見出し画像

なんで播州赤穂?「いまも息づく赤穂『義士』が生き方を問いかけてくれる」

おてんとさん。

赤穂の城下を散策すると、そこら中に「赤穂義士」がいます。播州赤穂駅に着くなり、47士の紹介(^^)

播州赤穂駅 赤穂義士

城下に出れば、「息継ぎ井戸」。江戸から620キロを、早駕篭で四昼夜駆け通してきた早水藤左衛門と萱野三平。もうちょいで家老・大石内蔵助んちってとこで「息継ぎ」してます(^^)ここまでくれば一気に大石んちまで行けばいいのに、一息。きっと「あー、やっと着いた。間違いなくもう少しで報告できる。さて、どういう風に伝えようか?」なんて、やっとホっとしつつ、考えを整理する隙間をとったんでしょうね。(^^)

城に入ると大石内蔵助の邸宅。堂々たる長屋門が。

大石内蔵助宅長屋門

今から報告することの重大さを思うと、ビビります。(^^)

そして、そんな赤穂義士を土地の記憶に留め続ける、大石神社と赤穂義士祭。ここに「生き様」を表現した人たちがいたことに思いを馳せる「きっかけ」となる仕掛け。

大石神社

赤穂義士祭

御崎のうちのすぐ近くには、大石内蔵助が城を明け渡して京都・山科に向かう際に名残を惜しんだという「大石名残の松」。

大石名残の松

この美しく豊かな街を離れる寂しさと、ここからの身の処し方への不安と覚悟がないまぜになった時間。

まぁ、至るところに「赤穂義士」が息づいているわけです。そうなったのは、当然明治以降のこと。赤穂事件で赤穂浅野家が改易されてから永井家・森家と別の藩主が長らくいたわけで、江戸期に派手に「赤穂義士」と盛り上げるわけにいかない時期が続いたはず。

転機は明治政府の新政策。それまでの江戸徳川家の時代をある種否定し、「忠義」を称揚するプロパガンダとして活用された側面は否めません。ちょうど楠木正成の功績が復権され湊川神社が明治5年に創建されたのと同じように。

とはいえ、赤穂の市井で生きてきた住民の心に「なにがしか誇らしく思う気持ち、愛着」が脈々と流れ続けてきたのも事実なんだと思います。でないと、いくら政策の支援と経済的メリットがあったとはいえこんなに継続するわけないですよね?おてんとさん、上から見ててどう思います?

赤穂義士の何が、僕らの心の何を、刺激するんだろう?そんなところに思いがいきます。

「義」という文字。

実は、赤穂に出会うまで、僕の記憶の言葉では「赤穂『浪士』」でした。忠臣蔵といえば「赤穂浪士」。『義士』ではなく。

「浪士」は、単に「所属先のないサムライ」ですから非常に第3者的なフラットな表現ですよね。でも、赤穂では「義士」。「義を為したサムライ」ということでなにがしかの感情やシンパシーが籠っています。僕が「赤穂浪士」ではなく「赤穂義士」という言葉を自然に使うようになったら、それは僕が第3者じゃなくある種の当事者に変化したことを示すような気がするし、赤穂にピンと来ている今、僕はそうなるだろうと感じています。

「義」という文字。

僕の思考はこの字に刺激されます。

「義」はもちろん、儒教で言うところの「五常」=「仁・義・礼・智・信」の中の「義」。儒教的には、「社会にとってとか、人として、正しい行い・良い行い」を指しています。

でも気になる部分は、「社会にとって、とか、人として」という部分。歴史が示すように、どんな社会を良いとするか、どんな人を良いするかはいまを生きる僕らが何を求め描くかによって変わり得るもの。僕らの望むイメージ次第ですよね。そして、それらのイメージは多分に生きる時代時代で「良し」とされる社会の空気に影響されるもの。つまり、「義」は「絶対的・個人的」ではなく「相対的・社会的」であるということだと思います。

ただ、自分の限られた人生を精一杯生き抜くための「力・拠り所」とする上では、なんか寂しい、ダイレクト感がないもします。だって、まだ僕が感じられる世界は僕の身の回りのショボい範囲であるにも関わらず、僕の心は日々悩んだりへこんだり揺れ動いてしまうんですもん。それでも「メゲずに生きよう」と生きるエネルギーを生んでいくためには、僕は僕の何かを愛する力、つまりめっちゃ個人的なイメージを必要としている気がします。

「義」には、「羊」という文字が入っています。羊という文字が表現しているのは「美しい、完全な形」というニュアンスだそうです。そして、「義」には「意味・理由」という意味が含まれています。

そこで、こんな風に「義」を捉え直してみました。勝手に。

「自分の生き様として、美しいと感じられる生き方は何だろう?自分の生き様に自分なりに意味づけし納得感を得られる生き方は何だろう?」

こう捉えると「義」も随分「個人的・身近」に感じられます(^^)

おてんとさん、おてんとさんは常にあるがままですが、僕ら人間の人生には多くの選択の場面があります。その選択の瞬間瞬間に、僕の人生が明らかになっていきます。選択を避ければ僕の人生がボンヤリしたまま。選択の瞬間に「あ、これ!」と選び、その選択が表現する自分を愛し生き続ける力の源とするために、僕の勝手な「義」の感覚を大切にしたいなーと。

きっと「赤穂義士」からも、良い悪い・正しい間違っているはさておき、そんな彼ら一人一人の「選択が表現する生き様」「潔さや美しさ」を感じるからこそ、いまでも赤穂の人たちは赤穂義士を大切にしているんじゃないでしょうか?

そういえば、浅田次郎さんの新選組の隊士を描いた作品に「壬生義士伝」というのがあります。京都の人たちに「壬生浪(みぶろ)」と呼ばれていた新選組。その中のメジャーじゃない隊士。そんな一人の隊士の生き様の中に、その人が一所懸命生き抜くことを支えたその人なりの「義」が描き出されています。他人から見れば「浪士」。本人から見れば「義士」。

社会や時代という大きな流れを背景に「正義」を大上段に振りかざして生き抜く生き方もあれば、自分と周囲の小さな人生に意味を見いだして生き抜く生き方もある。どちらがどうということもなく、ただ僕はおてんとさんの下で与えられた時間と縁を大切に生きていきたいと思います。

赤穂・御崎は僕にそんなことを考えさせてくれる材料と空気をまとった場所なんだなーと思います(^^)その場所に身を置くからこそ明らかになる自分。それを楽しんでいけたらいいなー。

今日はこんなとこで。またお便りしますね。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
京都出身・京都大学卒業後リクルート入社、一貫してチーム育成を探究。独立後も「個の可能性を拓き、イキイキとした感情溢れる職場を!」をテーマに人材・組織開発に取り組んでいます。(株)イー・ブリッジC専務取締役 CRR Global認定関係性システムコーチ(ORSCC)。