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35歳で第一子を産むまでに考えていたこと

昨年12月に、35歳5ヶ月で第一子男児を出産しました。定義的にはちょうど高齢出産になる年での出産です(高齢出産の定義は初産婦は35歳から、経産婦は40歳から)。

最近二人乗りを覚えた!

そんな彼ももう生後5ヶ月になり、立派に保育園にも通っています。私も職場復帰し、「こどもがいる生活」にだいぶ慣れてきました。きっと数年経てば「こどもがいる人生」が当たり前になるんだろうな。

でも、ここに至るまでにはいろんな考えの変遷や迷いがあったし、こどもがいない人生だって普通にありえた。当時の思考や感情を思い出せるうちに書き出したいなーと、noteに記すことにしました。

かなり個人的な記録になるので、誰かの役に立つとも思えないし、いわんや「女性のキャリア論」とかでは決してないです。

ただ、妊娠・出産ってプライベートなテーマすぎてあまり語られることがない気もするので、まずは、あまり目的とかを考えずに、自分が考えてきたことを世に放ってみたいと思います。

いきあたりばったりな20代

10代〜20代は本当にいきあたりばったりで過ごしていました。

===以下、読み飛ばしていい10代〜20代のサマリ===

「ここじゃないどこかへ」症候群で、合格さえすればきっと何もかも一変すると願い、一浪してまで入った東大。志の高い同世代に衝撃を受け起業サークルに入り、早々に留年・休学を決め、ますます活動にのめり込み代表へ。しかし代表任期の終了とともにTHE・燃え尽き症候群になり、情熱を傾ける先を失い、焦っていろいろ行動を起こすも燃料切れとなり鬱々と引きこもる日々。そんな自分が恥ずかしくて逃げまくった就活の末、拾ってもらったベネッセで、何もできない新卒一年目からスタートすることで過剰な自意識から解放。社会人3年目でDeNAに転職し、担当サービス終了とともに未経験で人事(新卒採用担当)に。

===ここまで===

成功体験も失敗体験もまるでジェットコースターのように押し寄せて、当時は心身共に常にギリギリ。

大学時代は漠然とした未来への不安から、お酒を飲めば今日が世界最後の日であれという気持ちで適量以上の飲酒をしていたし、社会人になったらなったで、健康的な生活をかなぐり捨てて目の前の仕事に没頭することで、やっぱり将来のことを考えることから逃げていました。

なにものかになりたかった

なんでそんなに盛大に空回りしていたかというと、やっぱり「なにものかになりたい」という青い気持ちが捨てきれなかったから。なにかはわからないけど、特別でいたい、普通はいや、でも何をしていいかわからない。

そんな当時の私にとって、「結婚」や「出産」は「普通の女性」のライフイベントかのように思えてしまっていました。

幼い頃、遊びに行った親戚の家で、おじさんとおばさんの結婚式のビデオを見せてもらったことがあります。画面の中の華やかな世界で純白のウェディングドレスに身を包んだおばさんは、とてもきれいで、幸せそうでした。

その記憶は、私が成長するにつれてねじ曲がったイメージに変わっていきました。花嫁さんが結婚式で世界で一番幸せそうなのは、それがその人の最後の晴れ舞台だから。彼女たちはその後は家庭に入り、みんな普通のお母さんになるんだ。

私は普通のお母さんになりたいわけではなくて、社会にでて、何か役割を持って、特別な存在になりたいんだ。10代〜20代前半は、そんな考えが根底にあった気がします。

自分ひとりですら生きるのって大変なのに

もう一つ、結婚や出産に積極的になれない理由としては、自分ひとりですら生きるのが大変なのに、もう一つの命を産み出し、責任を追うなんて到底考えられない、というものがありました。

10代20代の頃の私はよく、「生きる意味」みたいな、考えてもどうしようもないことに思考がとらわれてしまったり、他人と比べて絶望してたりして、ひたすらに落ち込む、無気力になる、やけくそになる、なども多く、自分は人よりも「生きづらい」性質の人間だと思っていました。(今では人はそれを思春期と呼び、みんな、程度の差こそあれ同じように考えていることを知っています…)。

自分の生を全うすることすら難題のように感じているのに、自分と同じような性質の人間を生み出すなんてそれ相応の覚悟が必要だ。そんな覚悟が持てるイメージは全く湧きませんでした。

仕事に没頭することで、生きるのが楽になる

でも、そんな非生産的な思考にどっぷりつかり、悲劇的なナルシシズムに溺れることも、社会人になり、少しずつ社会での居場所ができることで、減っていきました。

会社の中で与えられた課題に対し一生懸命向き合っていれば、自分にもできることがある。生きる意味、なんて壮大なことはわからないけれど、こうやって誰かの期待に応えたり、誰かの役に立てていれば、明日が来るのもそんなに悪くない。

その頃の私は、「生きること」=「働くこと」でした。今考えると、学生時代が自暴自棄にお酒を飲んでいたとすれば、お酒が仕事に替わっただけなのかもしれない。でも、少なくとも学生時代よりは自己肯定感も上がり、毎朝同じ場所に出勤するような地に足のついた生活を歩むことができていました。そして、それでもまだ、この延長線上に「なにものか」になれるかもしれない、と考えていました。

姪の誕生で、姉が「なにものか」になった!

そんな折、姉が妊娠しました。自分も血を分けた新しい命、というのはとても不思議な感覚で、とにかく喜ばしく、LINEで時々送られてくるエコー画像を、穴があくほど眺めていました。

姉は海外に住んでいたため、生まれた姪っ子と初めて対面できたのは、彼女が生後6ヶ月を迎える頃、姉が一時期帰国をした際でした。ようやく会えた姪っ子の可愛さにメロメロになったのはもちろんですが、それよりも、「母になった姉」は「母ではない姉」とは全然違う存在感を発揮していて、驚きました。驚いたというよりは、「これが母か」と腹落ちした…?うまく言語化できないのですが、、

ベルリンに住んでる姉一家

私や母が姪をあやそうとしても、慣れない私たちにギャンギャン泣いてしまう姪。でも、姉が抱き上げてあげると、スッと泣き止み、安心した表情を浮かべます。その姿を見て、姉がこの子にとって特別な存在で、その特別さこそ、私がなりたかった「なにものか」の要素だと気づかされました。

会社で大きな業績を上げなくても、社会を変えようと果敢なチャレンジをしなくても、すごい人脈を持たなくても、母になれば、誰もが誰かの唯一無二で特別な存在になれる。こんな尊いことがあるか。自分が今まで見ていた世界が、急に俗っぽく見えてきました。

その瞬間、私の心に芽生えたのは、「いつかは自分も母になりたい」「でも、今はまだ怖い」という感情でした。

語弊を招く言い方かもしれませんが、母になったら、簡単に「なにものか」になれてしまう。今まで自分が必死になってやってきた社会的な活動が、急に陳腐化してしまうんじゃないかと、怖かったんです。

母は母であるからすごい説

ここまで、出産に対する消極的な態度の理由を書き連ねていましたが、「いつかは私も母になってみたい」と、積極的に願う気持ちももちろんありました。

それは、私が、女手一つで私と姉を育ててくれた、とてもパワフルで働き者で愉快な自分の母(静子といいます)をとても尊敬している、ということが影響しています。

夫と結婚前に、なぜか静子含め3人でケアンズ旅行。太ももがまぶしい

ただ、静子への尊敬の念から「いつか私も静子みたいになりたい」と思っているかと言われると違和感があり…。

静子がこんなに尊敬されるべき人間性を備えているのは、静子が母であるからなんじゃないか。母になるということは、並の人間を、とても懐が深く、愛情深く、尊敬すべき人間に変えてしまうのではないか。

例えば、幼い頃、バナナを食べるとき、熟れすぎて黒い部分がある房は、必ず静子が自分で食べて、私にはきれいな黄色い房を渡してくれました。

育ち過ぎて生後3ヶ月健診で9キロオーバーを叩き出し、保健師さんが自宅に確かめに来たというビッグベイビーなわたし(右)。

他にも、小学生の頃、ふざけて静子に「海で溺れて自分(静子)と私、どちらかしか助けられなかったらどうする?」と尋ねたら、彼女は寸分の迷いもなく「そりゃこどもでしょ。だってそのほうがおもしろそうだからね」と答えました。

大したことじゃないかもしれないけれど、私にとって、このように、自分よりもあたりまえに他人を優先する、という行動はとても不可解でした。なぜなら私はどうしても自分を優先してものごとを考えてしまうし、結果的に他人を優先するとしても、そこには少なからず利己的な計算めいたものを介在させてしまうからです。

私には到底できないことが静子には平気でできてしまうのは、彼女が聖人だからではなくて、彼女が「母」だからなのではないか。であれば、いつか私も母という存在になってみたい。そのときの世界の見え方、ものごとの考え方はどうなっているんだろう。

好奇心と呼ぶのがふさわしいかはわかりませんが、20代後半になり、母への感謝や尊敬を自覚するようになってからは、そう考えるようになりました。

自分だけの人生だと、飽きちゃう!?

母になることへの積極的な態度のもう一つの根拠は、これです。

思春期の荒波の真っ只中にいた頃は、ちょっとしたことにも生きるか死ぬかのような反応をして、明日がどんな日になるかなんて想像もできない、というマインドでした。それが大人になって、たいていのことはなんとかなることがわかったし、なんとかするための自分のメンタルのコントロールの仕方や時間の過ごし方もわかってきました。

そうして、日々が、よく言えば心穏やかに、悪く言えば刺激がなくなってきていることに気づきました。

このままだと、あと10〜20年ぐらいしたら、自分のハンドリングの仕方が大体わかって、人生における不確定要素が限りなく無くなって、もはや「残りの人生だいたいこんな感じかぁ」と見通せちゃって、それってもはや生きてるのか死んでるのかわからないんじゃ…!?怖い!!!!

新しい課題、学び、刺激を絶やさないためには、社会的な自分だけでなく、プライベートな自分にも、大きな変化をつけた方がいいのではないかと思うようになりました。

「いい人がいれば」で消極的思考停止

少しずつ、人の親になるということに積極的な姿勢を見せ始めた私ですが、気がつけばもう30歳を迎えていました。

そのころになると、地元に帰るたびに結婚や出産についてどう考えているのか聞かれ居心地の悪い思いをするようになっていましたが、「私もいつかはって思っている」「もちろん、いい人がいれば」でお茶を濁していました。

自分の置かれている状況(30over、彼氏なし)を客観視すれば急に不安が押し寄せてきそうで、日々の忙しさ、仕事への充実感にかまけて考えることから逃げていました。

そんな消極的思考停止をしていた私に、なんと「いい人」が現れ、あれよあれよという間に、わずか半年足らずで結婚するに至るのです!

そんな私のマッチングアプリ婚についてはこちらで書いています(私自身は恥ずかしくて見返せません)↓

32歳。キャリアの正念場。妊娠・出産については「今は考えられない」

結婚したとき、私は32歳、夫は37歳。お互いいい大人でもあったので家族計画についても早々に話をしました。

二人とも、こどもは持ちたい、と意見は一致。ただ、私は当時メガベンチャーからスタートアップにひとり目人事としての転職を見据えて副業し始めたばかり。私にとって未知のチャレンジで、不安もいっぱい。キャリアにおいても正念場だと、メラメラ燃えているところでした。

当時のオフィス。マンションの一室でまだまだ整っていない。だがそれが燃える

私「いつかはとは思うけど、今は考えられない」
夫「そうは言っても、女性には年齢的なものがあるし…」

そんなこと、私だってわかっている。でも、まだ30ちょっと。そんなに焦る必要なくない?そもそも2人での生活だって始めたばかりなのに、まずは夫婦での生活の基盤を整えることの方が重要では?

理屈はどんどん出てきます。でも、今思うとそれは不安の裏返しで、きっと真剣に向き合って、焦ったり不安になったりするのが怖かったんだと思います。ただでさえ仕事で余裕のない中、その話題から目を背けたかったんです。

「今から考えたほうがいい」
「まだ考えなくてもいい」

これはどこまでいっても水掛け論で、このままだとお互いに疲弊することが目に見えています。そこで私たち夫婦は、まずは一年間、この話題は忘れよう、と期限を決め、一年後に改めて話し合うことを約束しました。

「犠牲にしている」と思うのは健全なのか?

その一年の間に何があったかというと、あんなに決死の覚悟で飛び込んだ会社を、私は辞めることになっていました。そのときにふと「プライベートを後回しにしてまで、飛び込んだのに」という考えが頭をよぎってしまいました。

↑全然心の整理がついていないため、退職エントリのくせに入社までの経緯が8割という、中途半端なnote(もちろん見返せてない)。

仕事をがんばりたい、というのはただただ前向きなモチベーションであったはずなのに、心のどこかで「妊娠・出産の機会を犠牲にしてまで頑張っている」という、受身な姿勢がありました。思ったような結果にならなかったことで、それが被害者意識に変わっていくのを自覚しました。

自分で選んだくせに、被害者ヅラって!!!!!めちゃくちゃダサい!!かっこ悪い!!そんな自分に、すごく嫌気がさしました。

プライベートも仕事も全部追いかける

「プライベートを犠牲にして、仕事を頑張っている私」。そんなの、誰にも強要されてないし、誰も望んでいません。私が、仕事だけに集中できるのが楽だから、楽をしたいだけだったんじゃないか。それで思ったような結果にならなかったからって、被害者づらするのはおかしいだろう。

これからは、やりたいことを、我慢したり押し込めたりしない。大変かもしれないけれど、プライベートも仕事も、全部追いかけよう。その結果、うまくいったら最高だし、ダメだったとしても、少なくとも誰かを恨むようなダサい自分にはならないで済む。この経験から、そう考えるようになりました。

妊娠は全然ゴールじゃなかった

現在の会社に転職して半年ほど経ち、会社にも慣れ、初期の成果もようやく出せたかなと感じていたころ、妊娠について考え始めました。34歳でした。

やはり想像通り、真面目に検討し始めるとそれなりにメンタルが削られる日々でした。調べれば調べるほど、年齢や、これまでの自分のライフスタイルによる影響を不安に感じたし、友人の妊娠・出産報告に対し目を背けたくなってしまって、素直に祝福できないことに自己嫌悪に陥ったりもしました。

自分一人で溜め込んでしまうと、どんどんしんどくなってしまいそうだったので、できるだけ夫に自分の気持ちを伝えるようにしました。(具体的には夫に対して「はい!今、私は傷ついている」という宣言から始めて、少しずつ自分の気持ちを言語化し、できるだけ前向きな気持ちになれるような対話に付き合ってもらいました。)

幸運なことに、数ヶ月以内に妊娠が発覚したのですが、ほっとしたのも束の間、今度は流産のリスクに毎日怯え、自分の体の変化やライフスタイルの変化に戸惑う日々。知らないことが多すぎて、毎日がおぼつかない足どり。すべての妊婦さんやママさんに対して心から尊敬の念を抱くのですが、その辺りはまた機会があればしたためたいと思います。

妊娠9ヶ月のときに撮ったマタニティフォト。お腹を出すのは…としぶっていたけど、いつもオーバーサイズの服しか着ないので見た目がマジで普段通りにw

いくら私の足どりがおぼつかなくても、明日はくるし、お腹の子は育ちます。2021年12月8日に、無事第一子を出産しました(パチパチパチ)!

前日に神のお告げかまつエクをしたため、お産で顔がグシャグシャになっても「化粧してるでしょ」と言ってもらえた写真

今見返すと、ちっちゃーーーーーい!!!!(現在体重は約3倍に)

母になって5ヶ月

出産はしたものの、出産しただけというか、マインド面で「母になった私」を明確に意識できるにはまだまだです。自分本意な私も捨てきれないし、彼にとって唯一無二の存在になれる自信もまだありません。道半ばすぎるのですが、それでもなんとか毎日楽しくやっています。

生後100日ぴったりでやったお食い初め

ただ、一つ自然と意識が切り替わったなーと思うことがあります。今までは、「生きる」ということのイメージが、魑魅魍魎が跋扈する、ジャングルのような世界にポツンと自分が立っていて、未知の領域に対して自分が最前線で道を切り拓いているような感覚だったのが、明確にその最前線は息子に譲った感覚があります。

自分はもはやパイオニアではなく、世界を作るのは次の世代で、私はそのサポートをする役目なのだ、と、スッと腹落ちするというか。自然とそう思えたので、生物学的にそういうふうに思うようなホルモンでも出ているんだろうか…。

こう書くと出がらしみたいですが、逆に気負わなくなったからこそできる挑戦もあるのかな、と思い、結局まだまだ「彼の母親」以外の部分でも「なにものか」になりたいと足掻いてみる気満々な私です。

終わりに

子が4ヶ月になる頃からちょくちょく書き始めたこのnote、なんだかんだ公開までに1ヶ月以上かかってしまいました。妊娠・出産という話題はとても個人的で繊細で、私が無邪気に自分の考えを書き連ねることで、誰かが不快に思ったり傷ついたりすることがあるんじゃないかと怖かったり、そもそも自分の考えが全然ロジカルじゃなくって、書いてて混乱したりしていました。

最終的には、あんまりまとまってもないし、伝えたいメッセージが明確なわけでもないけど、えいや、でだしちゃおうと思います。

今回は「母になるまで」の話でしたが、また機会があれば、母になってからの気づきも書きたいです。

超長文になってしまいましたが、もしここまで読んでくれた方がいたとしたら本当にありがとうございました!きっと気が合うので、(母乳育児が落ち着いたら)飲みましょう!



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