見出し画像

井の中の蛙。~社会人1年目を振り返って~

 いま、社会人一年目を終えようとしています。そんな折に、自分の中では沸々と「こんな人生でいいんだっけ?」という疑念が沸き上がっています。普段の仕事は、やりがいはあるし楽しい。お給料も満足すぎるほど貰える。友人とは心置きなく遊べる。美味しいものにもありつける。そこそこ満足するはずです。

 ただ、自信満々に「満足です!」と言えない自分がいました。就職活動の時には、「世界の人々を幸せにしたいです。」とか、「高校野球の時のように、熱い思いを持って働きたいです。」と言っていました。ただ、今の自分はどうでしょうか。いずれの思いも達成していないように感じます。自分の進んでいるベクトルは、就職活動の時思い描いていたそれとは違う気がします。

 なぜそう思ってしまうのでしょうか。

 最近、「シン・ニホン」という本を読みました。内容は、日本再興の為の教育制度の在り方を示したものでした。具体的な施策案に関しては、なるほどと思うものもあれば、うーん?と思うものもありました。しかし、一番ハッとさせられたのは、この本の著者の視座ででした。語られる問題提起は、最低でも大学/地方自治体単位での話。大きな問題提起としては、日本や地球に関するものがほとんどでした。

 自分とは大きな差がある。そう感じました。普段の生活の中で私の持つ問題意識は、手元の業務にかかわること。自分とつるむ人々との問題。そんなところです。日本がどうとか、世界がどうとか、全く考えられていない自分に気付かされました。これは「Factfullness」を読んだとき、自分がいかに俯瞰的に物事を把握的出来ていないかを思い知らされたのと似ていました。私は、自分の周りの小さな世界にしか目を配れていません。

 大学生の時の方が、視座が広かったのではないだろうかとも思います。海外に出ていき、色々な国から来た人々と会話をしました。サステナビリティに興味を持ち、気候変動にはどのように取り組んだらいいかを考えた。自分にできることは何なのかを、徹底的に考えました。バイトでは、全く異なるバックグラウンドを持つ人々の世界観をしりました。

 「シン・ニホン」の世界観と比べると、また大学生の時の世界観と比べると、この一年間は、小さな世界の中で意思決定してきたと感じます。毎日考えたことは、手元にある業務をいかに効率的にこなすかでした。世界が狭すぎました。大きな世界を見ることを忘れてしまっていました。そんな世界で生きていると、偶々観ることになった「チアダン」で、全米制覇という大きな目標に向かって頑張る広瀬すずに感動する訳なのです。

 なぜ、社会人1年目に満足できていないのか。その答えは、
 視座の低さ
 これに尽きると思います。

 「脱・井の中の蛙」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?