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#アララ日誌 で再開します

こんばんは。
アララより、ちょっとしたお報せがございます。

普段であれば、帰りの電車やバスのなか、喫茶店や図書館、ライブハウスや酒場でアララの記事を読んでいるけれど、今日に限ってはなんとなく、家でこのページを開いた貴方へ。

我々アララは、「生活とポップカルチャー」について書こうと集まった団体です。日記でもないし批評でもない、面白いエンタメの話を友人と話すようなスタイルを目指して活動しています。

生活とポップカルチャーについて考えるきっかけになったのは、こんな例え話です。


「今日食べたトンカツがいつもよりおいしく感じたのは、昨日の夜ぐっすり眠れたからかもしれないし、久しぶりの友達と会えたからかもしれないし、春を感じる風が吹いていたかもしれないし……いい音楽を聴いていたからかもしれない。刺激的な映画を見たからかもしれない。偶然読んだ漫画がドンピシャだったからかもしれない」

でも、「エンタメ=生活を豊かにしてくれるもの」でもないのです。
音楽を聴かなくたって、映画や漫画を見なくたって、きっとトンカツは美味しかったはずで、かつて美味しいと感じたトンカツも、食べる前にこの曲を聴いていればもっと美味しかったかもしれない!と、後悔する必要なんてない。

目覚めて、ご飯を食べて、働いて、寝る。当たり前の生活があって、その外側の世界にエンタメがある。

エンタメはいつだって「ただそこにある」だけです。

それと出会うか、出会わないかは自分次第で、それに触れたときの気分や状況によって聴こえ方や見え方も変わる。何かを受け取ることも、奪われることも、狂わされることもあるけど、それも自分次第。

アーティスト、プロデューサー、作家を始めとするあらゆる作り手が、「暗闇にボールを投げる」ように、僕たちも「ただそこにある」モノを楽しんでいる。

だけど、それが当たり前のことじゃないと痛感する状況です。

なにかを奪われた気分になっているけれど、なにに怒りや悲しみを向けていいかわからない。
悲しんでいる苦しんでいる人に対してなにかをしたいけど、なにをしていいかわらない。

憂鬱で、心配で、気が滅入りそうです……が。

インスタライブや、YouTubeライブのカメラの奥で歌ってくれる人がいます。いつも通り放送される番組があって、パーソナリティがいて、いつか一気見をするために取っておいたシーズン3と、積読の山がある。
もちろん、それが当たり前ではないのですが、いまもなにかを届けようとしている人がいるのです。

もし、ただ立っているだけの東京タワーが我々の想いが反映されるものであったなら、もうボロボロで朽ち果てているでしょう。でも、東京タワーはまっすぐに立っている。
無理やりかもしれないけど。エンタメだって、ずっとそこにあるんです。

エンタメに対して、過剰になにかを背負わせてはいけない。逆に自分たちも責任感を負いすぎてはいけない。
そこに対する愛とリスペクトを忘れてはいけないし、それが失われる状況に対しての抵抗も必要だと思います。

とにかく、どんなときだって、面白いものを面白いと言う軽やかさだけは手放なしたくないのです。

というわけで。

本日2020年3月1日より「アララ日誌」を再開します。

「#アララ日誌」をつけたTwitter上の投稿です。
毎日3つは面白いエンタメについて呟いていくのですが、選んだ媒体上は「つぶやき」でも、小さな叫びに近い気持ちです。
面白いものはたくさんあって、それを作っている人たちがいる、そんな当たり前のことが無いものにされないように、暗闇の側から叫びたいのです。ボールは届いているのだと。

いつか当たり前が戻ってくる日、何かが根本的に代わるタイミング、より面白いモノが生まれてくる土壌、なんでもいいから、未来の快哉を呼び込むために、小さく叫んでいこうと思います。

今後noteで更新する日誌は週刊を予定しており、ツイッターに投稿したものを綴じた記事になります。

まとめたものをnoteから一度に確認していただくもよし、Twitterをフォローして細かく確認して頂くもよし、生活の余剰を余剰のままに楽しんでいただく一助となれば幸いです。

(アララ一同)

追伸

ご贔屓いただいている方はお気づきかと思いますが、この「アララ日誌」は以前に失敗した企画になります。怠惰に怠惰を重ねてしまった反省を活かし、憂鬱に憂鬱を重ねないよう、もう一度始めようと思います。

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