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【感想】『オン・ザ・プラネット』島口大樹

淡々とした静かな映画を観ているような感覚だった。この小説の何が自分にそういう感覚をもたらしたのかよく分からないし、単に登場人物らが映画を作るために砂丘を目指して旅しているからなのかもしれない。

静かに幕を開ける冒頭も、これから先の物語にじんわりと入っていくようなどこか映画のような雰囲気を持った文章だった。

 どれくらい経ったかわからない。いつからか風の音がしている。その世界を知るためのものはまだそれしかない。近くでか遠くでか鳴っているのはおそらく風の音だがそれも定かではない。何も見えない。音だけがある。でも風は元々音しかない。目には見えない。目に見えているのは風が吹いている証拠だけで、それは風ではない。
P03『オン・ザ・プラネット』島口大樹

こんな冒頭で始まる『オン・ザ・プラネット』は、ぼくとマーヤ、スズキ、トリキの若い四人でぼくの映画を撮影するために軽自動車で横浜から鳥取に向かう。

その道中での繰り広げられるのは、時にに意味無いようであるような、意味あるようで無いような会話。そのどれものがビビッドで、全体の雰囲気やほどよく力の抜けた会話の中に散りばめられた重みのあるような言葉たちがこの作品を好きになった理由なのかもしれない。

そんな彼らのやりとりを読み進めていくと、彼らの鳥取砂丘までの道のりが記憶と言葉を巡る旅なのではないかという気になっていく。

旅の序盤では、植木を視界に捉えたことをきっかけに、昔のトリキとスズキとのやりとりを思い出し、思考を巡らせるぼくは次のように考える。

 どうせ忘れてしまう、と無理に思いこむことで取っ掛かりをつくっても、なにか忘れないようにしようとしたことだけ覚えていて、肝心なその内容のほうはどうせ忘れてしまう。
 言葉を与えて名付づけてみても、思い出せるのはその言葉だけで、名づけるにいたった体験の感覚、感情、は言葉から零れ落ちていて、むしろ名づけた言葉のせいでそのときの体験は屈折して思い出され、その時にはまったく別のものに、もしくは別の角度から見たものになってしまう。
P31『オン・ザ・プラネット』島口大樹

過去を振り返ると、言葉から零れ落ちていった感覚や感情というものはこれまでいくつもあって、それが正確に自分に戻ってくることができないといった悲しさを呼び起こすようだった。そして彼らの旅と同様に、ぼくの頭の中の旅もここから始まっていくのだろうという一文だと感じた。

そんな彼らの旅の途中に、トリキの失踪し弟やマーヤ中学生の時の同じ学校にいたいじめられて自殺したと噂の子など、今生きているかどうか定かではない人物の記憶の話が出てくる。

これらの話題があがった時、それぞれのキャラクターがそれぞれの性格でそ話題と向き合う。ぼくは、「記憶」と「言葉」をテーマに向き合っているようだった。

スズキが唐突に「世界って何なの?」というシンプルな問いから、ぼくは言葉と意味へと思考を巡らし、次のように考える。

 意志の疎通の為に言語が生まれて、人間は長らくそれを使用してきたわけだけれど、手段がほとんど何もない状態か多少マシになっただけで、ぼくらが想像しているよりも遥かに、考えていることを伝える、互いを理解する為に会話をする、というのは途方もない作業で、案外取り零していることの方が多い、ということは往々にしてあるのではないか。
P99『オン・ザ・プラネット』島口大樹

どこかで薄っすらと感じていることを言語化してもらったような印象を受け、頷きながら読んでいた。言葉の力を信じているがゆえ、同時にその無力さを受け入れなければないらない感じがした。

また「当然分かってくれるよね」といった前提で進められる会話や、「分かったフリ」「分かったようなつもり」で終わらせてしまう少し乱暴なコミュニケーションに心当たりがあり、そういった日常のシーンを思い出せた一文でもあった。

そしてぼくは、忘れられていく記憶について次のような考えに至る。

 今、と言う間にもぼくらの両手から零れ落ちていく今、経験していく出来事、そしてその中で五感や思惟を躍動させて得たものは、決して思い出されなくても、それらを経験した肉体や意識という形で還元される。ぼくらは思い出せなくとも経験していて、それは思い出されるいつかの為でもあり、また、数秒前とは違う肉体、この意識を有した肉体がその都度更新され、そこからまた別の事を考え、感じることができる、ということに繋がる。
P140『オン・ザ・プラネット』島口大樹

時間の経過と記憶、経験の捉え方が素直に素敵だと感じた文章。一瞬、一瞬の中に記憶に残せないことがあることを受け入れ、それをはっきりと思い出せなくても、その出来事や経験はどうでも良いことではく、必ず自分のどこかに蓄積していっていることを認識させてくれた文章だった。

ここからは完全に拡大解釈になるが、自分の普段の変わり映えしない日々をつまらないと一言で片付けるのではなく、そんな日々の中で、少しでも感じたこと考えたことに向き合っていくことを大切にしてきたいと思った。

いつものことながらまとまりに欠ける感想になってしまたが、とにかく「オン・ザ・プラネット」はとても好みの1冊だった。読了後に前作の「鳥がぼくらは祈り、」をすぐに購入したぐらい作家島口大樹も好きになった1冊だった。

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