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人を「けなす」こと

アベプラで、プロ奢ラレヤーという人が出ていて、るってぃのブログきっかけで観た。
詳しくは、下記にURL貼っておきます。
衝撃的で見応えがあるので是非。

“人のお金で生きる” プロ奢ラレヤーとは? 働く=古い、無職=新しい? https://youtu.be/3w8OAeas60w @YouTubeさんから

アナウンサーの柴田さんが居てくれたお陰で、プロ奢の考えが際立ち、分かりやすかった。

“奢られる”行為に対しても、生き方や働き方に対しても、両者が違う価値観や印象を抱いていて、凄く考えさせられた。
プロ奢ラレヤーが「奢れ」と言ったり、ガムを噛んで話したりする一方で、
「人が汗水流して得たお金」「仕事で苦労してるのに」と柴田さん。
私は、プロ奢ラレヤー自体がアーティストで、人の話を聞いたり、違う価値観を体現したりする姿にはお金を払う価値があると思う。
払う側も、払いたくて払っている人が多いので、需要と供給が一致していて、特に何も思わなかった。

人のことをけなす人。沢山いる。
会社員は、他社の会社員をけなして、自分の仕事や働き方、人生の正当化を行う。
お互いがお互いを、けなして支え合っている。
マイノリティをけなす人は、けなすことで、多数派である自分の正当化を図る。浸る。そうやって、自信を確立させる。

私は
正直、誰もけなしたくない。「ウザい」とかはあっても(鬱陶しいの意味合い)、生き方や働き方をけなして自分を正当化するのは本物の強さがない気がする。虎の威を借る狐じゃないけど、なんか自分そのものの、個性・性格・肉体で戦ってない。

人間そんなに強くないって思う?
私は、自分の生命力を信じるかも。人間として生き抜く力、根拠なんかないけど、私という人間を信じる。

#エッセイ #コラム #毎日note #人生 #仕事



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