村上春樹が記録したレストランの風景
1999年に発表された「スプートニクの恋人」は超絶技巧の比喩を散りばめた文体と、「こちら側」と「あちら側」を行き来する幻想性で知られるが、同時に世紀末の東京の日常を凍結保存した描写が、作品を際立たせている。
例えば、ミュウとすみれは、食事の際にこんな会話をする。39歳のミュウが22歳のすみれをレストランに連れていくシーンである。
1990年代中期、メドックの格付ワインが三千円前後、ムートン・ロートシルトなどの一級シャトーでも若い年代なら一万円前後で買え、焼き鳥屋でDRCのワインが飲めた時代、年上の方からこう言われたことを鮮明に覚えている。
村上春樹は、スプートニクの恋人を「楽しんで書いた小説」であると記している。村上の周囲の光景が取り込まれ、フィクションと絶妙に絡み合う。作者はその過程を楽しみながら作品世界を構築していったのではないだろうか。
世の中には、幻想的なシーンを含む小説は数多あるが、村上作品が際立っているのは、こういった日常描写の解像度の高さである。
単なる身辺描写ではなく、実生活で時々生じるエアポケットのような瞬間を美しく捉え、何気なくフィクションに挿入する。その技巧が、作品に独自の息吹を与える。
2023年の冬、東京の街は世界各国の観光客で溢れている。質が高くバラエティに富んだレストランが、世界中の人を魅了し、食の都としての東京の地位は確立されているかのように見える。
しかしながら、一昔前の状況は異なっていた。1980年代後半から90年代にかけて海外で多くの時間を過ごした村上春樹は、1994年のインタビューで下記のように述べている。
実際、当時の東京のレストランはそんな感じだった。例外はあったが、全体としてはそんなに大したことはなかった。だから村上作品の主人公のように、パスタを家で調理する必然性もあった。
前世紀末から今世紀にかけて、東京のレストランシーンは著しく発展した。その背景には、レストラン側の努力に加えて、生態系を育てた顧客側の貢献があった。そんな何気ない風景の一端が、小説の一場面という形で後世に伝えられるのは、とても素敵なことだと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?