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episode6(2/2) 私の子育て〜次男の場合*寡黙な、だけど内なる思いはアツい男

前回の長男のエピソードに続き、次男編です!
こんなにも違うのか、と書いてみて改めて20年以上の月日を思い出しました。
長男編と合わせて読んでみて下さいね♫

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手が掛からない、故の悩みもあった乳幼児期

次男が生まれたのは私が29歳の時。
長男と5歳違いだったので、一般的に言う二人の子育てに奮闘するということはなく、しっかり一人ずつ向き合えた乳幼児期の子育てでした。
長男のところで書いたように上の子がよく可愛がってくれたので本当に助かりました。

そして長男と違って、赤ちゃんの時はよーく寝る子でした!
あまりグズらないし、変な言い方ですが聞き分けの良い、本当にラクな子供でした。

次男は生後7ヶ月で保育園に預けました。
長男でもお世話になった保育園で、先生方とも信頼関係が築けていたので、とても安心してお任せできました。
保育園でも大人しい子供だったらしく、先生にとっても手が掛からない子供だったようです。

これは後々思ったことなのですが…
自身の子育て反省点の一つになります。手が掛からないとつい放っておいてしまいがちです。泣けば抱っこしたりあやしたりしますが、大人しく一人遊びしてくれると声掛けは自ずと減ります。
コレはいけなかったなぁと思いました。
その後の子育てで悩んだりした時に振り返って思ったことです。

二人目以降はどの家庭でも子育てに慣れて、適当にいい意味で手抜きができるようになります。力が入らないと言った方がいいかな?
気持ちに余裕が生まれて、育児も楽しかったと思います。

勉強嫌いと病院通いが悩みの小中学校〜高校時代

手が掛からない幼少期を過ぎて小学校に入ると、今度は色んな悩み噴出です。

まずはとにかく勉強が嫌い!
長男が勉強で苦しんでいる様子を見せたこともないし、私が口うるさく「勉強しなさい」と言ったこともない。勉強に対してネガティブな情報を与えていないはずなのですが、やりもしないうちから、小学校入学直後から、何故か勉強に対して拒絶反応を示しました。
こればかりは私には理解できなくて。私も特に勉強が好きだったわけではありませんが、1年生の時の初めての勉強は楽しかったと思います。
その勉強嫌いはその後ずっと悩ませることになります。

大きな病気はしませんでしたが、小学校の時は中耳炎等、耳鼻科のお世話になる事が多かったです。鼓膜切開して内耳の膿を出す手術も何度かやりました。これはもう可哀想で…
怖いだろうし、泣いてもおかしくないのにジッと耐える次男。その度に先生に感心されて褒めてくれました。

小学校高学年から入った少年野球チーム。
私が仕事で忙しかったのでなかなか入れてあげる事ができず。念願叶っての野球少年時代。

この頃が一番楽しそうで、子供らしい良い表情を見せていたなぁと思い出されます。
チーム関係者の好意で、プロ入り直前の長野選手が練習に来てくれたことも!親子共々いい思い出(*^▽^*)

***

中学校になると膝の故障に悩まされます。
水が溜まって膝に注射針を刺して水を抜いたことも度々。これは本当に激痛らしく。この時も歯を食いしばって耐えていました。
最終的にはスポーツ整体の先生にお世話になることになり、針を刺すような痛い治療は無くなりました。
この故障は完全に治るものではなく、つい先日もふとしたことからぶり返して、久しぶりに治療に通いました。

勉強の話に戻ります。
勉強嫌いなまま中学生に。
それでも一年生の時には所属していた野球部顧問の先生の導きもあって、少しやる気を起こしていたのです。
ところが二年生で先生が移動、新しくやってきた顧問の先生とウマが合わなかった!
普段あまり自己主張をしない次男が、初めて先生に対して拒否反応を示しました。反抗期もあったかもしれませんが、次男がそこまで思う気持ちもわからなくもない、という状況でした。

この時に気をつけたのは、先生の悪口を息子には言わない、という事。私もまだ若い先生に色々思うところはありましたが、私の価値観を子供に押し付けてはいけない。そして子供に同調し過ぎてもいけない。でも子供の話はしっかり聞く。
嫌な大人と相対することも社会勉強です。

結局、大好きだった野球部を辞めてしまい、勉強も益々やらなくなりました。

そして中学3年生。勉強は嫌いでも、高校は行きたいと言います。親としても、できれば高校は出て欲しいと思うもの。
救いだったのは、担任の先生はベテランの教諭で、不出来な息子に丁寧に話をしてくれたことです。信頼できる大人がいるというのは大きいです。

でも次男の通知表は1や2ばかり…内申点で評価される内容も特にありません。一つだけ、休まないことくらい(勉強嫌いでも学校は行く。スゴイ!)。
夏休みの頃になると、流石に先生も塾に行くことを勧めてきました。学校としてはお手上げだったのでしょう…
その段階でもまだ本人は塾を嫌がったので、夏期講習も受けられず。
ようやくこのままではマズイと思ったのは秋のことでした。

もう個別指導しか無理な段階。やる気スイッチで有名な個別指導塾に次男を連れて相談に行きました。
塾長が面談してくれて、色んな子どもを見てきたであろうプロの力強い言葉「大丈夫、がんばりましょう!」に少し希望が見えました。
体験授業を受けたのは11月終わり、本格的に通ったのは12月から。
短期集中で指導日を詰め込み、お金も投入しました。担当の先生は多分ベテラン。見事に次男のやる気スイッチが入りました!

さすがに公立は間に合いませんでしたが、なんとか私立の一般受験で合格!この時は心底先生方に感謝しました。

後日談。うちの子よりも少しだけ学力が上だったお友達。公立、私立共に同じ学校を受験しました。
友達の方は両方合格、公立へ進学したのですが、ついていけずにわずか二ヶ月で退学してしまいました。うちの子も公立だったらそうなっていたかもしれません。

入学したのは県内でも学費が高くて有名らしい学校。我が家は選択肢がなかったので比較した事がなく(~_~;)知りませんでした。
本当にお金は大変でしたが、さすが私立だけあって面倒見は良く、先生方が根気よく教えて下さいました。
あんなに勉強嫌いだった次男が、数学が好きだ得意だと言うから驚きです!
落ちこぼれることなく、高校3年間を過ごし、卒業することができました。

この受験から高校卒業まで、まさに親子二人三脚で走り抜けたのでした。

夢を追う姿、まさに遺伝子のなせる技?

大学も行こうと思えば行けたはずでしたが、迷った挙句、次男は別の進路を選択しました。
高校三年生のある日。次男から「大学進学はやりたい事とちょっと違う」と。
歌が好きで、大学も芸術系の学部の見学に行っていました。大学ではなく、自分で見つけてきたスクールで歌唱の勉強をしたいと言いました。

まるでデジャヴ!高校三年生の私と同じことを言っている!
ジャンルは違うけど(私は演劇)、道筋は同じ。親子なんだなぁとしみじみ。
そこで私自身の経験談と合わせて今後のことを話しました。
長男と同じく、22歳の春までは衣食住の面倒は見る、スクールにかかる費用は自分で働いて捻出する、22歳の春以降も家にいるなら必ず家に生活費を入れること。
そして、夢を追うのは構わないが、引き際は自分で決めること。私の体験と合わせて話したことで、真剣に話を聞いていました。

卒業後は2つのバイトを掛け持ちして働き、スクールに通って歌の勉強をしてきました。
夢の行く末はわかりませんが、真面目に働き、派手な遊びもせずに過ごしてきた次男を見て、それほど心配することなく見守ってきました。

そして現在

まだ夢を諦めていないのかな。
当初の約束の4年が過ぎ、きちんと家にお金を入れています。
折を見て将来のことを話したいし聞きたいけど、コロナ禍でなかなか難しい部分もあって…
まだまだ将来への不安は残ります。

でも今は次男と二人暮らしなので、何かと頼りにしているところもあります。

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長男編はこちらから。

以前の自己紹介エピソード
episode1 名前負けしていた幼少期
episode2 「ガラスの仮面」張りの演劇少女時代
episode3 寄り道が楽しかった件
episode4 建築を生業にした理由
episode5 一度目の結婚と離婚の話
episode5.5 離婚したもう一つの理由

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