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【ひきこもり】あなたの人生はあなた自身が決める あなたが生きているということそのこと自体が尊いのだから

こんにちは。

一般的に「作業所」というとどういうところを思い浮かべるだろうか。

何ですかそれ?という方もいれば福祉関係者や利用経験者はかなり詳しく回答できると思う。

一言でいえば「障害者の就労支援を促進する事業所」のことである。

障害者総合支援法における就労系障害福祉サービスの種類

主に事業所といっても3つの種類がある
・就労移行支援事業
・就労継続支援A型事業
・就労継続支援B型事業

この3つの違いについて説明すると以下のとおりとなる。

・就労移行支援事業
就労を希望する65歳未満の障害者で通常の事業所に雇用されることが可能と見込まれる者に対して、①生産活動、職場体験等の活動の機会の提供その他の就労に必要な知識及び能力の向上のめに必要な訓練、②求職活動に関する支援、③その適性に応じた職場の開拓、④就職後における職場への定着のために必要な相談等の支援を行う。

・就労継続支援A型事業
通常の事業所に雇用されることが困難であり、雇用契約に基づく就労が可能である者に対して、雇用契約の締結等による就労の機会の提供及び生産活動の機会の提供その他の就労に必要な知識及び能力の向上のために必要な訓練等の支援を行う。

・就労継続支援B型事業
通常の事業所に雇用されることが困難であり、雇用契約に基づく就労が困難である者に対して、就労の機会の提供及び生産活動の機会の提供その他の就労に必要な知識及び能力の向上のために必要な訓練その他の必要な支援を行う。

「厚生労働書 『障害者総合支援法における就労系障害福祉サービス』」より

何を言っているかこの文面では分からないのでサックリと説明すると、

・就労移行支援事業=>2年以内に企業で一般就労したい人向け
・就労継続支援A型事業=>事業所と直接雇用契約を結び最低賃金で働きたい人向け
・就労継続支援B型事業=>まだ働くのには早いと判断された人向け

この支援サービスは自分で選べるのにも関わらず、福祉関係者は決まって「B型から始めましょう」と言ってくる。福祉の世界というのは特殊で、役所や就労支援センター、生活支援センター、相談支援センター、精神保健福祉センター、ハローワーク、事業所、病院(クリニック)と異常なくらい横のネットワークが強く個人情報をこのグループで共有している。あるところに相談に行ったらその情報は駄々洩れになると考えてもらってよい。そのくらい異常な連携プレイなのだ。

一日も早く働きたい。なのになぜ働けないのか

私はとにかく働きたかった。最短コースで働ける道を探していた。ある相談支援センターに行ったところ、時期尚早と冷たくあしらわれた。まずは今できていないことを徹底的に洗い出された。自分の長所短所の洗い出しどころか、いち社会人として私のダメなところを突いてくる。こうして自尊心を失わせてデイケアや作業所に放り込むシステムなのかとかなり不信感を抱いた記憶がある。

どこへ行っても跳ね返される。例えばハローワークへ行っても「医師の許可を得てください、こちらが診断書と現況書です」とA4用紙を渡された。医師の診断書をもらうのにはお金が必要だ。場所にもよるがだいたい安いところで3,000円から高いところは5,000円くらいする。医師がすんなり書いてくれればよいのだが、そこで精神保健福祉士が絡んでくる。やれ生活のリズムがどうだとか、いきなり働くとすぐにダメージを受けて辞めてしまうとか、予防線を張るばかりでまったく先に進ませてくれない。働きたいという気持ちと働けないという苛立ちが募っていって、焦りが爆発しそうだった。

福祉関係者を批判するつもりではないが、状況が改善されない苛立ちの矛先は次第へ私に関わるすべての医療・福祉関係者に向かっていくようになった。

誰も信じられなくなっていた

ある日面談があったため支援センターへ向かった。私の今の状況を鑑みるとB型作業所からゆっくり慣らしていき、最低2年くらいかけて一般就労ができるように時間をかけてやっていきましょう、というものだった。

最低2年!!

閉口した。なんてことだ。2年もおままごとをしなければならないのか。その2年間当然歳を取り、その頃にはもう就労なんてどうでもいいから平和に暮らしたいとか思ってしまうかもしれない。これはいかん。私は福祉の世界で飼いならされた犬みたいに生きなければならないのか。

最低2年というのはにわかに信じがたかったが、作業所経験者への聞き込みを開始したら、2年どころではなく、3年や5年、10年以上なんて人がゴロゴロいた。なぜそのように長期にわたって作業所通いが漫然と続いたのかというと、それは仕組まれたものだったからだ。障害者と呼ばれる人は素直で言うことをきちんと聞く人が多い。世間ずれをしていないといってもいいのだろうか。支援者と呼ばれる人の言うことをきちんと聞く。だから「まだ就職はちょっと早いから、少しずつやっていきましょう」と甘い言葉をかけるのだ。それは作業所への依存と、もう就労は不可能だろうという固定概念を植え付ける作戦なのだ。

平成25年度の厚生労働省障害福祉課が発表したデータを見ると、就労継続支援事業について、1年間に1人も一般企業への就職者が出ていない事業所は、A型事業所で約7割、B型事業所で約8割となっている。

こんなことがあるのか。何のために事業所に行くのか。工賃という手当(時給100円~350円位)で釣りながら、事業所は国からたんまり報酬を貰っているのである。報酬単価は519単位/1日、つまり1人利用者が来所するだけで国から5,190円が貰えるのである。だから事業所は1日1時間でいいから「毎日通うように」と言ってくるのである。結局就労に結びつくような仕事ではなく、ままごとのようなことを大の大人にさせてそのまま何年も何十年も居続ける人が増えていくのである。

囲い込みをする事業所の横行

おいしいビジネスである。囲い込みをする事業所が増えるわけである。そんな事業者の犬になっていいのか。自分の人生を犠牲にしていいのか。貴重な時間はどんどん失われていく。そのような主体性のない事業所に行くうちに、目の輝きを失った人と一緒に負け犬トークでも咲かせるつもりなのだろうか。私はそんな人生は嫌だ。自分の道は自分で切り開きたい。

福祉に関してある程度勉強したつもりだ。しかし机上の勉強と実際の現場は全く違うものだった。膨大な教科書は社会に貢献した人の実績や歴史的事件が詳しく書かれていた。福祉の世界を志す人は、人のため、世のため、自分のために自己研鑽を怠らず、「自己覚知」を常に心がけるというとても崇高な理念を持った人ばかりだと思っていた。だって実際教科書にそう書いてあったから。

しかしながら福祉の業界にいる人は、はっきりいって無知の塊だった。大学なり専門学校を出て一度も会社で働いたことがない人が人の支援をする。枠にあてはめて異口同音に「働くのはまだ早い」と就労を引き延ばしにする。安全策ばかり考えて結局何もしない。なまじっか頭でっかちだから障害や症状をひとくくりに捉える人も多かった。人間は一人一人違う。育った背景も抱えている悩みも未来のこと、全部人それぞれ違うのだ。それをまったくわかっておらず、やれ自己理解だなんだの言って、安全な世界に閉じ込めようとする。チャレンジして失敗して傷ついて人間は強くなるのだ。なぜ失敗経験をさせないのか。意欲のある人の足を引っ張ろうとするのか。本当に理解ができない。私は福祉関係者が大嫌いだった。

そのような道を志そうと考えて会社を辞め、専門学校に通い、2年のスクーリングとレポート課題提出と1ヶ月の実習と国家試験をパスして精神保健福祉士の資格も取った。しかし何の役にも立っていない。むしろ履歴書に書きづらい。何の役にもたたない名称独占資格。一度は憧れたこの職業に対してかなり意欲を失っていた。

自分の道は自分で決める。そう決めてからはもう早かった。

この先2年もかけておままごとをやっていたら私は何歳になってしまうのだろうか。

私の心の中は怒りで煮えたぎっていた。

就職活動の始まりと終わり

就職活動を始めた。

まずやったことは履歴書と職務経歴書を書いた。事例はネットを参考にしてパソコンで一気に書いた。綺麗に書こうとか体裁がどうとかどうでもよかった。とにかく伝わればいいんだ。多少文体がおかしくても面接まで行けばなんとかなるだろう。

そして転職サイトを毎日見た。仕事の内容は厳選せず、絶対にやりたくない仕事以外は全部候補に入れた。また「転職会議」という口コミサイトにも登録をした。このサイトは現役または退職した実際の社員の口コミが載っている貴重なサイトである。最初は自分の情報を提供しなければいけないが、生の声はとても参考になった。一番最初に見たのは登録の段階まで進めていた該当のNPO法人だった。法人名を検索すると罵詈雑言の口コミが出てきた。やっぱり福祉業界は腐っているのか、このNPO法人が怠慢なのだろうか。「なんだ、そういうことか」と腑に落ち、私はその次に気になった会社にネットで片っ端っから応募をした。最近のサイトは簡単で、ネットで複数社クリックして「かんたん応募」などのボタンを押すだけだ。こんなに楽なのかとびっくりした。ほどなくして、私の携帯に電話が鳴った。「株式会社〇〇ですが・・・」そこで電話面接をし来週面接に来てください、という約束を取りつけた。次々と電話が鳴る。私のスケジュール帳はすぐに面接の予約でいっぱいになった。

その日、午後少し昼寝をしていたら最初に連絡のあった会社から「もしよろしければもう少し早く面接に来れませんか?」と電話があった。既にスケジュールが埋まっていたため、「もう既に予定が詰まっておりまして。今日の16時以降しか空きがありません」と伝えた。すると「では16時にお待ちしております」と言われすぐに着替えてその会社の地図を片手に急いで向かった。

最初に筆記試験、パソコン操作のテストがあった。長いこと脳みそが動いていなかったので、計算問題が危うかったが何とかパスして、面接でいろんなことを話された。聞かれたというよりもその社長のビジョンとか展望とかを熱く語られた。ひどく疲れてその日はすぐに横になった。

3日後、連絡があり採用になった。

その他にも受けた会社があったが、最短ルートで就労したかった私は採用の結果を待たずその会社に入社することが決まった。

行動力こそすべて。行動することで自分の人生は変わる

就労しなければ!と思い立ってから1週間も経っていない。この行動力こそが私の強みだと自負している。あの強烈な焦りがなければ、私は今頃工賃100円で働かされる運命を辿っていたかもしれない。だから私が特別だとかそいうことではなく、今何とかしたい、働きたい、と思っている人は今すぐ行動するのをお勧めする。いつか…と後回しにしていても、そのいつかは誰かがセッティングしなければ一生訪れない。自分の人生なんだから自分の好きなようにすればいい。誰かの言いなりになって無為な時間を過ごすのであれば、それを絶対に言い訳にしてはならない。その誰かの言うことは正しいとは限らない。

私はその会社で無我夢中になって働いた。向き不向きなんて入ってみないとわからないのだから。ミスの連発、パワハラはしょっちゅうだった。現実は甘くないのだな、と感じ、会社から帰ってから殴り書きのメモをノートにまとめて、日記まで書いていた。

あれから何年経ったか。私は会社の中で「主任補佐」として働いている。実際には主任が辞めてしまったので実質的に「店長補佐」である。

あの時2年の時間を無為に過ごしていたらどんな人生になっていただろう。
今となってはあの原動力を行動力に変えることができて本当に良かった。就労の準備に2年なんて必要ない。何を根拠に2年も面接の練習や履歴書の書き方や、何の役にも立たない作業をさせられないといけないのか。今の福祉は終わっている。

この文章をここまで読んでくださった方は、きっと今の人生に納得のいかない思いをしている方だと思う。そうでない人も聞いて欲しい。

“Nothing About Us Without Us” (私たちのことを、私たち抜きに決めないで)

かの有名なデビッド・ワーナー氏の言葉である。1965年よりメキシコ西部の山村で地域保健活動に取り組み、世界各地で地域医療とリハビリテーションの分野におけるパイオニア的存在だ。

自分の人生は自分で決める。誰の人生でもない。

あなたはあなたのままでいい。誰かにコントロールされる人生だったら早く逃げたほうがいい。

人生は続く。失敗や苦しいことの連続だ。でも行動することで希望や道は広がる。行動がなければそれらは永遠にそのままだ。

あなたの人生が豊かになるよう、誰のものでもない自分の人生を生き抜いてほしい。あなたが生きているということそのこと自体が尊いのだから。(傷つくことが怖い人はこちらの記事もご覧いただけると幸いです)

「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」(堀江貴文)
                   近畿大学卒業生へのスピーチより


最後まで読んでくださりありがとうございました。


ありがとうございます!あなたに精一杯の感謝を!いただいたサポートはモチベーションアップに。これからの社会貢献活動のために大切に使わせていただきます。これからもどうぞよろしくお願いします。