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ふたりの選択の先に希望はあるのか――生きづらさを抱える彼らの幸せをただただ祈った「流浪の月」

エンドロールが終わっても座席から立ち上がれなくなるという経験を初めてしたのは、2010年に公開された「悪人」を観た時だ。当時は舞台鑑賞に比重を置いていて映画は年に10本も観れば多い方だったわたしが、初めて「映画を観て打ちのめされる」という経験をしたのでよく憶えている。以来、そんな貴重な経験をさせてくれた李相日監督は注目の存在になった。

その李監督が、前作「怒り」以来6年ぶりにメガホンを取った長編映画「流浪の月」が公開された。本屋大賞を受賞した凪良ゆうの原作小説も非常に印象深い秀作だったため、李監督によって映画化されること、更にキャストに広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子…と個人的に好きな俳優が揃ったことを知って、公開を待ち望んでいた作品だ。映像化するには難しいテーマであることもわかっていたが、李監督ならきっと傑作になるだろうという期待しかなかった。結果、想像を超えるほどの凄まじい映画体験をさせてもらい、今もまだ深い余韻に包まれている。

物語は15年前に起きた女児誘拐事件に端を発する。この事件の”被害者”とされた家内更紗と、”加害者”とされた佐伯文。自分たちに貼られてしまったレッテルを背負いながら懸命に生きてきたふたりが、15年の時を経て再会したことにより運命がまた動き出す。

広瀬すず×松坂桃李が体現する完璧なまでの”更紗と文”

更紗と文は、その関係性だけで難しいキャラクターであることが一目瞭然だが、演じた広瀬すずと松坂桃李がもう完璧なまでに”更紗と文”そのままだった。原作の読者にはそれぞれがイメージしていた更紗と文がいるはずだが、個人的にはイメージに寸分の狂いもない更紗と文がスクリーンの中に存在していると感じた。ビジュアル面はもちろん重要で、特に大幅な減量で文の身体的特徴に近づけた松坂桃李には驚かされたが、それ以上にちょっとした仕草や言葉の発し方、瞳の奥にまで感情を宿したような繊細な演技が秀逸なのだ。またふたりは魅力的な声を持っているが、その相性も抜群。緊迫した状況にいるはずのふたりが交わす会話のトーンが、お互いを信頼していることを自然に感じさせる。そして何よりも、許されない関係であるはずのふたりから感じる透明感が、更紗と文への共感を覚えさせる。

本作の制作にあたり、李監督は「広瀬すずの代表作を撮る」と宣言して臨んだというが、彼女はその期待にしっかり応える熱演を見せてくれた。「更紗を演じられるのは広瀬すずしかいなかっただろう…」と思わせてしまうほど、役に憑依していたと感じる。「わたしはかわいそうな子じゃない」と言いながら、普通に生きられないことに悲観し、憤り、心をすり減らして生きる日々。そんな中で恋人の亮、アルバイト先の仲間たち、そして文…と、向き合う相手によって微妙に変化する様を繊細な感情表現で演じ切っていた。やはりスクリーンに映る広瀬すずは別格。さすがあの是枝裕和監督に「映画に祝福されている」と言わせるだけの女優である。この「流浪の月」は、間違いなく広瀬すずの代表作と言える作品になるだろう。

また舞台挨拶で李監督も触れていたが、文が恋人である谷に対して最後に自分の気持ちを告げるシーンの松坂桃李は凄まじかった。自分の秘密を隠し通し、大切にしたいと思っていた谷に対して最後にできる彼なりの愛ある行動だったと思うと、あの光のない瞳の奥に隠された決意に泣けてきた。これまで松坂桃李という役者には何度も身震いするような演技を見せつけられてきたが、今作では静謐さの中に秘めたどうしようもない闇にもがく姿に心が抉られた。ご本人もこれまでに演じた中で最も難しい役だったとインタビューなどで答えていたが、文を演じ切ったことでまたしても高いハードルを越えてしまったと思う。挑戦を恐れない姿勢はやはり素晴らしい。

李監督に引き出された横浜流星の新境地

そしてもうひとり。今作で特筆すべきは更紗の恋人・中瀬亮を演じた横浜流星である。「いつか李組の作品にキャスティングされてほしい」と切望していたので、今作でこれまで演じたことがないタイプの”中瀬亮”という役を彼が演じると発表された時はたまらなくうれしく、期待に胸が膨らんだ。

亮は更紗と文の関係を理解できず、更紗を歪んだ愛で支配しようとするモラハラDV男。原作では深堀りされていた亮のバックボーンが映画ではあまり詳しく描かれなかったため、そのクズっぷりがより際立ったキャラクターになっていたが、そんな癖のある役への嵌まりぶりが見事だった。更紗とは結婚間近の恋人同士という関係なので普通の仲の良いカップルであるところが見えてもいいところ、亮のヤバさは最初の登場シーンで見せる行動や言動から既に感じられてしまう。更紗に対する言葉の端々に滲み出るモラハラ臭。静かなカフェにそぐわない大きな足音や、小銭を投げつけるように支払う粗野な態度。そこから更にヤバさの度合いを増していき、暴力や犯罪スレスレ(というかほぼ逮捕事案)の行為にまで発展していく。エリート会社員だったはずの亮が、更紗への執着からどんどん闇落ちしていく姿がとにかく哀れで目を背けたくなった。しかし最後の最後で更紗に対し告げた言葉とあるひとつの行動で、亮の更紗への愛情が垣間見えて少しだけ救われる。

好きな役者が演じる役に嫌悪感しか抱けないというのは本来複雑な心境になるものだが、個人的に彼にはこれまでのイメージを一新するような役を演じてもらいたいと思っていたので、嫌悪感たっぷりの亮の姿に顔を顰めながら心の中では拍手喝采していた。これまで「初めて恋をした日に読む話」や「着飾る恋には理由があって」といったラブストーリーで多くの女性の心をキュンとさせてきた人に、こんなにも気持ち悪いキスシーンを見せられるなんて思いもしなかったけれど、それにも最大級の賛辞を贈りたいくらい横浜流星が演じる中瀬亮は最高のクズっぷりで存在感を見せつけている。同じ李組の作品では「悪人」の岡田将生が、そして今回共演した松坂桃李が「彼女がその名を知らない鳥たち」で見せたような新境地を、今作で横浜流星に見せてもらえたことに感無量である。間違いなく現時点でのキャリアベストだと思うし、この役を通してひとつ次のステージに上がったと感じられるので、この先どんな作品、どんな役を見せてくれるのか期待しかない。

原作とは異なる印象を与えるふたりの結末

多部未華子演じる文の恋人である谷は、原作から設定を変えたことで登場人物の中で唯一”生きづらさ”のバックボーンが見えない”普通の人”として描かれた。そのことで文と最後に対峙した谷の姿は世間一般の人の感覚として映り、彼女の去り際の表情には胸が締め付けられた。また文にトラウマを植えつけた元凶とも言える母の音葉も、残念ながら最後まで文に理解を示すことはない。そして原作の中では唯一更紗と文の理解者のように描かれる更紗のバイト仲間・安西の娘の梨香の存在も、映画では異なる展開になった。つまり更紗と文には、理解者と呼べる存在がいないまま結末を迎える。原作では微かにふたりの未来に希望が見えたが、映画では決してそのような明るい兆しが見えないのだ。だからふたりの選択の先に、新たな困難が次々と待ち受けている可能性も大いにある。そう考えるとあまりに救いがないように思えるが、世の中の理解を得ることはそう簡単じゃない、それでもふたりは一緒にいる未来を選んで生きていく…というある意味前向きで現実的な結末を李監督は提示したのかもしれない。だからこそ結末を見届けた後、更紗と文はもちろんのこと、亮や谷、音葉、安西など、生きづらさや悲しい過去を抱えた登場人物たちの幸せをただただ祈りたい…という気持ちになった。

寡作で傑作しか生まない李相日監督

150分という長尺に一切の無駄がない構成。全編に渡って不穏さを煽る韓国映画界の巨匠ホン・ギョンピョが切り取る映像美と、原摩利彦が紡ぎ出す旋律の融合。総合芸術としての完成度がものすごく高い作品に仕上がっており、李監督の手腕に改めて感服した。「寡作で傑作しか生まない人」というのがわたしが李監督に抱いているイメージだが、「流浪の月」でまたそれを更新してくれた。願わくば次作は6年も空けることなく、新たな作品を見せていただきたい。それまでは繰り返し観るのが辛くとも、この「流浪の月」をじっくりと堪能したいと思う。

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