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episode6(1/2) 私の子育て〜長男の場合*目立ちたがりの(サブ)リーダータイプ

私には二人の息子がいます。既に二人とも成人しました。
二人はタイプが全く違います!これはもう、複数の子育て経験者はわかりますよねd(^_^o)

古い記憶を掘り起こしながら、私の子育てアレコレを振り返ってみたいと思います。
書いてみたらかなりボリュームがあったので、長男と次男でエピソードを分けてみました。
二つ合わせて読んでいただけたら嬉しいです♫

*****

苦悩と喜びの振り幅が大きい乳幼児期

長男は私が24歳の時に生まれました。
初めての出産は県内の実家に帰省しての里帰り出産でした。

新生児の頃は、それはそれは大変でした。
とにかく寝ない子、よく泣く子でした。昼も夜も眠れなくて、泣きたいのはこっちだよぉぉと何度も思いました。
そんなことで私は体調を崩して発熱。夜は別室で寝ていた母が一緒に寝て世話をしてくれました。そこで初めて「こんなに寝ないの?」と驚かれました。

その後も夜泣きをよくしたし、俗に言う疳の虫のような癇癪を起こしたりは幼児期まで続きました。
あまりにも癇癪が強いので、ソレに効くという薬を買ってみたものの、小さい子供に飲ませるのも抵抗があり、お守り代わりに持っていたようなものでした。
夜泣きが始まると、寝ている(元)夫が目を覚さないように抱き続けたり外に出たり。頼る親も近くにはいなかったので辛かったと記憶しています。

でも喜びや楽しいといった感情表現も大きくする子でした。
まだ1歳前に「機関車トーマス」が大好きに。トーマスのおもちゃをあげたらとても興奮して夢中で遊んでいました(≧∀≦)
ダンボールを使ってレールを手作り(当時お金がなくてプラレール買えず)。これを気に入って飽きずに走らせていたのが懐かしい(*^^*)

長男が5歳の時に次男が生まれました。4歳を過ぎた頃から弟を欲しがるようになったのもあり、それはそれは可愛がっていました!
お手伝いもよくしてくれたし、まだ赤ちゃんの弟をあやしたり、二人ともホントに可愛かった!(親バカ)

よくある話で、赤ちゃんが生まれるとみんなの関心が下の子にいってしまいます。
我が家も父親である(元)夫がそうでした。上の子の時は父親の自覚はあまり持てませんでしたが、元々子供は好きだったのと、自身も年齢を重ねて気持ちにゆとりができたのかもしれません。メチャクチャ可愛がりました!
そして近くに住んでいた義父母もそう。
なので私はあえて長男を優遇する場面を作ったりしました。特別扱いをしたわけです。それでバランスをとりました。
それと長男本人に向かっては「お兄ちゃん」呼びをせず、名前で呼んでいました。実際にはそこまでする必要はなかったかもしれませんが。

保育園ではひょうきんなお調子者で目立つ子だった気がします。
小さい頃から愛嬌があって、道を歩いていると知らないおじさんにも「こんにちは!」と元気に挨拶。戸惑うおじさん(笑)ご年配の女性は大抵喜んでくれます(≧∀≦)

一生分の親孝行をしてくれたかも?小学生〜中高校生時代

小学校4年生の時だったか、学校で世界の文化を学ぶ授業で、イタリアのピザの作り方を教わってきました。
作りたい、作って欲しいとお願いされましたが、我が家にオーブンがありません。小さいトースターのみ。オーブンが欲しいね〜と話して終わったのですが…
なんと!年明け早々の私の誕生日に、自身のお年玉を使ってオーブンレンジを買ってプレゼントしてくれたのです!なんて子でしょう!我が子ながら感動して、その後あちこちでこのエピソードは自慢して語りました(^^;;
もちろん、その後何度か生地から手作りしたピザを焼きましたよ。長男も念願叶って大喜びしていました。
ついでの話。その2年後くらいだったかなぁ、ふと漏らしたFAXが欲しいと聞いてまたもやプレゼントしてくれました。さすがに申し訳なくなって、深〜く感謝した後、これからは自分のためにお金を使うよう進言しました^^;

中学生になると、突然学級委員長に立候補するようになりました。
その学年は割と積極的な子供が多く、息子だけでなく他にも立候補することも。確か全学年で学級委員長をしていたと思います。それは高校まで続きました。
生徒会役員にも立候補。この時は何故か副会長に。でもこれは彼の性格からしても正解だと思います。タイトルにリーダーの前に(サブ)と付けたのもそんな事から。

中学時代の一番大きかった出来事は、学校を代表して、市の姉妹都市でもあったシンガポールへの研修に派遣された事でした。
市内の他校代表生徒やシンガポールの生徒との交流は、とても刺激的でいい経験だったと思います。

この辺りの出来事は、私たちの息子としては出来過ぎで、なんでこんな風に育ったのか親でもわかりません(´∀`*)

長男の現在につながる話

我が家にパソコンが来たのは1998年頃だったと思います。
次男を出産後、98年の春から職場復帰(建築士事務所)、当時はまだ手書きで図面を書いていました。
でもこれからはパソコンが使えないとダメだと思い、一念発起してローンでパソコン購入。
本屋で買ったテキスト本を見ながらの独学で使い方を覚えました。

長男が小学校に入ると、私がパソコンを使っているのを見てやりたがるようになりました。まだローマ字を知らなかったのですが、文字入力はローマ字でやるように教えました。
子供の吸収力は素晴らしく、最低限の操作は難なくできるようになっていました。

高学年になった頃、パソコンの授業が小学校に導入されるように。でも現場はまだ追い付かず。
不慣れな先生に、長男が逆に教えるという事も!それがきっと自信に繋がったのでしょう。
その頃から、将来はパソコンを使った仕事をしたい、と言うようになりました。

高校から情報処理を学ぶ学校へ行き、大学もコンピューター関連の学部に進学しました。
高校は推薦、大学も自己推薦いわゆるAO入試で合格。
良いのかどうかわかりませんが、必死に勉強したという受験生の様子は全くなかったです。

幼少期はかなり苦労させられましたが、後々はとても楽チンな、母にとっても頼りになる長男です。
現在は夢叶ってパソコンを使って仕事していますよ(^-^)

そして現在

親の結婚が早いと子にも遺伝するのか、長男24歳の時に結婚、翌年にパパになりました!
私は40代でばぁばになりましたー(//∇//)

仕事も順調のようで、昨年は中古ながら分譲マンションを購入。すでに親を超えていった感があります。

*****


次男編もぜひ♫

以前の自己紹介エピソード
episode1 名前負けしていた幼少期
episode2 「ガラスの仮面」張りの演劇少女時代
episode3 寄り道が楽しかった件
episode4 建築を生業にした理由
episode5 一度目の結婚と離婚の話
episode5.5 離婚したもう一つの理由

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