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越えても越えても終わりが見えない 2

セルビアの入国審査もスムーズで無事にセルビア入国。朝5時くらいだった。このセルビアという国、縦に長い。日本の福島県を思い出す。私の日本の故郷である静岡も横に長く、走っても走ってもまだ静岡かよ・・・ 状態なのだけど、セルビアもそうだった。道路標識に「Beograd(ベオグラード)」の文字と「Čačak (Чачак)」の文字が。私たちはČačak方面に進む。

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セルビアでも運転を交代した。私が運転を始めたら小雨が降ってきた。
途中からは山間の下道を走っていたのだけど、綺麗なグリーンの川が流れていた。そして道路脇にはたくさんの野良のエルダーフラワーの花が咲いていた。今時期はエルダーフラワーのシーズンなのだけどセルビアの田舎道ではエルダーフラワーの木がたくさんあり、白い花を咲かせていた。この辺りは私が運転していたので写真がないのが残念。セルビアの田舎の景色、結構好きだなと感じていた。

だいぶ走って再びホンザと運転を交代。そこからが悲劇の始まりだった。とにかくクネクネ道なのだ。箱根や天城越えを何百倍も強烈にしたような道で、山を越えても越えても越えても終わりが見えなかった。クネクネの急な坂道を登ったり下ったりを何度も何度も繰り返した。私たちは出発前に作っておいたサンドイッチとおにぎりを軽く食べてはいたもののずっと起きているとお腹は空く。助手席で少しウトウトはするものの、お互いしっかり寝てはいない。私は寝不足、空腹、頭痛が始まっていた。おまけに気合入れて普段あまり飲むことがないレッドブルを空腹で飲んでしまっていて、クネクネの道、標高も恐らく高いだろうということでついに具合が悪くなってしまった。車を停められるようなところで停車してもらい、ついには嘔吐してしまった。嘔吐するとすっきりするもので、再び出発。

どのくらい走っただろうか?昼の11時近くなった頃、セルビア国境の検問所が現れた。後に知ったが標高1200mくらいの場所にある国境のようだ。セルビア側のJ̌abuka(Јабука)では出国審査をし、その後少し車を走らせた場所に現れたモンテネグロ側Rančeで入国審査。モンテネグロの入国審査で「日本人なのかい!」と驚かれた。恐らくこのルートでモンテネグロに入る日本人が少ないのだろう。スタンプを押したパスポートを返してくれながら「二人はどこで知り合ったの?」などと興味本位に聞かれた。「モンテネグロを楽しんでね!」と言われた。モンテネグロの人は陽気な印象を持った。

ようやく目的地であるモンテネグロに入国!だが、まだ先は長い。

モンテネグロに入ってからも道がすごかった。
ここ、国境の検問所を越えてすぐの道なんだけどガタガタ道・・・

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そして無事に入国を果たした私がまず一番初めにしたこと、それは車を停めて・・・山の上から遠くに見える村を眺めながら再びの嘔吐であった。

モンテネグロに入国してからの道も、それはそれはすごい山道だらけだった。チェコ語でモンテネグロは「Černá Hora」と言う。直訳すると「黒い山」なのだけど、本当に山だらけでČerná Horaと言われる理由がよく分かった。ずっとずっとずっとずっと天城越え、箱根の山越えが続いている状態だ。こんなに山だらけなのに、海なんてあるの?と不安になる程だった。

Pljevljaという辺りだったと思うのだけど、橋があり観光客の姿があった。車を停められる場所に停めて、私たちも少し観光することにした。橋もとても立派。それにしても高さも随分あるもんだな・・・

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下には美しい川が流れていた。

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ZIPLINEというワイヤーのようなもので人がヒューンと谷間を渡るアトラクションをやっていた。見ていると結構スリリングだ。
下の写真の赤丸がZIPLINEで谷を渡る人。

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ZIPLINEの呼び込みに声をかけられた。少しやりたい気持ちもあるけど体調が万全ではないし、普通に考えたらやっぱり少し怖いしで、丁重にお断りした。20ユーロだったか30ユーロくらいだった気がする。
結構人気があるようで次から次へと人がヒューンと渡っていた。

ここを去る頃にはだいぶ体調もよくなってきて、再び海に向けて出発!

つづく


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