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『進撃の巨人』de心理学⑥


  こういう役には順番がある
  役を降りても
  誰かがすぐに役を演じ始める
  どうりでこの世から失くならないわけだ
 
 
不毛と分かっていながら、やはり
信じてきたものを信じるしかなくて
どこまでも、他者を排除することでしか
得ることができない空虚な満足。 


壁に囲まれた狭い世界で
一体どうやったら
個人の幸せを指向し、生きていかれるのか。
 

叶わない氣がする。

難しい氣がする。

そうじゃなくてもいい氣がする。
 
 
どんな生き方でもいいんですよね。
 
だって、人生はその人個人のものだから
誰かに何か言われる筋合いもないし。
 
 
選択の時は必ずくる。
「どう選ぶか」なのだと思います。
 
 
 
  何を選んでも結果は誰にも分からない
  だからせいぜい自分の納得する方を選べ
 
  自分自身も後悔させるな
 
 
 
「大衆観念」と「個人の幸せ」なら
わたし自身が後者を選ぶほうだから
やはり個人の幸せを選ぶ方がいいと
考えがちなのだけれど。
 
 
でも、ごくごくフラットにいけば
どちらかが優れているなんてなくて、
きっとどちらを選んでもいい。
 
選ぶ本人が納得するなら
何を選ぼうと尊重するのみなのだし。
 
 
いや、だからこそ
他者を排除するという方向性には
どうにも嫌悪感があるわけですが。
 
 
…言っていいかなぁ。
 
うん、言っちゃう。
 
 
どうしても、どーーーーーしても
胸くそ悪いんだ、フロックのやつが。
 
自己重要感と正義に、それこそ
溺れているようにしか見えない。
 
 
周りを巻き込む力と影響力があるのに
仲間を良くない方向性に煽動してる感じが
もうなんか、胸がムッカムカするのです。
 
フロック派には申し訳ないですが。
 
彼の在り方は、わたしの好みに合わないのです。

 
それでいくと、
他者との共存へ意識が変わっていったガビは
フロックとタイプが似ているだけに
その姿がとても対照的で印象的です。
 
 
きっと、壁の中の人を愛することができたから。同じだと氣がつくこともできた。
 
 
ガビの変化には胸を締め付けられます。
 
その言葉に、行動に、振る舞いに、
変わってゆくガビの姿に
希望があり、そして可能性を感じます。
 
 
憎んでも、愛することはできる。
 
 
様々な登場人物たちの有りようを観て
改めて思うのです。
 
わたしはどうありたいか。

何がわたしにとって幸せか。

わたしの違和感はどこにあるか。

わたしはどう選ぶのか。


自分自身が知っているはずの答えを
わたしが知り分かっていなきゃ、って。
 
 
答えは、誰かが与えてくれるのではない。
自分自身の中にある。
自分にとっての正解は自分しか知らない。

絶対に。
 
 

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