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人生の節目で何度でも見返したくなる…わたしにとっての「青の帰り道」

5月11日からアップリンク渋谷で異例のロングラン再上映されていた映画「青の帰り道」が、とうとう8月14日をもって終映を迎えた。

再上映初日から何度も足を運んだので、終映は寂しくもあり感慨深くもあり……そんな想いを胸に、この日の最終回を見届けさせていただいた。しかも8月14日という日は「青の帰り道」にとって特別な日――2016年のクランクインの日であり、2017年のクランクアップの日であり、藤井道人監督の誕生日でもあった。そんな特別な日にこの場所で「青の帰り道」を観ることができたことは、幸運だったと思う。

わたし自身がこの作品に大変感銘を受けたこともあり、noteでもこの映画について2回ほど書かせていただいたが、再上映が全国に広まる起爆剤となったアップリンク渋谷での上映を終えた今、わたしがこの作品とどう向き合い、どんなことを考え、どんな影響を受けたか……改めて振り返ってみたい。

わたしは昨年公開時に新宿、今年3月に前橋、そして5~8月に渋谷で計9回この作品を鑑賞した。同じ作品を劇場でこれだけの回数観たのは、初めてのことだ(どんなに好きな作品でも、過去最多は3回)
なぜこれほどまでに心惹かれたのか……それは観る度に新たな発見があり、登場人物たちに共感し、この作品が映し出す世界に様々な影響を受けたことが大きい。

初めて観た時、わたしは登場人物の中でキリに最も共感した。以前書いたレビューでも触れたとおり、わたし自身がキリに重なる部分が多かったからだ。だからキリがカナを支えながら一緒に夢を追おうとしている姿は自分のことのように思えたし、カナに心無い言葉をぶつけられたシーンでは胸が潰れそうになった。そして商店街を母と歩きながら語らうシーンは、母の言葉に毎回涙が零れた。それくらいキリというキャラクターは、わたしにとって特別な存在だった。

対して、鑑賞を重ねる度に感情移入の度合いが高まっていったのはユウキだった。7人の中である意味一番“普通”の人生を歩み、キリとは違う部分で自分と重なるところが多かったからだと思う。
実は新卒で保険会社に入社したという経歴も同じだったので、先輩にダメ出しされながら営業に走り回る姿は、まさに当時の自分を見ているようで正直辛かった。そんなユウキが、タツオの葬儀の席で殴り合うコウタとリョウを止めに入りながら、タツオの父に対し「すみません……」と涙ながらに謝罪するシーンや、リョウに対して「今になってタツオの気持ちがわかる気がする」と苦しそうな表情で打ち明けたシーンは、ユウキの優しさが滲み出ていて胸が締め付けられた。

そんなユウキに対して「生きてくしかねぇだろ」とまっすぐ答えるリョウの強さには、ただただ心を打たれた。リョウについては、本来なら決して多くの人に受け入れられるタイプのキャラクターではない。
「いつかでっかいことをやってやる」といういかにも子供っぽい野望を持ちつつ、実際は法に触れるような悪事に手を染めてしまうという……端的に言えば「クズ」なのだが、彼の言動は高校時代から一切変わらず、常にまっすぐで熱い。そしていざという時、仲間のために行動できる強さがある。

特にカナに対しては、本当は特別な感情を持っていたのでは……と思わせる節もあったけれど、「敢えて恋愛関係を描かなかった」という話を藤井監督と真野ちゃんのトークショーで聞いてからは、きっと恋よりも友情よりも濃い特別なつながりがふたりの間にはあったんだろうな…と勝手に想像している。

「いつかライブハウスを買ってやる」と言ってみたり、タツオの死から立ち直れずお酒に溺れるカナを本気で叱り飛ばしたり、自殺を図った時も真っ先に駆けつけたり…最終的にはカナを追い詰めたマネージャーの橘を殴って逮捕されてしまう。でも彼はきっと後悔していない。そんなどこまでもまっすぐなリョウは、とても魅力的で愛すべき存在だった。

そして7人の中で最も辛い決断をしてしまったタツオについて。正直なことを言うと否定されるかもしれないが、実は最初は彼の苦しみを理解することはできたものの、どうして命まで絶ってしまったのか…という思いが拭い切れなかった。「医者にはならない。東京へ行って音楽をやりたい」となぜ父に一言、意思表示ができなかったのか……と。

だけど自分の本心を簡単にさらけ出せない人もいるし、意志を貫き通せない人もいる。それも人間の持つ個性だし弱さなんだと、思えるようになった。「青の帰り道」の中では救われなかったタツオのような人に、この映画が発する「生きる道はひとつじゃない」というメッセージが伝わればいいな……と今は心底思っている。

そしてタツオの死に誰よりも影響を受けてしまったカナ。実はカナも、自分とはかけ離れたキャラクターがゆえ、最初は理解するのが難しかった。カナはやりたいことが明確で、それを実現できる才能も行動力もあって、可能性に満ち溢れていた。もちろんそれだけで成功できるほど芸能界は甘くないけれど、「カナならできる」と思わせられるほど、仲間たちにとっても希望の象徴だったのではないかと思う。

そんなカナでさえ、思い描いていた未来はなかなか実現できず、やりたくない仕事をしながらも夢を諦めきれず…その状況の中で大切な仲間を失い、どんどん荒んでいった。それは夢を追って輝いていた頃のカナとはまるで別人で、表向きは順風満帆に見えていても、死を覚悟するほど追いつめられていったのだ。純粋に明るい未来を信じていた分、誰よりも脆い部分を持っていたのかもしれない……そう思うと、図らずもみんなの希望を背負っていたカナの辛さを初めて理解できた気がした。「こんなはずじゃなかったんだよ……」と心の底から絞り出したかのような言葉が忘れられない。

ちなみにカナをデビューさせながら、次々と現実を突きつけて常にカナの前に立ちはだかったマネージャーの橘は、カナやキリにとって敵対する存在として描かれていたが、個人的には理解できる部分もあった人物だ。というのも橘は元々売れなかったバンドマンで、裏方に回ってビジネスに徹したら成功したというバックボーンがあったといい、それを聞いて彼の言動にものすごく納得してしまったのだ。

わたし自身が作り手の裏方仕事をしているので、橘に対して「やり過ぎではあるけど、言ってることは決して間違ってないんだよな…」と思ってしまう。ただ橘とわたしが決定的に違うのは、「自分も作り手側だったことがある」ということ。カナと同じ経験がある分、過去の自分を封印して成功を掴むことに執着してしまうのかな……と思うと、橘の苦悩も理解できたし本当は厳しくも優秀なマネージャーなんだろうことも想像できる。決して汚いだけの大人ではないのだ。

そして高校卒業後1年ほどで結婚し、子どもと3人での人生を歩み始めたコウタとマリコ。コウタには家族を養う大黒柱としての、マリコには母としての自覚と責任が芽生え、若くして家庭を築いたふたりはとても頼もしく見えた。

先に大人になった分、あんなに仲のよかったリョウとは一時ぶつかることになってしまったけれど、コウタ自身も近くにいながらタツオの自殺を止められなかったことに深い後悔を感じていたと思う。それはマリコも同じ想いだったはずで、だからこそふたりはタツオの死後も仲間たちのことを常に気にかけていた。傷心のキリが帰ってきた時、「なんでも言ってね」と言ったマリコの温かく包み込むような表情がとても印象に残っている。コウタとマリコの存在は、きっと仲間にとって”心の拠り所”になっていたのだと思う。

18歳から28歳までの10年間は、人生の中で特に大きな変化を経験する時期だ。「青の帰り道」で描かれた7人の10年も、山あり谷あり……酸いも甘いも知り尽くし、生きることがどれだけ大変かを思い知った日々だったと思う。それでも彼らがこの10年で経験したことは、この先の人生を歩んでいく上でどれも必要不可欠なものだったことは間違いない。

タツオの死を乗り越え、残された6人がそれぞれの人生を生き続けていく。高校時代に思い描いていた未来図とは違ったかもしれないけれど、喜びや悲しみや痛みを共有してきた仲間がいて、戻る場所がある6人なら、たとえまた壁にぶつかっても自分らしく生きていけるはずだ。彼らが揃って「青の帰り道」を歩くラストシーンから、amazarashiの「たられば」が流れるエンドロールまでは、何度観ても涙が溢れて止まらない。いつしかこのシーンを観ると、わたしにとっての「青の帰り道」を思い出すようになった。

わたしは彼らとちょうど10年、世代が離れている。
それでも「青の帰り道」で描かれている時代をリアルに生きてきた世代として共感できることも多く、あらゆることを考えさせられた。そして「生きる道はひとつじゃない」というメッセージを、胸に深く刻むことができた。

この先もし人生の岐路に立ったら、きっとこの作品を見返すことになるだろう。そう確信できるほど、わたしの人生にとってかけがえのない宝物のような映画になった。「青の帰り道」に出逢えたことに、そしてこの作品を世に生み出してくれたみなさんに感謝したい。そしてもし叶うなら、いつかまた8月14日というこの特別な日に、スクリーンで観られることを願っている。

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