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6月9日 ロックな生き方と経営者の狭間

6月9日ですね。


ロックの日という事で、そうした記事も散見されます。

私はロックな魂の悩みについて書こうかと思います。


私は中学生の頃から人と同じ行動が好きでなく、それが大学の就職活動の時期にこうじてしまいました。新卒就職の道を自ら閉ざし、勤め人の道も長くは続かず、独立して今に至っています。

独立してからも瞬発力と培ったスキルだけで人生を渡ってきました。


とはいえ、私よりももっとロックな生き方をしている方は無数にいます。ロックな精神を語るには私はまだまだ中途半端な人です。


経営に手を染めるようになって、ロックな矜持はさらに中途半端になってきました。

スケジュールに沿ったレールの上を歩くことを好まず、統制を嫌う私。ところが、それは個人で戦っている中でのみ通用する話です。


経営者としては、メンバーや従業員の力を借りなければやっていけません。誰かがサボればその責任を負うのは経営者。

ましてや、自分ならば瞬発力で土壇場でなんとかなってきたことも、自分ではないので簡単に期待するのは酷な話です。なによりも、私がロックな無茶な働き方ができなくなってきました。徹夜などはもう40半ばからできなくなってしまいました。


そうなると、スケジュールを綿密に引き、統制をかけざるを得ません。ロックな生き方とは正反対の。

自分がロックな生き方を志向するのに、メンバーや従業員には正反対の生き方を強いるしかない。経営者とは因果なものです。


個人で戦っていけば良いのですが、技術者の世界はそうはいきません。言語やプログラムやフレームワークはすぐに陳腐化していきます。もしそうした古いものが残る現場があったとしても、それはロックな現場ではありません。政府の組織や役場や大企業の中だけ。

個人で生き残るには、老年になっても新たな言語やフレームワークやサービスをマスターし続けなければなりません。さらにその合間にも自己PRに余念なく、総務営業経理のスキルも磨き続けることが求められます。


結局、私もこれ以上の業務の成長は個人だけの力では難しいと思うしか無くなってきました。そうなるとロックな魂を投げ捨てなければ。

そうやって世の無数の人々がロックで無くなってきたのでしょうね。

芸術の分野で自分の創造力とその遺産だけで生き残るのがせいぜいの。


救いのない話てすが、私はもう少しジタバタしみるつもりです。能力とスキルを絶えず学んでいけば生き残れる期間は伸びるはずと信じて。


今回高知に行き、個人でロックな働き方をしてる方と話をしました。開発も経営も一人。しかもうちとは規模も違う。私は蒙を啓かれました。まだまだやるべき事はあります。頑張らねば。

ありがとうございます。 弊社としても皆様のお役に立てるよう、今後も活動を行っていこうと思います。