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【ひきこもり】支援は誰のためにあるのか

引きこもりは決して恥ずかしいことではない。前の記事では8年間引きこもった経験を書いた。今も引きこもりの「癖」で家から一歩も出ないなんてざらである。これだけ多様な生き方が可能な世の中なのに、引きこもりを解決するのは「就労」か「結婚」という極端な枠に当てはめようとする風潮はあまり変わらない。そもそも支援とは誰のために何のためにあるのか。

氷河期世代のこじれた引きこもり

国が動き出した。我々は「人生再設計第一世代」らしい。

今月10日に行われた第5回経済財政諮問会議で、就職氷河期世代が「人生再設計第一世代」に名称変更。今夏に、約3年間で集中的な支援を行うためのプログラム案の作成を検討する。就職氷河期世代とは、バブル崩壊後に卒業期を迎えた人たちを指し、今の30代半ばから40代半ばの約1700万人がこれにあたる。当時就職できず、今でも無職や非正規雇用である人も多い。AmebaTIMESニュース

氷河期の洗礼は熾烈だった。就活では椅子取りゲーム、ダメなら否応なく非正規やバイト。意味もなく大学院に進学したりワーキングホリデーを選択する同級生もいた。実家の家業を手伝うためにUターンをしたり、ガッツのある同級生はいきなり起業して社長となった。

私の場合、旅行業界か出版業界に就職したかったが競争率を鑑みて諦めた。就活はITバブルに乗ってIT業界を選択した。IT業界はベンチャーや中小零細も数多あるが片っ端から受けて落ちまくった。20社落ちても元々自尊心なんてなかったからいちいち傷つかない。26社目で内定をもらって就職した。その時代はまだ手書きの履歴書とエントリーシートがメインで、お金がなかったので履歴書の写真は一度撮った写真を自分で焼き増ししてハサミでカットして使った。移動は10キロ以内であれば原付、スーツはイトーヨーカドーの19,800円のもの1着。結果的には何の問題もなかった。

時代のせいにしちゃうのもあり

氷河期世代では圧倒的に買い手市場で就活生は細部まで品定めをされ、選択の余地もなくプライドをずたずたにされた経験がある方も多いと思う。「今の若者は売り手市場でいいなぁ」と思う。氷河期世代のひきこもりは本人の精神力の問題でもないし、そうならざるを得なかった人が社会にわんさか居るだけで自分を責める必要などない。これから国が「人生再設計」のプランを用意してくれるのだから、言葉遊びだなんだと批判する前にそのプランに乗っかるのも手である。引きこもりは時代のせいにしちゃえばよいし、自分を責めるなんて自分が可哀そう。

具体的な支援とは?

支援策の具体案としては、ハローワークや大学等が連携し3年で対象者半数の雇用を安定化させること、中途採用等支援助成金などの要件を緩和すること、地方への人材移動の促進などが検討されているという。

まず引きこもり相談窓口はどこにあるのかわからない。
「ひきこもり 相談窓口」でググってみると、厚生労働省の「ひきこもり地域支援センター」事業がヒットする。基本都道府県にひとつしかないため、直接赴くのは引きこもりには相当ハードルが高い。しかし民間の怪しい引きこもり支援ビジネスに莫大なお金をむしり取られるくらいだったら、公的機関を活用するのも選択肢の一つである。

地方への人材移動の促進とは?

余談になるが私は不動産屋で働いているので街を歩いていても「テナント募集」「入居者募集」の看板を見つけるとついついどんな物件か気になってしまう。先日旅行で金沢に行ってきた。香林坊という渋谷のセンター街と銀座をミックスした観光の中心地に行った時、誰でも知っている高級ブランドショップが立ち並ぶ一角から少し離れた商店街の空きテナントが目立つことに気づいた。立地もいいし観光客も多いのになぜだろうか?賃料が高いから?競合店が多いから?地方都市にIターンして空きテナントを安く借りて何か事業ができないか?と考えてしまう。引きこもりは自宅以外のコミュニティが必要だが、誰も自分のことを知っている人がいない場所でリスタートしたいという気持ちも持っている。日本は空き家だらけで今後も増え続けるし、お金を出してでも買い取ってほしい物件は山のようにあるらしい。(「負動産時代‐マイナス価格となる家と土地‐」朝日新聞取材班より)
東京は人口が増えすぎだ。地方とはいえ金沢や広島や仙台などは都会だし交通の利便性もとてもよい。好きなところで好きなように生きていく。誰かと比べる必要もないし、落ち込む必要もない。お金がなかったらクラウドファンディングという方法もある。生活費の安い地方に移住して引きこもりながらリモートで働く方法もまた面白い。ネット回線無料の物件も増えてきた。専門家じゃなくても、いろんなアイデアはネットに転がっている。世界は広いし生きている限り可能性は無限である。

ピアサポートという職業

最近「引きこもりや病気の経験を活かしたくてピアサポートがしたい」という人が多いという。実は私もその一人だった。精神保健福祉士の資格も取った。数々の勉強会や泊りがけの講座にも参加した。しかし今は間接的なサポートはしたいと思うが、直接的なサポートをしたいと思わない。それはなぜか?
私自身が人に影響を受けやすい性格であることを自認しているからだ。
職業としてお金を稼ぐために割り切ることができるタフな人であればよいが、私にはそこまでの余裕がない。人間は健康なものを好む。だから健康になったら非情と思われるかもしれないが、病気の人との関わりは最低限にとどめる。引きこもりの経験を活かしピアサポート職に就いたものの、燃え尽きたり、職員と当事者の板挟みになったりして潰れる人もいるという。それでもピアという職業は今後増えていくだろう。困っている人の愚痴を聞くだけでも立派なピアだし、買い物の手伝いをするのも立派なピアである。ひとりの人間としてできることをする。できないことはしない。そんなシンプルな生き方でいいのかな?と最近思う。

命を絶った柴田さんのこと

池上正樹著「ルポ・ひきこもり未満」の序章と第10章で登場する柴田さんはリーマンショックの影響で職を失い格安の事故物件を転々とし、貯金のなくなる「3ヶ月~4ヶ月後に自殺する」というメールを池上氏に送り、実際自殺している。彼が何もせず自殺したのではなく、当事者主体の引きこもり支援に積極的に関わって「経済的問題」に特化した会を開催している。単なるしゃべり場ではなく闊達な議論を重ね「居場所格差」の問題を提議している。実に聡明な方なのに生活保護を受給すると「後始末が大変になる」という理由で受給しなかった。柴田さんが生きる術はなかったのか。池上氏は著書の中でこう述べている。

「ひきこもり」状態などの社会的孤立が深かった人にとっては、居場所の手前のようなものが必要だ。弱者になると、どんどん弱者にされていく。一度弱者に落とされると這いあがれなくなる。公的な人たちも守ってくれず、一緒になって責められたり、傷つけられたりする。そんな国民性なのかもしれないとも思う。

這いあがれない社会。悲しいけれど現実はそうなのかもしれない。希望もない、お金もない、信じる人がいない、住処がない…ないものが増えていくと絶望しかなくなる。まじめな人は自分を追い詰める。迷惑をかけまいと必死になる。

それでも生きていく

私はそれでも「生きていれば何とかなる」ということを伝えたい。社会的資源を大いに活用し、働かなくても生きていく方法があればそれを実践し、心身の限界(寿命)が来るまで生きることを勧めたい。いじめられて学校に行けなくなったら学校なんて行かなくてもいいし、ブラック企業でこき使われるくらいだったら理性のはたらくうちにさっさと辞めたらよいと思う。心が疲れたらとことんゆっくりすればいいし、誰とも会話したくなかったら食材はネットスーパーを利用し、自分の殻に閉じこもるのもアリだ。幸い日本はインフラが整っているし、セーフティーネットもあるのでなんとかなる。誰かと話したくなったら、無料の相談ダイヤルやチャットもある。自分本位で生きていく、そう決めてから私は随分楽になった。生きていればいいことがあるとは言えないが、生きていることは尊い。私はそう思う。

長文を読んでくださりありがとうございました。



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