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今日が人生の転換点~「生きづらさ」から「生きやすさ」へ

私を変えてくれたもの。それは「気づき」と「出会い」だった。今まで生きづらさに悩み、長年苦しんでいた理由が自分にあったことにようやく気づく。これまでの苦しみから解放するまでの数々を綴ってみた。

1.生きづらさの原因さがし

なぜ生きづらいのか。
転職を何度も繰り返し、私はもう二度と社会に適応できないのではないのかと思って、ずっと部屋にひきこもっていた。
人と関わりたくない。
誰とも話したくない。
原因探しばかりを繰り返し、スマホやネットで「検索」をしまくる日々。
いつになったらこの状態から脱却できるのか
まったく目途がつかず、どんどん焦りが大きくなる。
原因は何なのだろう。

さまざまな身体症状との闘い

そして次第に身体症状が現れる。
吐き気、めまい、頭痛、不眠。
特にしつこいのが不眠。
何日何日も中途覚醒、早朝覚醒に悩まされる。
これは非常に辛い。
どうして眠れないのか。
頭の中で思考がぐるぐると回り続ける。
何をやってもダメな自分を責め、落ち込み、自分のことを「世界一のダメ人間」だと思い込んでいた。

そして寝たきり状態へ

人生とはなんて不公平なのか。
どうして私ばかり酷い目に遭うのか。
他人が羨ましくて仕方がない。
SNSを開くことすら怖くて仕方がない。
そんな日々を長く過ごし、ついに寝たきり状態へと陥る。
トイレに行くのが精いっぱい。
ベッドから這い上がって壁づたいに用を足す。
聴覚過敏でにおいが気になり、気合いでなんとかお風呂入る。
そして疲れ果てる。
それなのにどうして眠れないのだろうか。

激しい焦燥感と不安

寝たきり状態が続き、次第に焦りが激しくなる。
「この先の人生、ずっとこのままなのだろうか」
「このままでは若年性認知症どころか"フレイル状態"になってしまう」
真っ暗なトンネルの中を彷徨い、絶望感に苛まれている時、ある動画をきっかけに、精神科医の樺沢紫苑先生の本と出会う。

2.はじめの一歩は朝散歩から

樺沢先生の著書『ストレスフリー大全』によると、うつに効くには「睡眠・運動・朝散歩」が効果的だということを知った。
しかし、寝た切り状態のうえ、睡眠も運動もできない自分。
そういえば、母親がよく散歩に連れていってくれたことを思い出す。
まずは自分に出来そうなことからやってみる。
顔を洗って片道15分の散歩道。
できたことが単純に嬉しくて仕方がない。
それから、少しずつ距離を長くしたり、歩くスピードを速くしたりの試行錯誤の日々。
疲れて寝込む日もあったけれど、徐々に体力がついてくることを実感した。

ある一枚の名刺がきっかけに

とにかくどこか外に出かける用事を作らなければ。
焦りがますます募る。
スマホやネットの検索だけでなく、公民館や公共施設、図書館などに出かけ、自分が気軽に参加できそうなイベントや講演会を探しに行く。
なかなか見つからず、ボランティアセンターやサークル活動にも行ってみる。
最初はシニア向けの歴史の講演会に行き、人の多いところに慣れるようにした。
講演会の内容に興味がなくても構わない。
とにかくどこかへ行く予定をつくる。
そしてたくさんの情報を集め続けた。

傾聴カウンセラーとの出会い

ある一枚の名刺が私の人生を変えた。
私は自死遺族であり、たまに自治体が主催している「わかちあいの会」に参加していた。
しばらく参加することをためらっていたが、たまたま予定が合い、勇気を振り絞って参加してみることにした。
わかちあいの会とは自死遺族当事者が、安心・安全な場所で思いを話せる場のことである。
参加したその日は交流会があり、当事者だけでなく、支援者やその他の理由で身近な人を亡くした方も参加することが可能な日だった。
そのとき、熱心にメモを取っていた細身の男性が目に入った。
勇気を出して名刺をいただくことができた。
久しぶりにいただいた紙の感触が忘れられない。
その肩書きには「傾聴カウンセラー」と記載されていた。
どんな活動をしているのか興味を持ち、連絡を取って会うことになった。

当事者会への参加

連絡を取り合い、1週間後、会議室で会うことになった。
初めてお会いした日より柔和な表情に親しみを感じた。
この活動を始めたきっかけやいきさつ、さまざまな経験を2時間にわたり語ってくださった。
私の体験も語り、ひさしぶりに丁寧にうなづきながら、話を聴いてくださったことに心が救われた気がした。
ずっと孤独だったから、人と話したこと・話せたことに嬉しさを感じることができた。
そして、ひきこもりや生きづらさを抱えた「居場所」の存在を知る。
その「居場所」は思ったより多く存在し、おすすめの「居場所」を教えてくれた。
ひきこもりとは、家から一歩も出れず、お風呂にも何週間・何ヶ月単位で入れない人のことだ思い込んでいて、私はそのとき「ひきこもり」であることを自認することができなかった。
誘われて行った居場所は、居住エリアの近くの社会福祉協議会が運営していている当事者主体の闊達な人が集まる場所だった。
思っている印象と違っていた。
少しずつ仲間が増えてくると見えてくるものがある。
生きづらさを抱えた仲間たちは、そのエネルギーを行動に変え、自分ができることをする『希望の輪』が生まれていた。
輪を造る居場所の存在にいい意味でのカルチャーショックを受けた。
まさに生きづらさを抱えた人のエネルギーを昇華する場。
才能をアイデアやカタチにする力。
創造力を誰かのため捧げる優しい心。
そんな好循環の輪が生まれていたのであった。

3.人生の転換点~「生きづらさ」から「生きやすさ」へ

自分も「居場所」を作りたい

いろいろな居場所に参加させてもらい、少しずつ、私の「居場所」が増えていった。
人生の折り返し地点といっても過言ではないだろう。
居場所での出会いが、自分の凝り固まった思考や言動を変えるきっかけとなった。
居場所づくりに関わりたい。
そして、いつか自分の「居場所」を作ってみたい。
そんな夢を抱くようになってきた。
ある日、ボランティア通信を見ていると、新規のボランティア活動が立ち上がった記事が目についた。
立ち上げた方は同じ自死遺族の当事者。
自身の経験から、孤独を抱える人が思いを話す場、気持ちを話す場所づくりを作り上げようとしているとのこと。
ぜひ一度お会いしてみたいと思い切ってボランティアセンターに連絡した。
それから、連絡を取り合い、新規のボランティア活動の仲間の一員として快く受け入れてくださった。
嬉しかった。
私だけの「居場所」ではなく、みんなの「居場所」が作ることに携わることができる可能性に。
「出会い」の数々が重なると好循環が生まれ、更なる人生の転換点となる。
人生とは不思議なものだ。
絶望から希望への転換点はまさに”ココ”にある気がしてならない。
そんな風に思えたのは、生まれて初めてのことだった。

認知行動療法とカウンセリング

現在通っている病院では、診察とカウンセリングをおこなっている。
カウンセリングの治療として、主に認知行動療法を受けている。
樺沢先生の本だけでなく、いままで大量のメンタルヘルス関連の本を読んできた。
メンタル疾患は薬だけで治るケースはめずらしく、生活習慣の見直しが重要なのはどの本にも書いてあること。
カウンセリングは相性が合わないと、かえって逆効果になるのがネック。
幸いなことに、今の臨床心理士の先生とはとても相性が会う。
話しやすく表情も明るい。
聴くだけでなくフィードバックももらえるため、モチベーションアップにも繋がる。
認知行動療法の実践と心理学を学び、ひたすら自分との向き合う作業を続ける日々が続く。
向き合うことは辛い。
辛い作業を続けると副作用として、再び激しいめまいや葛藤、感情の放出が止まらず嗚咽するほど泣き続けた。

気づきと発見、反省と後悔

過去にしてきた数々の言動を振り返り、自分の癖や認知の歪みに気づく。
ここまで来るのに45年もかかってしまった。
ここで気づかなかったら一生同じことの繰り返しになるだろう。
「治したい」という強い思いが、人生の転換点となった。
過去にお世話になった方々に連絡が取りたくなり、タイミングを見てアプローチしてみた。
手紙を書いたりはがきを出したりメールをしたり。
言葉を選んで丁寧に、そして責任を持って大切な人に連絡をする。
嫌われて疎遠になってしまった友達。
謝りたい人がたくさんいる。
感謝の気持ちが泉のように湧いてきた。
気づきと発見。
反省と後悔。
この繰り返しの作業はとても辛い。
しかし、自分に向き合う作業をしっかりしなければ、前に進むことはできない。
これからの人生のために。
自分のために。
人のために。
家族のために。
みんなの姿を思い浮かべると涙が止まらなくなる。

4.徹底的に自分と向き合う

激しい葛藤との闘いの末に

毎日毎日激しい頭痛に悩まされ、苦しい日々を過ごす。
頭に思い浮かんだことを付箋に書き、ふたたびそれを読み返す。
ノートやメモはたちまち言葉で溢れかえる。
居場所の仲間と話した言葉、親友との懐かしいやりとり。
自然と心が温まり、激しい葛藤の末に一筋の光が見えてきた気がした。

寄り添い合い、支え合う

精神保健福祉士の資格を取得したのは17年前のこと。
身内の死をきっかけに、自分は変わらなければならないと吐くほど猛勉強して資格を取得した。
その経験を思い出し、一旦原点回帰してみようと立ち止まる。
しかし、気がつくとまた、記憶の数々をノートに書き出す作業を何時間何時間も続ける自分が愛おしい。
福祉のイメージは優しく丸い。
つながりを大切に、寄り添い合い、支え合う。
そんな社会になってほしいと思って勉強を続けていたあの日。
自ら死を選んでしまった身内を、どうか忘れないでほしいと訴えたあの日。
助けてあげられなかった尊い命。
その命をつなぎ、支え合う日本の社会に期待したい。

社会貢献活動がしてみたい

社会への期待だけでない。
自分自身も社会に貢献したいという強い意欲が湧いてきた。
ただ、意欲だけではどうにもならない。
自分が変わり行動するしかない。
誰かのために生きるのが人間社会。
自分のためだけの人生はもうやめた。
東日本大震災のボランティア経験を思い出し、数々の傷ついた人たちの表情を回想する。
あの時はまだ若く未熟で、誰かのためというよりも自分のためにボランティアをしていたことに気づく。
今は違う。
お金のためだけでなく、誰かの役に立ちたい。
そんなことを思っている自分が居るのだから、人生は不思議だ。


5.人生を諦めていた自分へのメッセージ

あの日。
44歳の誕生日。
「44歳からは余生」
メモ帳に残されていた言葉をあらためて読みかえす。
私にはまだ時間もある。
体力も少しずつ取り戻していけばいい。
長生きすればするほど、社会貢献活動に参加できる。
将来、誰かを支える活動がしたい。
だから、どうか自分のペースを周りの人びとと合わせて、協調性を身につけてほしい。
辛かった。
頑張った。
もう頑張りすぎる人生はやめた。
これからは、人のために生きよう。
今まさに人生の折り返し地点に立ったところ。
「ありがとう」と「感謝」の気持ちをこめて。
これからの人生を充実したものにしていくのは自分自身の力なのだと、苦しんでいる人々に伝える活動をしていきたい。



ありがとうございます!あなたに精一杯の感謝を!いただいたサポートはモチベーションアップに。これからの社会貢献活動のために大切に使わせていただきます。これからもどうぞよろしくお願いします。