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なかむらみなみ。「個」がダダ漏れのラップと祭囃子のビート

熱気というものを、長らく感じていない。

それはそうだ。外に出れない、誰とも会う機会がない、イベントもない。そして、目に見えない不安を抱えているせいか、なにかに無条件に熱狂する気が起きない。いつしか、熱の入れ方も忘れてしまいそうだ。

だからこそ、いま必要なのはなにかへの熱を込めることだ。
冷え切ったものに、もう一度熱をかけるのである。

そのために、僕が今年注目をしているラッパー、なかむらみなみの話をしたい。

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僕がなかむらみなみというラッパーの存在を知ったのは2018年。彼女がまだ、TENG GANG STARRというヒップホップ・ユニットに所属していた頃だ。
その年の6月、KAI-YOUやOTOTOYといった音楽メディアが、この二人組のデビュー曲「Dodemoii」を取り上げていた。

左がMC・トラックメイカーのkamui、右がMCのなかむらみなみだ。

青バックに二人の男女が佇むアーティスト写真。ただそれだけなのに、ヒリついているのに空虚な目つきからは、ただならぬ魅力を感じた。

しかし、そんなことは二の次で、どちらかというと「男女二人組ってゆるふわギャングみたいだな。ハマるかもしれない」という安直な気持ちで、二人の音楽を聴き始めた。

するとどうだろう、ゆるふわギャングとは全く違う魅力が、そこにはあった。



フリーキーなビートのうえで繰り出される、kamuiのクールで危ういラップと、なかむらみなみのルーズで舌足らずなラップ。全く異なる二人のラッパーとしての個性が、シンプルかつ含蓄に富んだリックにによってより、浮き彫りになっていた。TENG GANG STARRには、ゆるふわギャングはおろか、他のヒップホップグループにもない、個と個がぶつかり合って生まれる不思議なパワーがある。

その三ヶ月後にリリースされた『ICON』も、kamuiとなかむらみなみのバックボーンと生き様をヒップホップとしてそのまま表現したアルバムだった。

「悪い家庭環境で育ち、グレたり、路上生活を経験していた二人」。TENG GANG STARRによく使われる紋切り型の説明では伝わらないすべてを、ラップで表現していたのである。

個人の感情や人となりがストレートに伝わってくるのがラップミュージックの魅力であるが、ここまで個がダダ漏れになっている作品には出会ったことがなかった。

ちなみに当時のインタビューで、なかむらみなみは、「TENG GANG STARRで一番リアルだと思うバースは『波ならなかむらみなみ!』」だと答えている。ここだけでも、「ダダ漏れ」感が伝わるだろう。

しかしながら、その半年後にTENG GANG STARRは活動を休止してしまう。理由はわかる気がした。あまりにも個が強い二人がいるとグループとして成り立たないのだろう。結局この二人のライブを観ることはなかったが、強烈な印象を残したグループであったことは確かだ。

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その後、kamuiとなかむらみなみがそれぞれソロ活動をしているのは知っていた。しかし、特に熱心に追いかけているわけではなく、リリースされたらとりあえず聴いてみる、くらいの距離感だった。

しかし2020年1月、なかむらみなみとUKのプロデューサーRoskaがコラボレートしたシングル「Pree Me」に耳を奪われた。

言ってしまえば、ブラジルのサンバを彷彿とさせる打ち込みの太鼓の音が印象的なシンプルなビートに、なかむらみなみの舌ったらずでルーズな声が乗っただけの曲だ。しかし、この祭り感のあるビートと、彼女の少しビートから外れたラップを聴いたときに、TENG GANG STARRとは違う魅力と、不思議な一致感を覚えた。

この一致感はなんだろう。そう思っているうちに次なるシングル「Kokodoko」がリリースされた。

これは彼女がかつて経験したホームレス生活を、USトラップのようなフロウでラップした楽曲だ。そして、ここでも南米系の太鼓の音色が使われている。

どうやらこの太鼓の音は、南アフリカで生まれイギリスのクラブシーンで流行している「GQOM(ゴム)」という新しいスタイルのダンスミュージックを基調にしたものらしい。サンバや民族の祭りで用いられるような太鼓の音が、人間の本能的な高揚感を刺激する。

「kokodoko」を聴いて、「お祭り」のようなビートとなかむらみなみのラップは、相性がいい。そう確信した。
しかし、彼女は声の特性上、ラップするリズムが少しルーズに聴こえる。いわゆる祭りのビートに合う踊りや歌、かけ声は正確なリズム感覚を持っていなければいけないはずだ。それでもなかむらみなみのズレたラップは、「祭りのビート」と奇妙な一致感を生み出している。なぜだろうか。

そんなことを考えていたときに思い出したのは、彼女のバックグラウンドだった。

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なかむらみなみは、神奈川の辻堂で生まれ育った。幼い頃から家庭環境が荒れ、父親はおらず母親もほとんど家にいない状態だった彼女は、よく地元の辻堂諏訪神社に足を運んでいた。そして、神輿を担ぎ、巫女としてアルバイトをし、そしてときには祭りで太鼓を叩いていた。そして、太鼓を叩き、楽器に慣れ親しんだ経験は、音楽活動を始めるときに役立ったという。

高校生のバンドを観に行った時、これ私でもできる、やれたらいいなと思ったのもあるんですけど、私たちの町内は地味だったんで、いろんな音楽をお囃子に採り入れていこうということになって(自分も)音楽を始めて。一年ぐらい育てていただいた親戚の家に音楽ができる部屋があって、ギターとかドラム、打ち込みをやって一人でMTRで録音したりもしてましたし、歌詞を書いてギター弾いて、みたいなことはずっと続けてました。

太鼓奏者だった彼女は、このような経緯からバンドミュージックの宅録を始める。やがてライブハウスで活動をするようになると、「マゾの外国人男性を踏みながら弾き語りをする」という独自のステージングを生み出す。
それをkamuiに見出され、なかむらみなみはラッパーへと転身した。しかしながら、この話はあまり本筋に関係ない。

とにかく、彼女がリリックにし、ラップする個人的な経験や感情の背景には、いつでも辻堂の「祭囃子のビート」があったのではないだろうか。

そしてそれは、意識していないレベルでライムやフロウにも根付いている。だからこそ、南米の祭りのビートから生まれた「GQOM(ゴム)」を基調にしたトラックと、なかむらみなみのラップは不思議な一致感があるのかもしれない。

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祭囃子のビートで「個」表現する彼女のスタイルは、徐々に評価されつつある。前述の「Pree Me」はイギリスの「BBC Radio 1Xtra」で流れ、国外への進出を果たした。

さらには稲垣吾郎がMCを務めるNHKの番組「不可避研究中」にも出演。

「外国人とニッポン」をテーマに渋谷のケバブ屋の店主にインタビューをし、リリックを書き上げた。

こうして、祭囃子のビートを手に入れた彼女は、着実に独自の音楽を生み出そうとしている。

そんな新しい音楽の誕生に、僕は思わず熱を入れざるをえないのである。

(ボブ)

【第53週目のテーマは『加熱』でした】

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