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【日記】福祉は希望であってほしいから

こんばんは。

また今日も福祉の悪口を書きます。

嘘です。事実を書きます。

あまり読みたくない方は戻るボタンで回避してください。

この記事を読む前に昨日の記事をご覧いただくとスムーズに理解していただけると思いますので是非そちらのほうもよろしくお願いいたします。

私が実際に作業所と言われる福祉事業所に通ったのはたった8日である。

それまでは「体験」という登録という手続きをすることなく無賃・かつ交通費なしでお試し体験をさせていただいた。

作業所自体は色々見学に行ったが、明らかにヤバいところしかなかったので、仕方なくパソコン教室みたいなところへ通った。

作業所って何をするところだろう

実際は誰かが教えてくれるなんてことはなく、完全なる放置プレイ、「自習スタイル」である。一番興味があったのは、「みんなパソコンで何をしているのだろう」とういうことだ。この自称パソコン教室は登録者が異常なほど多く、1日2時間しか予約が取れない。その2時間、自分の好きなことをする。実際にワード、エクセルの勉強をしている人はほとんどおらず、ヘッドホンをしてヤフーオークションの出品、音楽動画の作成、タイピングの練習、Youtubeの視聴など何をやっても構わない。

別にパソコンの前にずっといなくてもよい。談話室でずっとおしゃべりしている人もいるし、横になれる休憩室で寝ている人もいる。症状が重い人は作業所に通うだけでグッタリするのだ。

そういう自由度は楽である。しかし目的意識を持たないと何をやっていいのか分からなかった。私は自分でエクセルの勉強を始めた。MOSという資格のエキスパートを取った。その後何か仕事的なことがしたくなった。機関紙の編集作業をやっているチームがあったから入れてもらおうと相談したが、登録していない人はそのチームに入れてもらえない。では名刺作りなど簡単なものはないだろうか。何か文章を入力する単純作業でもいい。「何でもいいので仕事はないですか?」と支援員の人に聞いたが、「今何もないのです…」と言われてしまった。何かやることを見つけないと。入力しづらい簡素なキーボードに四苦八苦しながら今度はイラストでも描いてみようかと思った。しかしソフトが入っていない。最低限のソフトしか入っていない。こうなるともうやることはYoutubeの動画再生くらいしかなかった。今でこそ趣味の一つとして大きな楽しみとなっているが、当時はそんなに動画に興味があるわけではなかった。1日2時間毎日Youtubeで音楽を聴いていた。

この先ずっとこんな飼い殺し生活を続けるのか…そう考えると恐ろしくなった。目的のない作業所通い、こんな生活を周りの人は何年も続けているのか、と思うと気が遠くなった。

利用者を鴨にする作業所の実態

ある時目を疑う出来事が起こった。やっとの思いで作業所にたどり着いた男性が「せっかく来たんですけど、体調が悪いので今日はもう帰らせてください」と支援員に言った。そしたら「1時間居てもらわないと事業所として困るので(国からお金がもらえない)、休憩室で寝ていてもいいのでとりあえず居てください」と言い放った。目を疑った。その男性は納得できない表情をしながら、しばらく休憩室で横になりうずくまっていた。誰のための作業所なのか、支援とはなんなのか。1時間以上いないと実績としてカウントが認められないという。だからといって「帰りたい」と行っている人に、「帰るな、寝てろ」というのはあまりにも酷な話じゃないのか。

その光景は今でも覚えている。福祉ってやっぱり腐っている。綺麗事を並べた理事長の言葉は胡散臭さ抜群だった。それをさも有難いお言葉として崇高な眼差しで見ている利用者と、その「お言葉」をさも素晴らしいとのたまう職員を見ていると、まるで「宗教か!」と突っ込みたくなるほどおかしなところだった。

おかしいと思ってしまう私がおかしいのか。普通とは何か。それがだんだんわからなくなってしまう。きっとここにいると、世間と隔絶されたぬるい世界で生きていくため、正しいことや間違っていることの区別すらできなくなってしまうのではないか。

ここを早く出なくては。そう思い色々な人に話を聞いてもらった。私の周りの人は「作業所に行ってこそ今の自分がある」という肯定派が多かった。支援者に助けてもらったとか工賃がもらえたことが嬉しかったとかそのお金で缶ジュースを買ったとか本当にそんな話ばかりだった。

作業所脱出を手助けしてくれた卒業生

ただ一人、私と感覚的に似ている人がいた。そのパソコン教室の卒業生だった。何かのきっかけで知り合ったのだがその人も異常事態を敏感に察知して逃げ出したクチである。そして私はその人から強烈なパンチを受けることになる。「そのまま登録して何年もそこに滞在しつづけて就職した人を僕は見たことがない。僕は自分で就職活動を始めなかったら今どうなっていたか分からない。就職活動は長期に渡ったが、それでも就職できた。周りは僕が就職なんて出来っこないと鼻で笑っていた。それが悔しくて見返してやろうと思い、就職体験記を機関紙にでかでかと載せた」

聞いていて痛快だった。こんな人もいるのかと。そしてその人は都内の会社で障害者雇用で今も働いている。

これだ、もう動くしかない。支援者にいちいち相談なんてしていたらきっと私はダメになってしまう。そう自分に喝を入れて誰にも相談せずに就職活動を始めた。

作業所の中にはいろいろな揉め事が起こっていた。そのたびに喧嘩になったり騒いだりするものだから全く集中ができない。支援者も呆れた顔をして対応するものだから、ああ、これは日常茶飯事でこういう事態に慣れてしまったのだろう、と思った。そういう意味では支援者は大変な仕事である。

気になる工賃はゼロ円。当然というえば当然だ。だって何の作業もしていないのだから。登録が完了してからは交通費だけ出していただいた。1日2時間のパソコン生活。それだけで気が狂いそうだった。他の利用者と仲良くしなきゃいけないのか、と最初はいちいち受け答えをしていたが、段々面倒くさくなって愛想笑いしかしなくなっていた。

福祉は何のためにあるのだろう

ほどなくして私は登録と同時に卒業をした。最短だったと思う。就職をしてからは何の連絡もなく1年経ったある日、作業所からショートメッセージで「引き続き就労されておりますでしょうか」の確認メールが来た。「はい」と一言返しその後も連絡はない。

結局福祉は何のためにあるのだろうか。正常な判断能力を失う前に卒業できてよかった。なかには一生懸命相談に乗ってくれた支援員もいたり、色々な行事に誘ってくれた人もいた。

今でもあそこに通っているのだろうか。懐かしくもなんともないが作業所に行こうと見学をする方は作業所は「就労するまでの通過点」ということを念頭にして探してほしい。今民間事業所の参入により実績を残せない古い体質の作業所はどんどん潰れていっている。私が知っている民間事業所は、WebやIT分野、RPA(Robotic Process Automation)などを操れる最新の技術者の育成を担っている。古い体質の事業所は淘汰されてしかるべきなのだ。

ここまで読んでくださった方、作業所の酷いところばかり挙げているじゃないかと若干お怒りの関係者の方もいるだろう。確かに私は作業所の悪いところばかり挙げ連ねている。強いていいところを挙げるとココに来なければもう少しのんびりと就職活動をしていたのかもしれない。すぐにでもココから逃げたかったからこそ素早い行動を起こせたのではないかと思う。

いろいろな意見はあると思う。しかし私がいつも考えるのは「何のためにその仕事をしているのか」ということである。利用者の貴重な時間を潰して意味のない作業や放置プレイを続けるのであれば、もはや国からお金をもらう資格なんてない。

福祉は希望であってほしい

令和の時代に就労支援と掲げるのであれば、就職率をしっかり数値として示すべきだろう。今は家でできる仕事もたくさんある。別に会社に行って仕事をするだけが就労ではない。マイペースでできる仕事もたくさんあるのだからその人に寄り添った本当の福祉の底力を見せてほしい。

私は今不動産屋をやっているが、もし私に何かできるのであれば何でも協力したいと思っている。福祉関係者の中でもきっと現状に納得がいかず何とかしたいと考えている人もいるだろう。私の認識が大きく間違っているのかもしれないし。そのあたりの是正も兼ねて「自己覚知」とやらをしてみたいと思う。

福祉って希望であってほしいと思うから。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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