国を観ていた。ブルージーで土着的な彼らの音楽を聴いていたら、見た記憶のないどこかの田園風景や、観たはずのない村八分のライブや、行ったことのない地方の祭囃子を思い出した。
歴史や音や風景や言葉。様々な文脈を落とし込み、作り上げられた音楽はどこか知らない風景へと人々を連れて行く。踊ってばかりの国のギタリストは、陶酔した表情でギターを弾き殴っていた。こんな風に。

話は変わって。

2019年10月26日深夜1時にカニエ・ウェストのニューアルバム『Jesus Is King』がリリースされた。

本当は9月27日にリリースされる予定だったのだが、二回の延期を経て、ようやく発表となった。(詳しくは少し前のnoteを読んでほしい↓)

カニエはアルバムのリリース前に「ラップは悪魔の音楽だ」と言ったらしい。あと「今後はゴスペルしか作らない」とも。というのもここ一年彼はキリスト教、とりわけ教会音楽に傾倒していた。

2016年のアルバム『The Life Of Publo』からゴスペルコーラスを入れたりとその傾向は昔からあった、のだけれども、2019年5月に開催されたコーチェラ・フェスティバルでは「Sunday Survice(日曜礼拝)」と称したライブを行った時にはさすがに驚かされた。カニエが聖歌隊を引き連れ、ライブを行ったのである。

そしてそのSunday Surviceは今年の夏頃からアメリカ各地でゲリラ的に行われ続けた。

聖歌隊とオルガンを中心とした30分以上ゴスペルのリフレインが繰り返され続ける光景は、エネルギーに満ち溢れていたものでありながら、どこか偏執的な異様さすら感じる。彼が以前に生み出したピッチの速いサンプリングビートや、ボコーダーを用いたボーカルディレクション、インダストリアルミュージックのような硬質さを帯びたトラックにもなかった、神々しい狂気がそこにはあった。

そして今回の『Jesus Is King』は、そんなSunday Surviceでの神々しい狂気をレコーディングによってより増大させたようなアルバムだ。

オープニングトラックの「Every Hour」は音の隙間を埋め尽くすように、コーラスとハンドクラップとピアノが入り乱れる。そして、コーラスは後半に連れてだんだん熱を帯びてくる。その熱が最高潮に達すると、曲は突然終わる。そして、シームレスに次曲「Selah」につながる。そこでようやく、カニエのラップが始まるのだ。いや、「ラップは悪魔の音楽」なんじゃないの?というツッコミをする間もなく、オルガンと"hallelujah"と歌うコーラス、そして太鼓の音が鳴り響く。彼は「悪魔の音楽」を教会音楽で塗りつぶそうとしているのである。

なんてことを考える暇もないほど、次々と曲が再生されていく。そして、ダンサブルであるけれども享楽的ではなく、外的というよりは、むしろ内省的なトラックが続く。そしてゴスペルコーラスとトラップビートを用いた6曲目「Everything We Need」に至った頃には、かつてパソコンの画面で観たコーチェラ砂漠の丘や、カニエがかつて建てようとしたでかい教会、そしてどこにも存在しない聖堂が頭の中の駆け巡った。いや、言い過ぎなのか?それでも、そんな気がした。

そして7曲目の「Water」を境目にして、カニエのヒップホップと教会音楽が溶け合っていく。どこにもない風景と音楽を、彼は作り上げていた。そして"Jesus Is Lord"とスイートに、そして不器用な声で歌い上げながら、アルバムはぶつり、と終わる。神々しくて狂気的な音楽は、余韻を残すこともなく途切れた。惜しくなってまた再生ボタンを押すと、再びあのコーラスが流れ出す。そして、27分後にまた終わる。再生ボタンを押す。終わる。押す。終わる。押す。終わる……
そんなことを繰り返しながら、どこにも存在しない風景を、何度も、何度も、観続けるのである。

【第30週目のテーマは『フラッシュバック』でした】

(ボブ)

<今日の一本>

「ボージャック・ホースマン シーズン6」(Netflix オリジナルアニメ)

カニエ・ウェストみたいに、ロクでもない生活を続けていた俳優のボージャック・ホースマンも、過去に折り合いをつけながら改心する。(キリスト教には傾倒しないけれども)6年間続いたアニメシリーズもこのシーズンと来年1月30日に配信される第7シーズンで終わり。思い出したくもない現実と向き合いながら、コミカルに生きる姿は、少し悲しい。

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