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病気の一枚 44

2023年1月の私です。

本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。

私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、少しずつ思うようになってきました。

特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。

2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)も始まった。

そして、2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、少し症状は軽くなってきた。それでも、腕を休ませながらの勤務。今は本格的に仕事復帰している。

告知されて、3年3ヶ月。
手術して、3年2ヶ月。
抗がん剤治療が終わって、2年8ヶ月。
ホルモン療法が始まって、2年6ヶ月。

今月は、まとめたようで、なかなか、まとまっておらず、ひたすら長いので、お時間ある時に、どうぞm(_ _)m

先月までのワタシ…。

先月「念のため」受けた血液検査で、腫瘍マーカーの値がどどんと倍に増えてたワタシ。いつの検査から増えてたのかって、3ヶ月前の「いつもの」血液検査から、そりゃもう誰が見ても倍ですよね〜という具合に・・・。

その結果を受けて、次回3ヶ月後に受ける予定だったエコー、CTを急きょ前倒しで受けることになった。あ、もちろん血液検査も。

ワタシの身体の中でいったい何が起きてるんだ!?そう思いながら、双方の実家でもその話をして、「大きなことじゃなかよ、きっと。まあ検査受けてみらんとなんとも言えんけどね」と語り合い、年末年始を過ごした。

やってきました、検査が・・・。

こんなにそわそわ緊張する検査は久しぶりだった。おそらく、最初に乳がんのしこりの痛みが何なのかを調べた時以来だったと思う。
あの時は、旦那がついてきてくれていたが、今日は1人。1人だけど、検査の待ち時間はnoteが一緒だった。3年ちょっと前とは違う。1人じゃない。たくさんいる。心強い。いや、勝手に検査の付き添いに巻き込みさんなよって話ですね、はい。

何はともあれ、検査スタート。
おっとその前に、この日、鼻水、痰などの症状が出ていた私は、病院の外で、PCR&インフル検査からスタート。年が明けてからもこの症状に悩まされていたので、それに耐えきれず数日前に耳鼻科を受診したばかりだったのだ。そんなこともあり、事前に病院へ連絡して、検査を予約していた。

病院に到着して、車の中から発熱外来へ電話をかける。そのままそこでお待ちくださいと告げられ、待っていたら、救急車が到着。ありゃ、急患だわ・・・これは長くなりそうだと思って、ラジオ聴きながらのんびり待っていたら、救急搬送された患者が運び込まれて十数分たった頃、防護服に身を包んだ看護師さんが検査キットを手に抱えて走ってきた。

看護師さんは手際よく、鼻に綿棒を突っ込む。あ、すみません、左の鼻は鼻中隔湾曲症で骨が曲がってるんで、右でお願いします・・・はい・・・痛っ!

検査を終えて、待機場所の駐車場でおとなしく待つ。いや、やっぱりラジオ聴きながらのんびり待つ。待って待って、やがて1時間が経とうとした頃、電話が鳴った。
「お待たせしました。どちらも陰性でしたので、どうぞ中にお入りください」
第一関門突破!

撮った・・・。

注射嫌いなので毎回大騒ぎする血液検査。
エコーは、いつもと違って、リンパ浮腫の右腕とブラトップを着たまま、素肌が出ているところだけ。
そして、約3年ぶりに造影剤入りのCT。造影剤を入れる管を入れる時に、今回は、ここで2回も刺された。今日は血液検査が肘裏でうまくいったので、じゃあ造影剤もそこで!と言ってノリノリでしてもらっていたら、入れている途中で「ごめんなさい!一回抜きます!」と、うまく入らなくてやり直し・・・結局手の甲に管を入れて、うっかり見てしまって、テンションが下がるという始末・・・。

そして、この日は婦人科の検査もあった。婦人科の先生に、
「今日は忙しそうやね」
と言われるぐらい検査漬けの1日だった。
こちらの結果はまた来月。

こんにちは・・・。

数日後、結果を聞きに病院へ。
診察室のドアを開けると、いつもより少し表情が暗い先生が迎えてくれた。この時は、それをちらっと「ん?」と思っただけで、特に何も思わなかったが、いま考えると、あの時の表情に納得がいく。

「検査お疲れさまでした。で、これがCTなんだけど・・・」
そう言って、CTの画像を見せながら、検査結果が発表された。

『右肺の胸膜播種 きょうまくはしゅ
おそらくネット検索すれば、画像も詳細も出てくるだろうが、肺を覆っている右側の胸膜にしこりが出来ているとのこと。確かに、自分の目で見ても、3か所にしこりが確認できる。再発だ。しかも遠隔転移だ。そして、よりによって、播種という、がん細胞が散らばっている状態だ。先生いわく、がん細胞が全身を駆け巡っていたらしい。私が知らない間に、なんてことを・・・。そして、肺に転移していても、乳がんなんだそうだ。

いろんなことが頭の中を駆け巡る。おそらくがん細胞が駆け巡ったであろうあっという間の速度で。
そんな中、先生から今後の治療について、説明が始まる。
がん細胞が散らばった状態なので、手術は厳しい。薬物療法を中心に治療を進めていく。いや、治療というか、がん細胞をこれ以上増やさない手段をとると。

この瞬間、今までつきあってきたタモキシフェンとは終わりを迎えた。終わりは突然やってくるものだ。そっか。今までありがとう、タモキシフェン。君のことは忘れないよ、たぶん。
そして、タモキシフェン服用による副作用の子宮筋腫などの懸念による婦人科受診もここで終わりかと思ったが、先生が「念のため受けておきなさい」と言われたので、これは継続。
そして、問題のリンパ浮腫は、現状維持。そっか・・・あなたはずっとついてくるのね。

薬剤師さんに交代。

主治医の先生の話をひととおり聞いたあと、場所を変えて薬剤師さんから、これから服用する薬の説明。がんと共存する生活を支える、再発用の薬の説明だ。あくまで私の場合です。

『ベージニオ』
分子標的薬の一つで、1日2回服用。がん細胞の細胞周期を止めて、がんの進行を遅らせて、がん細胞がこれ以上増えないように、がんを小さくするようにする薬。
主な副作用は下痢。とにかく下痢なんだそうだ。実際服用が始まって数日後、ひどい下痢に見舞われた。一緒に処方された下痢止めを飲む。止まった。止まってる・・・いや、便秘になっとるし。
ちょうど服用状況の確認の定期連絡で電話をくれた薬剤師さんに相談。
「あのー、便秘になっていて、お腹がきついので下剤飲んでもいいですか?」
「うーん・・・このお薬で、下剤を飲むことはめったにないんですけど・・・あ、ご飯は食べることができてますよね?」
「ええ・・・」
薬剤師さんいわく、とにかく食べて飲んで水分摂って解消するしかないと。下痢と便秘は微妙な関係だ。
私はこの他にも、吐き気や倦怠感などの症状が出ている。
そして、弱めの抗がん剤治療をしているような感じになるので、免疫も少し下がるらしい。とにかく、しばらく2週間に1度の血液検査を受けることになる。

もう一つ。ホルモン療法薬を受けるのだが、今の時点で正体はまだ明らかになっていない。分かっているのは、筋肉注射を打つということ。4週間に1回、1回につき2本打つそうだ。しかも、臀部に・・・おしりに注射って・・・もう聞いただけで、注射嫌いの私の静かな抵抗が身体の中で始まっている。
この注射は先ほどのベージニオに慣れてきたら治療開始するそうだ。

ちなみに、noteにも再発治療をされている方がいらっしゃるだろうが、これから再発治療を受ける可能性がある方へ。再発治療は医療費の限度額認定必須です。

ひとまず、いま思うこと。

運動制限はなし、食事制限もグレープフルーツや晩白柚など皮の厚い柑橘類以外は制限なしで、まあ、生モノは食べてもいいけど、できるだけ新鮮なモノでねと。なので、やれる治療をしながら、普通に生活もできるし、仕事もできるから、今のところは今までの生活を送るだけだ。

告知されてから、生活のことも仕事のことも、遊ぶこともnoteのこともいろいろ考えた。でも先生いわく、今すぐ死ぬとかそういうことではないらしい。だったら、今までの生活を今までどおりに送って、やりたいと思っていたことは、できるだけやっていきたい、そういうふうに人生の舵取りを切り替えるかなと。

まだやりたいことあるし、食べたいものもあるし、遊びたいし、はしゃぎたいし、会いたい人もいるし、撮った!したいし、チャンスを見つけたら、チャンスをがむしゃらに掴みにいくし、夢が一つでも叶いそうだったら、叶えにいくし。

旦那とも話をした。
とにかくやれる治療をやっていくしかないし、もし薬が合わなければ、幸いにも、替えの薬はたくさんあるらしいので、とにかくやれることはやってみようと。
そしてまた、いくら今すぐどうこうということではないとは言え、家の中の自分の持ち物整理と、もしも何かあった時の連絡先をまとめておこうと。もちろんnoteの書き方も教えておこうと思っている。

ここまで書いて、同じガンで亡くなった父と最初に抗がん剤治療を始めた時に交わした言葉を思い出した。
「俺は俺で、お前はお前で治療をやるしかないたい」
笑いながら、そんな話をしたなぁ〜。お父さん、また、治療やるばい。

noteに限って話をするなら、またこの記事の後は普段の記事を投稿するつもりでいるし、毎月の『あんこはるかの寄せ書きRADIO』も『企画の一枚』も、自分の体調と相談しながらにはなるので、休む月も出てくるかもしれないが、続けられるうちは続けていく気満々である。私の気晴らしだもの。うん。ぼちぼちペースは変わらないと思うが・・・。

とーっても長くなったが、要はこういうことである。

こんな私ですが、
これからも懲りることなく、ぼちぼちと、
どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m


追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったら43もご覧ください。


いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、現在に至ります。


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