続・下山はると

4歳児クラスの担任を始めて3ヶ月が過ぎると
クラスは完全に崩壊していた

昨年保育リーダーをとっていた力瘤先生の存在がクラスを落ち着かせていたことを感じる
力瘤先生は、楽しくて恐い保育をする先生だった
沢山あそび、豪快に大きな声で笑うが、
子どもが浮き足立つとガラリと表情を変える
そして子どもの両頬を手のひらで音がするくらいの勢いでサンドイッチのように挟む
新人の私は こわい と思った

そんな絶対的な存在が居なくなった今、子どもたちはまさに好き放題だ

あちこちでケンカが起きる
自分を見て欲しくて担任を試す
蓋を開けてみると底なし沼のように求めてくる子どもが沢山いるクラスだった

落ち着かない日々を過ごしている間に
いつも穏やかに過ごしているクラスで一番月齢の低い蘭ちゃんのお母さんから話があった
「関係ないことで傷ができた」
「保育園に行きたくないと言ってます」
「あの子とは遊ばせないでほしい」

子ども全員の気持ちをちゃんと受け止めたかった
穏やかに遊んでいる子も、気持ちの行き場がなく落ち着かない子も
それができていない
いや、できない
涙を流すママの思いが痛いほど伝わってくる
上田先生と一緒に途方に暮れた時
同席した園長先生が「そうよね」「心配よね」と
穏やかな表情で相槌を打つ そして
「蘭ちゃんお家で保育園の話する?」
とお母さんに問いかける

お母さんによると
蘭ちゃんはお風呂で沢山お話するらしい
そこで前は楽しい話が沢山だったのに
最近は嫌だった話の方が多くなっているらしい
話しているうちにお母さん自身も自分の気持ちを整理しているように見えた
きっと蘭ちゃんが言ってることが全てではないということは頭の隅では分かっていること
でも一緒にいてあげられない時間の話で見えない分、心配する日々が続いていたこと
担任から報告が無かったが、帰ってからはるとに叩かれたと話していたことがあったこと
自分自身も余裕がなくて話を聞いてあげられない時があること
ゆったりとした蘭ちゃんのペースに合わせられずにキツい言い方をしてしまうこと
ちゃんと受け止めてあげられていないこと

お母さんは沢山思いを話してくれた

「心配させちゃってごめんねお母さん」
園長が静かな口調で言った
「だけどねお母さん、
ここはみんなで過ごす場所なの」
「子どもたちの社会なんです」
「ちゃんとみんなで蘭ちゃんのこと守っていくから、もう少し子どもたちと担任に任せてもらえませんか?」
「蘭ちゃん毎日ニコニコ楽しそうな時間の方が多いのよ?0才の時からあの気の強さでしょ、蘭ちゃんならぶつかって乗り越えていけると思うのよ」
ママの顔に笑顔が浮かぶ
「ママたちに安心してもらえるように日々の連絡は漏らさずきちんとしていきますから」

この人には敵わない
私はこの人の話を聞こうと思った瞬間だった
だって全てが強さだ 優しさだ
子どもにも お母さんにも 私たちにも

それからというもの
子どもたちの気持ちが楽しい遊びで満たされることを知った
ベテラン保育士さんの知恵をもらったり見て盗んだりしていろんな遊びを考えた

子どもたちの気持ちに寄り添うことを知った
同じ目線で沢山話を聞く時間を作った

人数の多い集団の中でも子どもに見ているよというサインを送れることを知った
ベテラン保育士を見様見真似してみたら案外テキメンの効果を発揮した

ほとんどの子と関係ができてきて
私も「怒る」ではなく「叱る」術を覚えた
次第にクラスは落ち着いていった
1人を除いては

そう、除かれた1人は「下山はると」だ

彼は自分と一緒になってクラスをかき乱す存在が居なくなったことで荒ぶれていた

子どもたちも彼に気を使う
しっかりと自己肯定感を持っている子たち彼のことをちゃんと嫌がってしまう故、彼にぶたれる

その頃からだった
事務所で上田先生が言い始めた
「やっぱり特性があるんじゃないかな?」
「コントロールが苦手なんじゃないかな?」

まだ新人の私にとっては頭の中に「?」が浮かぶ

担任を持って半年以上が過ぎた頃、上田先生からA4サイズの資料をもらった
『発達障がい児研修』と書かれたそれには
自閉症やADHDの特性や配慮についてパワーポイントの形で印刷されていて、所々上田先生が研修を受けながら書いたとみられるメモ書きが残されていた

とても興味深かった
はると君の姿と重なる部分も沢山あった

その頃の下山はるとは
暴れん坊に拍車がかかり
頭に血が昇るスピードも加速していた
叩く→叱られるという負のループを脱するべく
叩く手をとめることに尽力していたが
髪を掴んだり、顔にグーパンチを入れたり、パチンではなくドゴンという音が出るほどの力で背中を叩いたり
大人の手の動きを先読みし、隙をついて手を出す姿はまるでボクサーだった

それだけに留まらず
夏頃から耳の穴や黒目に関心を持ち始めた
そこを突きたい一心で集中し始める時間があり
片時も目が離せない存在となっていた

そして、手を出した後は必ず笑うのだった
ゲームをクリアした時のように
昨年の午睡当番の時に私に向けたあの笑顔だ

はるとの周りには友だちが寄らなくなっていた
仕方ないのだ、はると君が招いてしまった
でもなんだか嫌だった

後日園長先生に
「発達障がいの研修来てるけど、いってみる?」
と聞かれた 考える間もなく「はい」と答えた

文京区にある大きなホールでその研修は行われた
仕事終わりにベテラン保育士の清水先生と一緒に電車に乗り込み、昭和の時代に建てられたであろう椅子と椅子の間が一つの肘掛け分しかない会場の中でも隣同士で座る なんだか緊張するし気が抜けないしで息が詰まった
清水先生はいい人だし深くは知らないのだが、話し方や笑顔が心の底からは信じられないなというのが第一の印象だった

研修が始まるとそんなことはどうでも良くなった今回の研修は役所の近くにある有名な心療内科の先生によるものだった

それぞれの障がいの特性や、どんな部分に難しさを感じるのか、つまづきがあるのかなどを新人の私にも分かりやすい形で話してくれた
明日からの保育にすぐ生かせるような内容であったし、何より先生の物腰の柔らかさが会場を潤し言葉を浸透しやすくしていた

研修の前半部分がおわり、10分間の休憩に入る
隣にいた清水先生はカバンからハンドタオルを出してトイレに向かった

ザワザワとした広い会場の中から言葉の切れ端が耳に入ってくる

「もう本当大変でさ まさに多動って感じなの」
「〇〇くんの姿が頭を過ったよね」「あ、私もそれ思いました!!」
「新人の子だともうだめでさ、配慮の仕方が難しいじゃない?まだ無理じゃないかって園長に相談しちゃったの〜」

最後の話については陰でそのようなことを言われるその新人さんと自分を重ね合わせて「よく頑張ってるよね」と同情しながら、なんだか別の話の違う部分でもモヤモヤとしている自分に気づく
それが明確なものになったのは研修の後半を受けている時だった

研修の後半は実際にあったエピソードを交えたより実践的なものだった

会場にいる保育士の実際の困りごとに対して先生がアドバイスをしていくような形だ

司会の人が会場に向かって「先生に聞いてみたいことがある方はいますか?」と尋ねる
パラパラと手が上がる中でも一番ベテランと思われる人にマイクが渡された
黒い髪は短く切られ、肌は小麦色
化粧っ気がなく、明るい水色のTシャツを着ている
いかにも保育園にいそうな活発そうな人だ

「〇〇保育園の△△です 今日は素敵な研修をありがとうございます」
「えっーと、相談したいのは4歳クラス5月生まれの男児なんですが〜」
と保育士特有の猫撫で声で前置きをしてから話を始める
・文字に強い興味を持っていて漢字も書けてしまうほどだが他のことに興味が広がらない
・自分のペースを乱されたり、思い通りにならないことがあると癇癪を起こし突っ伏して泣く
・一度癇癪を起こすと何をしても突っ伏したままで気持ちの切り替えが難しい

時折、会場から頷きや同意の声が聞こえてくる
同じようなタイプの子は少なく無いらしい


「得意なことと〜気持ちの面でのバランスの悪さ?っていうんですかね?を感じています、どんな配慮ができるか教えていただきたいなと思っています。宜しくお願いします」

「はい、ありがとうございます」
と言う先生に目をやると、大きなホワイトボードにメモをとりながら話を聞いていたようだった

その子の様子から何かを見出しているらしい

顎と鼻の下にに蓄えた真っ白な髭を手で撫でながら「うんうん」と言ってマイクを口元に持つ

「この子はどこかに相談はしてる?」

もう一度振られた保育士はマイクが無いために
大きな身振り手振りで

1度だけ相談機関に行った
診断名はついていないがまだ繋がってはいる

と伝えた

「そうなんだね」
「ということは多分診断はおりないかな」
「俗に言うグレーっていうことになるとは思うんだけどね」
「やっぱり話を聞いたところによると広汎性発達障がいの気質かなと」

という言葉を聞き会場中が頷きメモが捗っている
それはみんなが欲しかった答えらしかった

・職員が並行遊びをしてみることで人と一緒にいることになれる→人への関心につながる
・無理に気持ちの切り替えを促さずゆったり構えること
・癇癪を防ぐことを前提としてフォローする(絵カードを見せて生活の見通しを立てる)

その後2.3人の保育士がエピソードを出して
その度にホワイトボードにメモされ
それについて検討する

違和感があった
この場所に温度を感じなかった
何がモヤモヤさせるのかわからないが一生懸命聞いていた研修前半の内容も少し掠れたものになった感じがした

その次の日から下山はるとへの関わりが変化した
そして少しずつはるとの姿は落ち着いた
友だちとの関わりも出てきた
あの研修を受けた「おかげ」だ

下山はるとと関わる時だけ
色眼鏡をつけている気分だった
気持ちを落ち着かせて淡々と毅然と関わることが大切だったし、感情をできるだけフラットにする必要があった
あの研修を、受けて「しまった」から

下山はるとはその次の年に卒園した
年長の担任は持ち上がりで上田先生と、保育園で2番目にベテランの白田先生になった


はるとの姿は少しずつ落ち着いた

私にとって彼との出会いは
間違いなく保育の根元の部分をグラグラにするものだった
納得いくまで構築していく作業が始まる

これは保育士12年目を迎えた私の
眉間にできた渦を司る話だ




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