境目を曖昧にして最大化する:「非専門職フリーランス」という選択
7年前、会社員を辞めた。
クリエイターでもエンジニアでもない非専門職の身でありながら、いわゆる「フリーランス」として働こうという、半ば無茶とも思える決心をして。
私は、子ども二人を養っていかなければならない。
甘くはないだろうと覚悟したうえでの決断だった。
周囲の人の後押しをもらいながら、「とりあえず3年」という保険をかけて下した決断でもある。
けれども今、私はかつて想像できなかったくらい理想的な働き方を実現できている。
「非専門職がフリーランスとして働く」とはどういうことなのか。
そして、「フリーランスがチームで働く」とはどういうことなのか。
なかなか説明しづらい私の働き方についてなるべくわかりやすく紹介したうえで、そのメリットをお伝えしたい。
「あらゆる境目を曖昧にし、自分というリソースを最大限活用する」心地よさを、ぜひ少しでも多くの人に知ってもらえたらと願っている。
会社を辞め、フリーランスに
新卒から勤めていた会社を辞めることを真面目に考えはじめたのは、上の子がちょうど思春期にさしかかる頃だった。
当時は会社勤めを辞めるなんて、絶対に無理だと思っていた。
私の収入で家計の大半を支えていたこともあったし、何より当時の勤め先のこと、そしてそこで働く人たちのことは、なんだかんだとても好きだったからだ。
ただその一方、会社という枠に縛られながら働くことに、限界を感じていたことも確かだった。
ときに日々の仕事のイライラを家庭に持ち込んで、子どもに当たり散らしてしまうこともあった。
夫や子供にはずいぶん窮屈な思いをさせただろう。
いま思えば、本当にすまないことをしたと思っている。
疲労困憊の日々の中で、わたしの頭に一つの考えがふと浮かんだ。
と同時に、私の頭には、幸せにまつわる1つのビジョンが浮かんでいた。
家族で食卓を囲んだり、晴れた日には洗濯物を外に干したり、桜が咲いたらお花見をしたり。その時にしかできないことを、その時にめいっぱい楽しむ。
それが、そのとき私が頭の中で描いた幸せだった。
それから私は、自分にとって理想的な働き方について考えるようになった。
結論から言うと、プライベートの時間と仕事の時間がはっきりと区切られず、むしろ入り乱れるようなあり方が、私の求めるかたちに近いのではないかとの考えにいたった。
晴れていたら布団を干し、洗濯物を干してから働く。
途中でスーパーの特売に行き、また働く。
子どもが帰宅したらその日の出来事について会話し、一緒に食事をし、そしてまた働く。
家事や自分のための作業の合間に仕事が入るような、あるいは仕事の合間にプライベートな作業が挟まるような、流動的でフレキシブルな働き方。
総労働時間が変わらないとしても、そちらのほうが生産性も充実感も高まるように思えた。
しかしそういった働き方は、会社に時間を拘束され、深夜労働は許されないという前提があるかぎり、なかなか実現しづらい。
在宅勤務やフレックス制度が用意されている会社でも、まとまった「仕事の時間」に働かなくてはならないという制約からは、どうしても逃れきれない。
求める働き方をするには、会社勤めそのものを辞める必要があるのかもしれない。
フリーランスという選択肢が頭によぎったのは、そんなときだった。
フリーランスチームではたらくという選択
とはいえ、非専門職の私が会社員を辞めてフリーランスとして働くというのは、正直イメージがわかなかった。
フリーランスといえばクリエイターやエンジニアといった専門職の人たちの働き方だという先入観もあって、専門的な技術や知識のない自分がはたしてやっていけるのかと、かなり不安だったのだ。
そんななかで思い浮かんだのが、mixiのコミュニティ「ママのキャリアを考える会」で知り合った江頭春可さんだった。
彼女はフリーランスとして独立したのち、当初は個人で請け負っていた仕事をチームで請けるようになり、その頃にはすでにナラティブベース(https://narrativebase.com)という法人を設立して代表を務めていた。
彼女にならフリーランスとして働くうえでのヒントをいただけるかもしれないし、チームの中でなら私もなんらかの役割を見つけられるかもしれない。
そう思うや私はさっそく彼女に連絡を取って、私にも何かチャレンジさせてもらえないかと尋ねてみた。
すると、なんとすぐさまYESのお返事をいただけた。
私はナラティブベースの一員として迎え入れられ、フリーランスチームのメンバーとして働く道が開かれたのである。
ところで、当時ナラティブベースが受託していたのは、WEBマーケティングまわりの業務がほとんどだった。
つまり、派遣会社のバックオフィス育ちの私の経験が、直接的には役に立たない分野と言える。
それでも、 ありがたいことに彼女は受け入れてくれた。
それはつまり、自律的に働くことを前提としつつも、スキル部分は教え育ててもらうことを意味している。
チームで働いていた彼女はすでにそういう経験を豊富に重ねていたから、私のことも懐深く受け入れてくれたのだと思う。
もちろん、その日のお返事がYESだったからといって、実際に会社を辞めるときにも仕事があるかどうか、そしてその後も継続して仕事をもらえるのかはわからない。
フリーランスとはそういうものだということは理解しているつもりだったし、だからこそ不安もあった。
それでも一歩踏み出せたのは、あのとき彼女に背中を押してもらえたからにほかならない。
甘くはないと覚悟しつつ、3年間だけフリーランスとしてチャレンジしてみよう。
そう心に決めて、私は新卒から15年間勤めた会社の退職に踏み切った。
曖昧になっていく、仕事とプライベートの境目
こうしてフリーランスチームで働きはじめた私だったが、そこからはまさに変化の連続だった。
最もインパクトがあったのは、(当初私が望んだとおり)仕事とプライベートの境目が曖昧になっていったことだ。
たとえば今の日常の中では、次のようなことがごく当たり前に起こる。
これらははたして仕事の時間なのか、それともプライベートの時間なのか?
分けて考えることは難しいし、なんなら分ける意味も特にないのではないかとさえ思う。
こんなふうに、会社員時代には「仕事 or プライベート」とはっきり分かれていた時間がどんどん溶け合っていって、境目が見えなくなっていった。
そしてそのことが、自分の仕事の幅をどんどん広げていった。
望めばいつでも仕事に取り組めるし、多くの人とつながって知見を広げることもできる。
ときには新しい人との関係が、新たな仕事につながることもある。
境目を決めない曖昧さが、私にとっては新たな可能性を生み出す土壌になっているのだ。
人によってはこんな働き方を「メリハリがない」と見るかもしれない。
実際のところ、誰かに管理されていないぶん、油断するとダレてしまいそうになることも確かにある。
生産性高く働きつづけるためには、自分なりのメリハリを持たせるための工夫に、たえず自律的に取り組んでいく必要はある。
しかし私にとってはそれでも、いやそれだからこそ、この働き方が心地いい。
働く時間も仕事の広げ方も、自ら自由にコントロールできる快さ。
自分というリソースを使い切っている、使い切れているという確かな感覚があるのだ。
社外と社内の境目も、目的の下では曖昧でいい
お客様との関係においても、境目は曖昧になっていった。
現在私は、もっぱらバックオフィスで働いていた会社員時代の経験を生かして、お客様の業務改革や事務のアウトソースをチームで請けている。
基本的にはお客様側(つまり社内)のチームに伴走するかたちで業務に携わっていくのだけれど、そこでより良い結果を求めてあれこれ試行錯誤していると、垣根を越えたコミュニケーションや、新しい仕事分担が発生してくることがある。
もちろん機密情報の問題や契約上の線引き、役割分担といった意味での境界線は明確にある。
しかし、共通のゴールを目指しているということに関していえば、社内・社外の境目はない。
お客様の目的がさらにその先のお客様への価値提供である以上、依頼を受けた私たちチームにもその目的は共有され、同じ立場でそこへ向かって走っていくことになる。
そういう前提でお客様と関わっていくと、次第に「お客様/私たちチーム」、いわば「社内/社外」の垣根がくずれ、関係が有機的に変化していくのだ。
たしかにお客様と私たちチームの最初の接点は、受託した業務そのものだ。
しかしその業務は往々にして、より大きな業務やプロジェクトの一部でもあったりする。
そうである以上、私たちの仕事は、それら上位の業務やプロジェクトの改善に資するのでなければ、本質的には意味をもたなくなってしまう。
裏を返せば、私たちチームの仕事に意味をもたせるため、そしてお客様に本当の意味で価値を提供するため、ときに受託した業務を超えて働くこともあるわけだ。
受託した業務フローをより効果的に機能させるために、別の業務フローの改善に着手することもある。
プロジェクト全体を改善するための提案を打ち出すこともある。
メンバーの育成は、社内・社外の垣根を超えて必要に応じたかたちで進めるのが最も効率よい。
価値を最大化しようと思うと、往々にしてどこかで垣根がくずれ、境目が曖昧になっていくのだ。
最適なやり方はお客様によって一様ではない。
けれど共通して言えるのは、境目を曖昧にして溶け合っていくことでこそ発揮できる価値が、間違いなくあるということ。
それがとても面白くもあり、私にとってのやりがいにもつながっている。
チームメンバーと自分の境目も曖昧
そして最後に、チームとの境目についてもふれたい。
会社員時代の私にとって、自分と自分以外の同僚との境目はくっきりはっきりとしていた。
たとえばある人は競争相手、ある人は嫉妬の対象、ある人はなかなか関心を持てない他人、というように。
もちろん頼りにできる人や仲間と呼べる人たちもいたけれど、自分との間にはっきりと線を引いてとらえていたという意味では、彼ら彼女らも同じだった。
しかし、ナラティブベースに参加してチームで仕事をするようになって、ともに働く人との関係性が大きく変わった。
自分と自分以外のチームメンバーの境目もまた、曖昧になっているように感じるのだ。
チームと自分を一体のものとして捉えるような、チームを自分の延長と捉えるような、不思議な感覚が今はある。
たとえば、ナラティブベースはフリーランスの集まりなので、メンバーはチーム以外の仕事をすることも当然ある。
そこでメンバーの経験値が上がったりすると、
といった具合に、ついニヤリとしてしまう。
実際、メンバーの成長が受託業務の拡大につながったことは少なくない。
チーム全体が成長すると、より良い仕事に直結する。
メンバーひとりひとりが新たなスキルを獲得すると、チームでできることが増える。
それが喜びになっている。
かつての自分だったら、他の人の成長をうらやんだり、自分のスキルのなさを卑下していたかもしれないけれど、今はむしろ、メンバーの進化を目の当たりにするのが楽しいし、喜ばしい。
「あの人はできるのに自分はできない」とへこむのではなくて、お互いをお互いに活かしていく。
そういう意識で働いていると、私ができないことをできるチームのみんなが、自分の拡張機能のように感じられてくるのだ。
それは逆もまたしかりで、私ができるちょっとしたことは、チームの誰かの拡張機能になっているにちがいない。
それを思えばこそ、私自身もスキルアップにいっそう勤しんでいく。
離れたりくっついたりしながら、全体としても成長していく、アメーバのようなチーム。
その居心地のよさは、もはや私にとって何にも代えがたいものになっている。
自分という境目を曖昧にすると最大限に活用できる
3年という期限を設けてスタートしたフリーランスチーム生活だったけれど、気づけばもう7年になる。
この7年間、自分が持っていたあらゆる境目を曖昧にしていくことで、私は自分というリソースを最大限に活用できるようになった。
それが心地よかったからこそ、私はここまで今の働き方で走ってこられたのだと思う。
どのような働き方が自分というリソースの最大化につながるかは人それぞれだし、それを会社員の身で叶えられている人がいるのも、実際私も知っている。
だから、会社に属して働くことや、一匹狼のフリーランスとして生きるあり方を否定するつもりはまったくない。
それに、フリーランスという働き方は、今のところ社会保障も手薄で、会社員に比べると不安定な面も多い。
仕事が途絶えて立ち行かなくなるリスクもないとは言えない。
諸手を挙げておすすめできる働き方に、現状なっていないのも確かだ。
ただ私自身は、働き方を変えたことで、それまで想像さえしなかった「働く喜び」に出会えた。
不要な境目を手放し、自分というリソースを最大限に活用する心地よさは、私にとって今や何にも代えがたい。
この心地よさは多くの人に知ってほしいし、心のどこかで求めている人が少なからずいるはずだという確信もある。
非専門職の私でも、フリーランスとして働いてこられた。
チームで働くことで、新しい景色を見ることができた。
この誇らしい事実が、新たな働き方を模索する人たちにとって、少しでもヒントになってくれればこれほど嬉しいことはない。