だから私は、あしたも仕事へ
べキリ、と、折れる音がした。
しまったと思ったときには後の祭りだった。
3日前、会社に行けなくなった。
仕事に〆切はつきものである。
特にwebライターなんてほとんど毎日が〆切みたいなものだ。
日々時間に追われ、その中でもクオリティを求めて自分を追い込み、量をこなすほどなぜか中身が削がれていく引き出しを手当たり次第開け閉めしていたら、壊れた。
これまでの積み重ねを引きちぎるようにして、突然すべてを投げ出してしまった。
貯金は生活費1ヶ月分もない。下手に休めば家賃と水道光熱費と通信費を払えない。
そんなこと、考える暇もなかった。
ごく僅かに残った自分の中のマトモ成分をかき集めてどうにか会社に連絡し、2日間の有休と2日間の公休とをつなげて4連休に仕立て上げ、兎にも角にもひとまず休めという話になった。
で、ちょうど今日がその最終日。
多少の冷静さを得た今となっては、やっっっちまったなぁ!?という気持ちである。
昔からこうだった、いつも唐突になにかを投げ出すのだ私ってやつは。
ちなみにこうなるに至った経緯を因数分解してみると、実はまったく唐突ではなかったことがわかったりする。
上述のとおりジリジリと炙られるように日常からストレスを受け取り、いいこともたくさんあったはずなのに悪いことばかり繰り返し記憶し、ある日閾値を突破する。
まわりから見たら唐突だろうけど自分の中にはちゃんと明確な原因があって、でもそれをわかるのは当然自分だけだから、こうなる前に助けを求めるべきだった。
わかってたのにね。
でも、私はまだ自分に期待していたい。
だから私は、あしたも仕事へ。
だって、日本語を紡いでごはんを食べ続けたい。
人と人とのあいだで働きたい。
障害者雇用や生活保護を使わずに、自力で立っていられるのだと思いたい(もちろん福祉に頼るのがいけないというのではなく、できるかぎり自らの力を発揮し続けたいという意味で)。
だから謝って、切り替えて、休んだ分を取り戻すべく戦うのだ。
おとなだからね。
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