想像するための音楽が必要だ 〜Moment Joon『Passport&Garcon』とGEZAN『狂(KULU)』〜
正体の見えない不安によって、誰も彼もが息苦しさを感じているこの1ヶ月。いよいよそれはアジアや日本の問題だけではなくなってきた。不安や息苦しさも伝染し、もはや健康の問題だけでなく、社会や経済、文化の根幹も揺るがされている。
そうしたときに、多くの人が自分と、自分の都合のいいことしか考えなくなる。あるいは自分より不幸そうなものを見てひと時の安心を得ようとする。テレビもインターネットも生活も、そんなことばかりで辟易してきた。
しかし自分を顧みると、ふとしたときに安易な安心に浸ろうとしているのである。そんな自分に失望するとともに、何も変えることができない無力さを感じてしまう。
そんな先の見えない閉塞感と、行き場のない怒りと無力感、そして束の間の逃避にまみれた日常を送っていたとき、Moment Joonの『Passport&Garson』がリリースされた。
彼は韓国出身、日本在住のラッパー。大学生の時に留学して以来、10年間大阪に住んでいる。Moment は一貫してストレートな言葉で、日本の中に蔓延する国粋主義を批判してきた。一人の人間が不条理にまみれた社会とどのように向き合うべきかを、ヒップホップを通じて体現してきた稀有なラッパーだ。
彼は今回のアルバムで、自分が体験してきた差別や偏見、不条理、そして他者への怒りと共振を、できるだけ鮮明に語ることを試みる。
自分の住んでいる場所や愛するものや憎むもの、希望と絶望の象徴は具体的な名前と状況と共に語られ、ときには自らに向けられてきた偏見をそのまま演じてみせる。
それらの言葉は、暴力性と甘美さが入れ替わっていくトラックの上で、多彩なフロウとともにラップされていく。
Moment Joonのラップは、僕に問いを突きつける。
彼に対して加害を働いているのは自分なのではないか、と。アルバムを聴くたびに胸ぐらを掴まれながら、何度も尋ねられるのである。彼のリリックと声はリスナーの当事者意識を引き出すような切実さを持っている。
文句あんなら会いに来い 文句あるやつらは会いに来い
警察だって知ってる 入国管理局だって知ってる
文句あんなら会いに来い 文句あるやつらは会いに来い
ネットで見てた韓国人
それが俺? 犬を食って暴力振って それが俺?
皆が見たいものを演じてる 日本はステージ
外人だから外人をやれ それを超えたら牽制
俺より英語が下手な白人は時給俺の1.5倍
それでの頑張って働いたのに先月分が入ってこない
Moment Joonが味わってきた苦しみや怒りを同じように感じることはできない。しかし、彼の声とラップ、そしてリリックを聴けば、そうした体験を想像せずにはいられなくなる。
ちょうどそれは、ケンドリック・ラマーの作品や、映画『ムーンライト』に触れたときのような感覚であった。彼らの人生や生活や体験を、僕が完全に理解することはできない。むしろ軽々しく「理解した」などとは言うのは傲慢だ。ただ、緻密に編まれた音や映像や言葉によって鮮明に浮かび上がる深い苦しみや悲しみや痛みは、僕たちに生々しく語りかける。そうした作品は、ときに自分の体験し得ないものを自分のことのように想像させる力を持つのである。『Passport&Garcon』も、そうしたアルバムの一つだ。
Momentはラストトラック「TE NO HIRA」で、自分自身と彼が尊敬する故ECD氏に向けた想いを淡々と語る。ケンドリックが差別と自身の生き様をラップしたアルバム『To Pimp A Butterfly』のラストトラック「Mortal Man」で、2 Pacに語りかけたように。
Momentはリスナーにも語りかける。「手のひらを見せてくれ」と。きっとこのときに彼も手のひらを掲げている。お互いがお互いの手のひらを掲げ、鏡を見るように見つめること。それが、一つの想像力なのかもしれない。
想像。
ほんの二ヶ月前。GEZANも僕たちに想像することを求めていた。
マヒト・ザ・ピーポーはオープニング・トラック「狂」で重く歪んだベースラインをバックにリスナーである僕に語りかける。
いまお前はこの声をどこで聴いてる
iPhoneのしょぼいスピーカーから
はたまた電車のなか目を瞑り左右のイヤホンから
まあ 楽にして聴いてくれ
これはこれからこの時代が始めなければいけない
革命に対する注意事項
失われた革命と 安売りのシールが貼られた反乱
マヒトは僕の視聴環境を想像しながら、わざわざ我々に「楽にして聴いてくれ」とエクスキューズをする。そこから読み上げられるのはこのアルバムのステートメントだ。そのなかで、はっきりとこの作品が「問いかけ」と「疑問」を呼び起こすものであることが語られている。
この異物は疑問の道具にされることを要求し
答えを否定したあと
ただ問いかけとだけと契約を結んでいる歌
『狂(KULU)』はただの一方的な宣言ではない。GEZANから僕らへの問いかけなのだ。
この毒の塊を愛と呼べるかはお前にかかっている
このフレーズが告げられたとき、すべては僕らに委ねられた。次の瞬間から、GEZANは野生的なコーラスと民族的なビート、そして浮遊感の音像のなかで、言葉を叫び、語り続ける。その言葉は客観的でありながら、具体と熱を帯びたものである。そして、もう一度マヒトは僕たちに想像することを促す。
想像してよ東京 新しい暴力を どう乗り越えよう
彼は「東京」で、社会に起こっていることと、東京の風景を並列しながら、政治と東京の意味合いを再定義していく。無機質で権威的で、暴力的なシステムを、僕たちが生きていくために必要なものとして捉え直した。GEZANはこの歌を通して、僕たちの生活への想像力を変容させようとしているのである。
だからこそマヒトは断言することはない。最後に歌われるのは「答えを聴かせてくれ」という言葉なのだから。このアルバムを聴くすべての人へ、GEZANはひたすら自分の頭で想像を促す。
Moment Joonは自身のことを語り、言葉を紡いだ。多彩なラップとリリックにより彼の人生は鮮明に浮かび上がり、僕たちの想像力を呼び覚ました。
一方GEZANは、野生的なビートの上で、マクロな視点とミクロな視点を使い分けながらできるだけ客観的に言葉を紡いだ。それを僕たちに直接語りかけることで想像力を呼び覚ました。
彼らは表現のベクトルが違えど語りかけてくる。いま起きていること想像して、考えろ、と。
Moment Joonのアルバムも、GEZANのアルバムも、不安と猜疑心に蝕まれつつある今の僕たちにとって、最も必要な音楽だ。
(ボブ)
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