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【読書感想】「光の痕」島口大樹

「光の痕」の舞台は、海沿いの地方都市。主人公の章(あきら)は生まれながらにして色覚に異常があり、それが原因で幼い頃からいじめを経験し、高校も数日で中退、アルバイトをしようにもなかなか上手く仕事をこなすことができず続けることができないでいた。旅館を経営する祖母のもとで暮らす章のもとに、昔大きな事件を起こし逮捕され刑期を終えても戻ってこなかった元漁師の父親が戻ってくる。父親が地元に戻ってきた背景には、この街の再開発の噂が関係していた。

「光の痕」を読んでいる最中に頭に思い描くのは、田舎の空にいくつもの重なったグレーの雲が広がった景色だった。

そのような重い雰囲気をもたらしている要素の1つが、自分の住む街に囚われているようにも見える章の姿だった。章にとっての地元は良い思い出と呼べるようなものがなく、旅館を経営する祖母と暴行事件を起こしどうしようもなくなって突然消えた元漁師の父親の影が常につきまとう場所であるように思えた。

先天的に色が見えない章は、眼のせいで父親と同じ漁師という仕事もできず、他の仕事でも色が見えないことから続けることが難しかった。これらのことで一緒に暮らす祖母からは疎まれるようになっていった。

そんな章の数少ない居場所となっていたのが、初めての彼女の栞と写真だ。章の写真家になりたいという密かな夢のきっかけとなったのも、栞が章の誕生日にプレゼントしたフィルムカメラだった。カメラを手にした章はこれまでにない高揚感を覚える。

どうしてもっと早く自分で思いつかなかったのだろう、と彼は思った。その写真たちは、自分の眼に映る光景に最も近いものに感じられた。はじめて自分の見え方が、他人の見え方と重なる気がした。その通路が開けた気がした。(P99)

文學界 2022年12月号

章にとって写真は何だったんだろうか?それは自分と世界を繋ぐものだったのではないかと思う。色が見えない章にとって白黒の写真は他人と共有できる世界だった。章の撮影していた街と栞にもそのような意味があるのではないだろうか。しかし章はいつしか写真を撮影しなくなっていく。

 けれど、いつしか撮れなくなった。撮りたい気持ちはあったが、そこに写るのはどこまでもいつもの街だった。そんな景色へ向けたレンズに飛び込んでくる光が、巡り巡ってすべて今の自分の生活に束ねられていくように感じられた。反射して跳ね返ってくる視線が、身動きの取れない自らの立ち位置で象を結んだ。だから、ここでは駄目だった。どこかに行く必要があった。(P99)

文學界 2022年12月号

そして街を撮影することはなくなっても撮影し続けていたのが栞だった。しかしその栞が東京に行こうとしていることを知った後は、栞も撮影しなくなる。

街を撮影できなくなったのと同様に、東京に行くことになる栞を通して章は自分が今の状況に囚われていることを意識させられたことで写真を撮れなくなってしまったのではないだろうか。

カメラや写真の他にもう一つ気になったキーワードが「羽虫」。祖母の経営する旅館で生活している章が浴場を清掃している時に、壁のタイルに押し潰されて死んだ羽虫が何度か描かれている。ところどころで描かれるこの羽虫は何を表現しているのか気になってしまった。

浴場はいつも章が掃除していると父親が入ってきて言葉を交わす二人だけの場でもあった。章はこれまで気にならなかった羽虫の存在が気になり出し、羽虫の死骸を掃除したスポンジでタイルを磨くと死骸の粒子を塗りたくっている感覚を覚える。突然意識の中に入ってきて、綺麗に消し去ろうとして目に見えなくてもその存在を自分の中で意識してしまうのが、突然帰ってきた父の存在に重なって見えないでもなかった。

章は浴場で二人きりになったタイミングで、父親になぜ戻ってきたのかを訪ねる。このシーンは物語の中でも父と子の会話として際立っており、だからこそなのかその後に続く章の内省のシーンがより印象残った。

色が見えていたら、そうはなっていなかったかもしれなかった。
 章は自分の眼を想った。色が見えないこともまた、色が見えることと繋がりがないように思われた。その間にグラデーションは存在していなかった。色が見えないことは、色が見えることと対置されていた、隔絶されていた。人々が共有しているとしている世界から、切り離されたところに彼はいた。
 章は考えを巡らせ、血筋だ、と思った。唯一自分が末端として存在しているのは、家系においてだった。その意味で、父は二重の父だった。血が流れてきた先であり、仕事が回ってくるかもしれない先だった。もし父が今回の件で誰かに何かを頼むのであれば、やはり自分しかいないと彼は感じた。(119)

文學界 2022年12月号

章は、突然姿を現した父親はどうやら限りなく犯罪に近い仕事をしているらしいことを理解し、父親からそのたぐいの仕事を依頼されやろうとしていることも認識している。その一方で、章は父親と息子として言葉を交わせていたことにどこか満足感を覚えているようにも思えた。章は父との繋がりをどこかで欲していたのだろう。だからこそここで強く「血筋」を意識していたのではないかと思う。

最後にカメラを街に向ける章は、この街からそしてこれまでの自分に解放された青年の姿のように思えた。


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