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推すという感情をリル・ウェインで思い出す。インスタの「#推しバトンリレー」とドキュメンタリー『リル・ウェイン ザ・カーター』

最近、Instagramのストーリーで「#推しバトンリレー」というタグが回ってきた。これは友人に指名されたら、自分の推しの写真を乗せて、次にこのタグにチャレンジする人を指名するというものだ。何回もこのチャレンジを繰り返してくると、一枚のストーリーのなかに色んな人の推しが写し出される。なんともピースフルでハッピーなインスタの使いかただ。

そもそもこのチェーンメールめいたタグが流行っているのは「みんな外出できなくて暇だからInstagramのタグで遊ぼう」という心理が働いているに違いない。よく考えたものだ。
かくいう僕は「回ってきたらめんどくさいなぁ」くらいに思っていた。しかしながら、なかなか回ってこない。それはそれで落ち込む。

そんな「#推しバトンリレー」タグを見つけて、5日目。

後輩から、いよいよ僕に回ってきた。誰からもこのタグが回ってきていないことを哀れんでタグ付けしてくれたのであろう。ありがたいのか、恥ずかしいのか、よくわからない。

しかし困った。いざ推しを選ぶとなると難しい。どのような感情を「推す」とするのかが問題だ。

外見や佇まいに惹かれること?たまに垣間見える日常生活の様子や人間としての性格に愛着を抱くこと?あるいは、その人のバックグラウンドやパーソナルな問題にエンパシーを抱くこと?それらの感情が連動して、お金を落としたり、映像や音源を聴いたり、イベントに行ったり、暇な時間にその人物のことを考えること?

たぶん人によって定義は違うが、今あげたもののどれかか、これら全部、もしくはこれ以上の感情を抱くことが、「推す」ということなのであろう。

そうした時にふと思い浮かんだのが、リル・ウェインだった。

リル・ウェイン?

リル・ウェインはアメリカのニューオーリンズ出身のラッパーだ。11歳のときにレコード会社と契約した彼は様々な活動を経て17歳の時にソロ・アーティストとしてデビュー。デビュー作はミリオンヒット、2008年作の『The CarterⅢ』はたった一週でミリオンセールスに到達したうえに、グラミー8部門にノミネート。2011年にはリル・ウェインが手がけた楽曲が12曲ビルボード・チャートにランクインするなど様々な記録を残し続けている。デビューから20年経ったいまでも、彼はシーンの第一線で活躍し続けている。

これだけ記録を並べられると、どれだけスキルフルでカリスマ性を持ったアーティストなのか、と想像してしまうがいざ聴いてみると拍子抜けしてしまう。いや少なくとも、ヒップホップに造形がそこまで深いと言えない僕にとっては、彼の良さがすぐにわからなかった。

たしか僕が初めてリアルタイムで聴いたリル・ウェインの作品は2018年作の『The CarterⅤ』だった。

独特な鼻にかかる気が抜けた声、鼻歌のようなフロウ、一聴して下品でくだらないことを書いているとしか思えないリリック、そして独特の硬さを持ったビート。なにがなんだか、わからなかった。

XXX TENTASIONやトラヴィス・スコット、ケンドリック・ラマーが参加しているのだけあって、なかなか聴きごたえのある作品であった。

しかし、リル・ウェインの声やラップのよさはわからないまま何回も聴いていた。

そもそも、彼の見た目自体なんともクールとは言えない。。ドレッドヘアーにサングラス、タトゥーだらけの細い体と顔。かっこよくはない。そして、各アルバムのジャケット写真もそこはかとなくダサい。

そんなこんなで、リル・ウェインのアルバムを積極的に聴いてくることはなかった。

あるとき(というか4日前)、Netflixで観た彼のドキュメンタリーを見つけた。試しに観てみると彼への見方が変わった。

『リル・ウェイン ザ・カーター』と題されたこのドキュメントは、2008年に『The Carter Ⅲ』で大ブレイクを果たした時期に撮影された。人気が絶頂に達した頃の映像を使用していることもあり、リアルな熱狂と彼自身のさりげない苛立ちが収められている。

この映画のほとんどは、リル・ウェインがリーン(咳止めシロップ・ソーダ)を飲み、マリファナを吸っている映像で構成されている。リーンはあらゆるドラッグ類のなかでも中毒性が高く死に至ることも多い。それを彼はガバガバ飲み続ける。よく死なずに生きてるな、という感想が一番に思い浮かぶ。

音楽は自分の作品しか聴かず、気が向いたら娘とラップで遊ぶ。タトゥーショップでは意味のないタトゥーを掘りまくる。「ESPN(アメリカのスポーツ放送局)」のロゴとか。

そして見た目通りに彼は、奔放に暮らしながら、即興で歌詞を書きながらレコーディングをし下手くそな声を響かせる。ここまではいかにも普通のラッパー像を写したドキュメンタリーだ。

しかし時折、ナイーブで真っ当で真剣な姿が垣間見える。

ライブのステージに登る前には殺気立ちナーバスになり、インタビューで「リリック」をポエトリーと言われたことや生い立ちと音楽性を結びつけられることに怒る。そして納得するまでスタジオに入り続け、自身の作り出すものを「ラップ」ではなく「ミュージック」だと語る。

そして「俺は進化していかなければならない。5年後は全く違う音楽を作っているはずだ。歌は上手くならなだろうけどね」と言いながら、トラックに音や声を重ね続けるリル・ウェインを観ているうちに、なんだか胸が熱くなってしまった。

いわゆるこれが「ギャップ萌え」だろうか。

このドキュメンタリーを観終わるとすぐに僕は、リル・ウェインの作品を聴き直した。すると、トラック作りの創造性やラップのオリジナリティに耳がいくようになった。色々と調べているうちに、意味のないようなリリックもダブルミーニングを駆使した高度なものであるとわかった。気づいたら、僕はリル・ウェインを推していた。

ふと、先日アララでポッドキャストに出演したとき、こんな会話をしたことを思い出した。

ヨネザワがアイドルを通して「人となりから音楽に入ることを覚えた」という話題をした時のことだ。

ヨネ「人となりから音楽に入ることが多いからあんまり洋楽にハマれないのかも」

ボブ「カニエ・ウエストとか、かわいいよ。人となり」

ふとした一言だったが、なんとなく、自分がヒップホップにハマっている理由がわかった気がした。

考えてみれば、ここ数年、ヒップホップにハマるきっかけはいつだって「人となり」だった。2013年にカニエ・ウエストの『Yeezus』に衝撃を受けた時も、2015年にケンドリック・ラマーのアルバムにはまった時も、2016年に『ストレイト・アウタ・コンプトン』を観た時も、今好きなラッパーたちもそう。全部彼らの生き様やバックグラウンドから、音楽に入っていった。

それは全部「音楽を聴く」というよりは「推す」という感情に近かったかもしれない。

そういえば『文化系のためのヒップホップ入門』で大和田俊之がヒップホップ好きの学生の話を例に出し、こんな話をしていた。

「(その学生は)僕がヒップホップに興味があると伝えると毎日のようにメール をくれるんですが、それが『先生ヤバイっす、誰が誰をディスりました』とか『誰と誰がビーフを始めました』とか「誰が誰のレーベルに入りました」とか人間関 係の話ばっかり。この曲がカッコいい! ていう音楽の話はひとつもない(笑)。」
逆にいえば彼のような「聴き方」がアメリカの一般 的なヘッズのあり方かもしれないですよね。」

もしかしたらラッパーにハマることは、アイドルを推す感情と近いのかもしれない。

※※※

しかし困った。未だに「#推しバトンリレー」の返信をしていない。誰を選ぶのかが難しいだけでなく、次にバトンを繋ぐ人を選ばなければいけない。結局、めんどくさくなってこの投稿を無視してしまった。推すということは、かなりめんどくさい。

(ボブ)

【第53週目のテーマは『バトン』でした】

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