見出し画像

コロナウイルス感染した友人のリアル

つい先日、友人が新型コロナウイルスに感染していた、ということを知りました。
私の友人知人で感染したという話を聞いたのは初めてで、とっても驚きました。

彼女のブログに感染した時とその後の様子が書かれていて、読んでショックを受けました。
首都圏に住んでいて、ものすごい数の新規感染者、重症者数が報道されているのを聞いてもどこか現実味がありませんでした。
間もなく緊急事態宣言が解除されます。記事を読んで改めて身の引き締まる思いがしましたし、これは他の人にも伝えたいなと思いました。
既に多くの体験談がネットには溢れているとは思います。でも彼女の文章はその時のリアルな感情が胸に迫ります。
長文ですが是非読んでほしいと思います。

ちなみに感染した友人は50代後半、同じく感染(職場での感染)の次男さんは20代前半です。

新型コロナウイルス感染時の様子

コロナと後遺症と〜Bell's diary

(8月2日)次男は39度ほどの熱が出て自宅待機となり、同居の私と長男は濃厚接触者と認定されて週明けにすぐPCRを受けたがその時は陰性だった。
しかし、陽性の次男が隔離施設に入れてもらえることなく、この狭い我が家で
遷らないように世話をするという緊張感や、次男の容態がこの先どうなるかわからない不安、そしていきなり仕事を休まねばならなくなった周囲への迷惑も含め
それは非常にストレスだった。
次男は高熱で終日ぐったり寝ていたが、こまめに水分補給を部屋に差し入れたり、食欲はまだあったので口当たりが良さそうな食事を運んだりする日が続いた。
彼がトイレに入ったあとは消毒し、何とか自分と長男が遷らないようにということと
ついに家族にコロナが出てしまったのかというショックで一杯だった。

PCRで陰性の連絡が来た翌々日の4日、私がついに発熱した。
熱は39.5度まで上がり、その日は地元の発熱外来でPCRを受けた病院が休診日だったため、発熱センターに電話をかけたところ 発熱外来を受けてくれる病院の番号を教えてくれた。
どれだけ具合が悪くても自分で電話をかけて自分で予約を取らねばならないということだ。
高熱の辛さでヘロヘロになりながら何十回も電話をしたが、病院につながることはなく、諦めて翌日近所の病院にweb予約を入れた。
病院は徒歩5分程度の場所だったが、熱でフラフラで一人で行き来できる自信がなかった。
しかし次男はまだ外出できず寝ているし、長男に付き添わせて遷すのは怖いし、アニキも心配してくれていたが、接触して遷すのが怖かったので よれよれになりながら一人で行った。
数日前に濃厚接触者としてPCRで陰性をもらった病院だったが、行くとお医者さんに
「・・・・出ちゃいましたか~。。」
と言われた。
PCRを待つまでもなくその場で抗原検査のほうで陽性が出てコロナ判定された。
前日からの高熱の時点で覚悟はしていたが、とうとう自分がなってしまったのだと思った。
隣の処方箋薬局で結果が陽性であったことを伝えると、中ではなく外で立って待つように言われた。
それはしごく当然のことだったが、私には致命的だった。
外はまだ暑いし熱でフラフラする中で10分弱立っているだけでも拷問のようで
具合が悪くなり、吐き気と耳鳴りと眩暈がしてきて、これはもう駄目だと思ったので
後で家族が取りに来るということを薬剤師の人につたえて帰途についてすぐ、
駅の前で倒れた。
その時自分は朦朧としていて、あぁ倒れたという自覚はあったが
道に横になっているほうが身体が楽で、起き上がることができなかった。
見知らぬ親子の方が、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたが
接触してはいけないと思い、手で制するジェスチャーをして
「大丈夫です。」
と答えて立ち上がり、数歩歩いたがそこでまた座り込んで動けなくなった。
この時が一番肉体的にも精神的にもつらかった。
朦朧として家族に助けを呼ぶためにスマホを開いて見ることも出来なかった。
結局5分程度の道のりを20分くらいかけて帰ったようにおぼろげに記憶している。
家に帰って布団に倒れ込んだ時、もう二度とこれで外出しなくていいのだと
そのことに涙が出そうに安堵した。

翌朝保健所から連絡が来て私も自宅療養となり、家族に遷さないよう
陽性の人(私と次男)がトイレや使ったものすべてを使用後に都度徹底的に
消毒するようにと言われたが、殆ど立ってもいられないのに自分でそれは無理だと思った。
食事の買い物は長男とアニキが行ってくれ、息子たちはマーケットの弁当を食べ続けた。
そのころには1週間早く発症していた次男は平熱になっていたが 味覚嗅覚が全くないと言っていた。
私は熱の辛さで食事がとれず、水分とたまにヨーグルトを少し食べる毎日だったので どんどん痩せていった。
始めの5日間くらいまでで一番辛かったのは熱と頭痛だった。
一点を電撃が貫くような頭痛が数秒おきに襲ってくるので、痛くて思わず声が出た。4-5日目は殆ど痛い痛いと叫んでいた気がする。
熱が高いのに殆ど眠れないので時間が経つのが鬼のように遅く、まだ9時か、まだ12時なのか、、と何度も思ったものだった。
6日目くらいに、突然味覚と嗅覚がなくなった。
それまではサンドイッチを一切れ食べて美味しいと思うこともあったのに
一晩明けたら突然のことだった。
これがコロナで有名な味覚がなくなる症状か、、と痛感したが
本当に何を食べても気持ちが悪いくらい味がしない。
実際に発症して精神的に一番大きいストレスは 自分がいつ重症化するかわからず、そうなったらどうなるんだろう、、ということと 唯一残った長男に遷さないように、、ということだった。
これまで毎日うなぎのぼりの発症者数をニュースで聞いても、
まだどこかで、自分はちゃんとうがい手洗いも気を付けているし大丈夫だろうという気持ちがあった。この1年楽しみも抑制し近所のマーケットと通勤の往復だけで
きちんと自粛していたつもりだった。(通勤している時点で自粛じゃないけど)
しかし、家族が発症してしまうと感染を防ぐ手立ては殆どないように思う。
次男が自宅療養になった時点で、もう施設に空きがないのはわかっていたが、
家族が切り捨てられたようにも感じた。
でも同居家族がいる人は感染の恐怖があるが、逆に独り暮らしの人は 誰かに食料などを届けてもらわないとどうすることもできず、それも非常に大変なことだろう。
頭痛は6日目くらいから収まり、その後も痰の絡んだ咳が続いたので
これはこれで肺炎になるのでは、、というのも怖かった。
食事はあまりとれなかったが、野菜ジュースやヨーグルト、兄貴が時々差し入れてくれたウィダーinゼリーで次男と私は凌いだ。
幸い、完全隔離の長男は今のところ発症していない。

保健所から昨日電話が来て、発症から10日経過したので、一応もう毎日アプリで行っていた保健所への症状連絡はしなくてよい、外出もOKとのことだったが
熱や咳はここ1か月くらいはぶり返す可能性がある、味覚嗅覚倦怠感はあまりひどければ後遺症外来へ行くようにと言われたが、後遺症は何か月で治る、ということができず、一生続く可能性もあるとも言われた。
平熱に下がりようやく家の中でもこうしてPCの前に座っていられるようになったが、外を歩くとほんの数分でもう頭がクラクラして倒れそうになり、とても怖くて 一人で出られなくなった。
夏休みと続けて2週間仕事を休んでしまったので、もう復帰しないとという気持ちはあるものの、数時間も集中して仕事をすることもまだ無理だし、まして電車に乗って一人で職場に行ける気が到底しない。
電車の中で立っていることもオフィス街のあの雑踏も倒れそうで怖い。
恐らく無理して行ったところで、電車の中でも職場でも この続いている咳込みは周囲から嫌がられるだろうし、ここはもう、、本当に申し訳ないがあともう少しお休みさせてもらいたいと思っている。
しかし正直いつ回復するのかもわからない。
今は倦怠感、疲労感、味覚嗅覚異常、睡眠障害の後遺症が続いている。
次男もほぼ同じ状態らしい。
私よりずっと若く回復力のある20代の次男がまだそうなのだから、数か月、、半年、、下手したら数年この症状が続くのかも知れず不安だ。
目下、食事を作るのが不便で、息子たちは食欲はあるが 私と次男は味覚がまったくないので、何を食べても一緒に感じるし、
味付けをした料理を上手く作ることができない。
そして少し動くと身体が疲労して起きていられなくなる。
いつまでこんな状態が続くのだろう。。
一度罹っても無敵状態は長くないので、供給再開したらワクチンも打ちたいし
病状そのものは重いインフルのようなものではあったけれど いつどうなるかわからないという不安のストレスや、終わりが全く見えない後遺症のほうが辛いので、二度となりたくないし、早く今の状態を脱したい。。

(一部省略)

感染から1ヶ月後、後遺症の辛さ

コロナ1か月〜Bell's diary

発症からちょうど今日(9月4日)で1か月。
前回のブログ以降の状況を書いておきたい。
発症から10日経って熱が下がっていれば、そこから72時間経過で隔離解除となり、外出や職場復帰してよいとのことだったが ふらつきが続き、まだ通勤できる状態ではなかったので 翌週いっぱい有休をもらい、結局発症から19日間家で休んでいた。
23日の週には仕事もさすがに溜まっているし、歩く時のふらふらも、前週よりはマシになっていたので3週間ぶりに出社した。
徐々に身体も慣れ、座って仕事をする分には問題ないので わしわしと溜まった業務を進めたが、帰宅するとかなり疲弊していて 9時過ぎには横にならずにいられなかった。

今週の月曜の朝、職場について少しすると突然お腹が差し込み吐き気がした。
その後も10分おきくらいに激痛が来て、吐き気とめまいの中 トイレに駆け込んで耐えたが、自席に戻ってもまたすぐ波がやってきて仕事にならないので、やむを得ず早退した。
でもすぐに歩ける状態でなく1時間ほど職場のトイレでうずくまっていて、休み休みやっと帰宅すると発熱していた。
先週の復帰が無理しすぎていたんだろうか、、とか、後遺症かな、と思ったが 腹痛は帰宅して収まったが微熱が翌日も続き、身体も重かったので病院へ行った。
お医者さんからは、後遺症かどうかはわからないが、、と言われ 胃腸回復と食欲増進の薬が処方された。
コロナ以降、少し動くと疲れる倦怠感と、非常に睡眠が浅いこと、咳が時々と、味覚は6-7割戻ったが匂いは殆どわからないという状態がまだ続いている。
それに加えて今週の不調後は、胃に何か詰まっているような違和感があって 食欲が全くなく、身体がだるい。
全然良くなってないやんか。。
突然の腹痛も、一度こういうことがあるとまた起きそうで外出が不安になる。

感染しても、追ってワクチン接種したほうがより強い抗体が出来るそうなので 出来るものなら打ちたいとは思っていた。
お医者さんには、感染者の接種は発症から2か月くらいは空けるように、、と言われた。
私の居住区は高齢者の次が若者優先となり、7月後半以降は供給数が激減して2回目の人が優先となったので予約が取れず、4-50代の接種率が23区内でもかなり低い状況だった。
無敵マリオ状態でなくなる11~12月くらいにワクチン接種したいけれど
副作用で数日寝込んだ知人の話や、亡くなった方の報道、接種しても効果が2~3か月で低下するので3回目も検討されてきていること等聞くと 受けるタイミングも考えてしまうし、イタチごっこのようでなんだかなぁ、、とも思えてくる。

職場に復帰した日、部内メンバーのワクチン接種予定日と名前が記入されたカレンダーが貼り出されていた。
皆、9月中に1-2回目の接種予定が入っているようだ。
追い打ちをかけるように上司から、
「バイトも含めて、あと部内で(接種日が)決まってないの、ベルさんだけなんだけど。」
と言われて、ひょえーーーっとなった。
上司も全然軽い気持ちだったのかもしれないが、私は焦って
「えっっ、、私コロナ罹ったばっかりなんですが。。」と言い、
2か月くらいは接種できないことや、区の状況を必死に言い訳しながら
圧力的な場の空気を感じた。
小さいお子さんのお母さんたちもいる部署なので、皆が不安になるのも当然だし、営業職と違ってテレワークが出来ず毎日出社せねばならないことに 不公平感が募っている人も多く、過敏になっていたようだった。
まして部内の私が発症したことで、他人事ではなくなり、余計に戦々恐々とさせたので、私のせいだ。間違いなく。
なので私にとっては自業自得ではあるが、オフィスの空気が辛くもあり、、
もう会社に行きたくないという気持ちになっている。

でもたぶん、私が一人で被害妄想のようになっているだけかもしれない。
発症以降、ずっと気持ちが落ちて鬱々が復活しているので
そんな思考になっているんだろう。。

・・・そんな状態で、1か月経った今も身体も心も不調が続いており、
まだ全然終わっていないという実感だ。

次男は嗅覚味覚は回復していないが、若いだけあって
体力は戻りつつあり、具合も悪くなさそうだ。

(一部省略)

Bell's diary原文、その他記事をご覧になりたい方はこちら↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?