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【映画】携帯電話が繋がらない世界【めがね】

こんばんは。

新型コロナウイルスの影響で経済ダメージは予想以上となった。世の中は「中止」と「自粛」の二文字が躍っている。

ここまで世界的なパンデミックに日本人として得体のしれない脅威と不自由にならざるを得ない生活を強いられると精神的にもおかしくなってくる。

きっとそう感じているのは私だけではないだろう。

とりわけ世間の関心事というのはセンセーショナルに伝達されがちである。今回のコロナウイルスの件もしかり9年前に起こった東日本大震災の時もそうだった。

計画停電のためガソリンスタンドには毎朝長蛇の列をなし、ドラッグストアに陳列されたカイロや電池は一気に品切れになった。買い溜めという行動様式は日本人の安心感を満たす言葉になっていた。

だから必要以上にテレビなどを観ないようにしている。世の中の人がどのようにして過ごしているのかはわからないが、できるだけ自分の日常を崩さないように防衛している。

情報のシャワーを浴び続けると疲れてくる

それでも入ってきてしまう情報の類は仕方のないことだ。とりわけSNSからの情報は無秩序に入ってくる。ニュースが目に入ってこないように紙の本を読むというのが一番無難かもしれない。

私はSNSの使い方が下手くそなのかもしれない。ついついTwitterのトレンドなどを見てしまいそのタグを追いかけて無駄な時間を消費している気がする。ファボ(いいね)も気になってしまう。だからやめるタイミングを見失う。

私はホリエモンみたいな賢者ではないから情報のシャワーを浴び続けると疲れてきて頭が痛くなる。だから実業家やビジネスに精通している人はすごいなと思う。

自分だけのセーフティーゾーンを確保する

頭がパンパンになった時自分の安全地帯を確保ことが必要となる。そこは絶対的な安心感と誰にも侵すことが許されない自分だけのセーフティーゾーン。刺激物お断りのぬるま湯エリアと言ってもいいかもしれない。

結局自分を護ってやるのは自分しかいない。

そういう時に聞く音楽や映画の類はいつもワンパターンである。このパターンを崩さないというのが私のポイントでもある。

音楽に関しては日本語の歌詞が突き刺さってダメになる。だから音楽配信サービスに保存してあるワンパターンのマイリストから同じ曲をエンドレスリピートする。少しマシになったら同じジャンルの別のアーティストの曲に切り替える。そうして徐々にアップテンポの曲やに邦楽に切り替える。

映画に関しては風景を眺めるようなゆるい映画を観続ける。観るというより流す。

映画『めがね』にある「そこ居ていい」という非日常

大抵お決まりの映画があって、2007年に公開された荻上直子監督の『めがね』という映画が一番のお気に入りだ。

程よく刺激がなく、かといって退屈をすることもない。何十回観てもやっぱりいい映画だよな、と実感する作品である。キャッチコピーは「何が自由が知っている」。

「めがね」のあらすじなどはサイトや予告編などを見てもらえばわかるが、この作品のいいところは登場人物それぞれが個を持ちながらも冷たく突き放すでもなく馴れ合うのではなく互いを尊重しながらまるで空気のように「そこに居ていいんだよ」というゆったりした関係性を築いていることである。

旅に出るといろんな人がいて、しつこい人は「どこから来たのか、何しにきたのか。明日はどうするのか」を聞き出す人がいる。旅の目的など人それぞれだしノリも大切だが一人になりたい夜もある。

若い時はそういうノリで夜な夜な飲むことも多かった。もう今はそのような気力もない。できればゆっくりと一人で休みたい。

たそがれることに慣れるとは

めがねの舞台は鹿児島県の与論島である。ヨロン島とカタカナで表記されることも多い。与論島は沖縄ほど賑やかではないし観光といっても見どころがそんなにあるわけではない。

その観光地ではない与論島でたそがれる大人たち。たそがれることに慣れていない主人公のタエコ。そこでの光景に耐えることができず別の宿に移ろうとするが、そこで行われているのは共同で農作業をしましょうという宗教じみた光景であった。

結局タエコはその宿に戻ることになる。その道中迎えにきてくれたサクラさんの自転車の荷台に乗るため大きなスーツケースを捨てていくことになる。

「そんな大きな荷物の中にいったい何が入っているの?」と誰も言わないがそういうことだった。

ここは携帯電話が通じないの。いいでしょ、いいんです。」

そう笑顔で頷きながら話す宿のオーナーのユウジさん。携帯電話が繋がらないからこその愉しみや自分との対話が実現できる。そんな堅苦しいことではないが電波が繋がらないというのは必然的に依存するモノが減るということだ。

そうしてタエコは徐々に島の生活に馴染んでいく。

朝起きてメルシー体操をし朝食を摂る。思い思いに過ごし夜は星空を眺めながらビールを楽しむ。そんな光景が2時間近く続く。

だから安心して観ていられる。自分の脳のリソースを摩耗することもなくジワジワと回復する。眠くなって寝落ちすることもしばしば。それもまた良し。

情報に対してセンシティブになっている時こそ意識的にたそがれを

疲れている時や弱っている時に新しい発見やらチャレンジやらは置いておいて、自分の心地いい空間をできるだけ死守したい。自分を護ってあげることで回復する力を高めていきたい。

自己啓発本などを読むと疲れてしまう時はたぶん何をしてもうまく行かない時だと割り切って私は何もしない。というか何もできないという表現が正しい。

「今疲れているなぁ」と感じている日本人は多いのではないか。それだけ情報に対してセンシティブになっている証拠だと思う。

だから無理をして年度末を頑張って過ごすことではなく肩の力を抜いて意識的に「たそがれる」ことも必要だと思う。少なくとも私の場合は特に。

非日常を日々過ごすとういうことは疲れるものだ。

心地いいことは何ですか。ココロが解ける空間はどこですか。

スタバのさくらアリュールティーラテを飲みながらそんな一日を終えようとしている。

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