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『進撃の巨人』de心理学①

わたしはずっと不思議でした。
これほど凄惨な世界観にもかかわらず
「観たい…!」と思うのは何故なんだ、と。


わたしは主人公エレン・イェーガーに
特には魅力を感じていないので
余計に不思議でした。

主人公に魅力を感じない作品は
イマイチおもしろくないという持論が
わたしにはあるのです。


エレンを好きじゃないし
世界観はアレだし
作画の変化も激しいし。

観なくなる要素はたくさんあるのに
何故か離れることがなかった。


それがわたしにとっての
『進撃の巨人』です。


巷で人氣を博していることは
うっすら知っていて、では
どの辺が支持されているんだろうと
思ったりもしてました。

絶賛するほど素晴らしいと
わたしが思わなかったからです。



それなのに何故、改めて観ることになり
また繰り返しその世界に浸ることを選んだのか。

それは、
作品の根底にあるテーマを
ようやく受け取ることになったからでした。


『進撃の巨人』の根底にあるテーマ。

それは、「大衆観念」と「個人の幸せ」
その天秤だとわたしは思っています。


ここで言う大衆観念とは、
人が二人以上で生まれ得る共通認識と連帯感が
過度な他者排除と思い込みになったもの
のことです。


わたしたちの日常は
大衆観念に晒されています。
人間は社会性を持っているので当然ですね。


人は人と関わって生きているので
大衆観念とはごくごく身近に誰もが何かしら
その影響を受けているという前提があります。

そして、その大衆観念と
自分自身の「個人の幸せ」が
相容れないものであると
誰もがうっすらでも分かっているだろう
とも思います。


でなければ、
「人としてどうあるか」なんてことを
考えさせられることはないはずだから。


よくある光景です。

組織や集団において個人はどう振る舞うべきか、というような画はあまりにもあるあるな話。

フィクションにおいては特に
よくみられる現象のように思います。


『進撃の巨人』は毎度毎度どこまでも
命のやり取りです。

負ければ死ぬ、勝てば生きる。

登場人物たちはいつだってそれです。


だからこそ、かもしれません。

極限状態だからこそ
その本質を視ることになるのかも。


人の感情を最も大きく動かすのは死だ、
と云われます。


命をかける彼らの姿が導く
「人としてどうあるか」という問いかけに
多くの人の心が揺り動かされたのだとすれば。


奇しくも時代が激変していこうという
このタイミングにこの作品が在る。


なんとも言えず運命な氣がしますね。


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