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第2話「恋愛騒動(前編)」 #限界シェアハウス文学

「人間は2種類存在する。それはなにか?」
問われれば、恋愛がテーマの作品ならば"男"と"女"と返すだろう。

しかし、アインツベルン城ではそうはいかない。このシェアハウスにいる人種は"恋愛したいおじさん"と"恋愛を絶対に許さないおじさん"である。
当たり前だが人間はそれぞれ考え方も価値観も違う。好きにすればいいと考えるのが普通である。もちろん害が発生しているのであれば話は別だよ?
それでも人は争ってしまう。なぜならアインツベルン城の住民は自分の欲望に正直であり、かつ周囲のことを配慮することができない問題児だらけだったからだ。
そんな男たちのシェアハウスで、小さな異変をきっかけに住人とシェアハウス関係者、そしてその外部の取り巻きの異常な視線がひとりのイラストレーターに集中する。

今回は、男だらけのシェアハウスで起きた恋をめぐる事件について語っていこうと思う。


M先生の異変

我が家にはK先生以外に絵師が一時期住んでいた。名はM先生という。
彼はプロイラストレーターにして専門学校の講師、望月の会社の社員でもあるM先生は日頃からかなりのインドア派だった。
室内にこもっては基本的に絵を描いているか、YouTubeを見ているか、ゲーム(先生は原神とバイオハザードを好む)するのがライフスタイルである。
外に出かけるときもあるが、それはせいぜい新宿区にある専門学校か、基本的にはハイブランドの服を探しにいっているときか、望月と一緒に近所の有名な銭湯に行く程度だ。

M先生と交わした最後の銭湯のやりとり

基本的に省エネでのんびりした先生だが、ある頃を節目に生態系がガラっと変化した。はじまりは2022年の5月頃からだったろうか。
起床した途端にオシャレな服に着替えて外出する。帰宅するのはだいたい深夜で、ひっそり帰宅する。毎週末の土日の多くがそんな状態であった。その頻度たるや殆どの日取りが不在。一緒にやっていた裸の付き合いもめっきりなくなって、眠るためだけに家に帰宅するような日々が続いていた。

「あれは、女ですね…」

6月に入ったばかりのある日。昼食の席でGくんがポツリと口にした。
食べていた豚の生姜焼きをじっと見つめて、世間話をするような語り方だった。だが、彼の青白い顔と合わさって独特の凄味がそこにあった。
望月とGくんは大学の同期である。「沈黙の艦隊」の異名を持った先輩たちによるディスコミュニケーションと冷笑、激しいマウンティングの中で身を寄せ合って生き抜いた関係である。そしてGくんの言いたいことは、この15年間の文化的背景から自然と全てが伝わった。

僭越ながら、Gくんの言葉の意味を翻訳する。
『あれは女性とデートしている。付き合っているのか、付き合おうとしているのかは分からないが、間違いない』
『アイツもただの女好きか。二次元美少女の美しさを追求したいとは言ってはいるが、所詮こんなものか」
こういった感想をGくんが発するのは、彼が女嫌いであるという話ではない。我々の時代のオタクたちはストイックさが求められる節があった。禁欲的な生活のなかで真剣にカルチャーと向き合うことを美徳とする価値観があった。そしてなにより、当時我々の所属していたオタクサークルで発生した、サークル内の権力闘争に無理やり女性を混ぜ込んだ不快な事件のことを思い出していたという側面もあるだろう。
兎にも角にも、GくんはM先生に女がいることに気づいていた。

死の臭い

このとき、望月も覗きたくない現実に直面したことを感じた。死の臭いがあった。
詳細は省くが、望月は大学二回生の頃に起きたとある事件をきっかけに1-2年ごとに友人や知人が自殺する環境に身を置いていた。人間を突然死に至らしめるエネルギーのことを、我々は"死の臭い"と呼んでいる。そんな臭いをまとい始めた人間特有の雰囲気が先生にはあった。

このnoteをきっかけに京大の友人がアインツベルン城に来訪
xでも昔の話をしてエモい雰囲気になる

この頃、M先生は絵の仕事に行き詰まっているように見えた。仕事や趣味で絵を描いてる時に煮えきらない様子で、望月はそれを「スランプに悩んでいるクリエイター」だと認識していた。
近年の先生の絵はファッション(ハイブランドや最先端デザイン)の流れをかなり汲んでいる。そのアプローチは彼の本来のミッションである、いわゆる二次元美少女文化におけるかわいい女の子を表現することに必ずしもマッチしない瞬間もあった。
要するに、先生は自らの絵の仕事に行き詰まりを感じていたのではないだろうか。少なくとも自分はそう思えてならなかった。そんな背景を背負ってやってきた女の影は不吉でねっとりとして、そしてどこか懐かしくもある臭いをまとっていた。
そこで先生の様子を見守ることにした。予感が的中して闇落ちしそうになったら抱きしめて差し上げればいい。

「あの女の匂いがする」

相変わらず先生は初夏になってもずっとどこかに出かけていた。
その習慣は深度を進めて平日も夜な夜な誰かと電話している声が聞こえるようになった。先生は耳が悪く、テンションがあがると自分の声量をコントロールできないことがある。そんなときに出る大きな声が厚い壁を通って他の住人の部屋まで貫通してきたのだ。
それだけではなかった。先生が帰宅時に体にまとっている匂いが、外出前と外出後で違うのだ。ほんのわずかに残る柑橘のような匂い。女性向けの香水、あるいは芳香剤の香りだと思われる。先生とすれ違った瞬間の僅かな香りから様々な予測が着いた。おそらくは家に上がったのだろう。
そのとき、無意識に「あの女の匂いがする」と口走っていた。その場に居合わせたGくんがギョッとした顔で「ヤンデレの妹みたいですね…」と怪物を見るような目でこちらを見てくる。お前もちょっとした所作で女の影を感じ取っていただろうが。そう言いかけたが、確かに不気味な言動だったかもしれない。

M先生を死ぬほど愛して夜も眠れなくしてしまうヤンデレの管理人

「●の毛がなぜこの家に?」

異変はそれだけに留まらなかった。
ある夏の日、京都時代の友人Dさんがアインツベルン城を訪ねてきた。彼は京都大学で生物学を学んだ教養人で、なぜかエリートコースから外れて東京都内でエロマンガ家をやっている。VTuberに対して歪んだ感情を有していたことからアインツベルン城に入居するという話もあったが、神経質な性質ゆえ集団生活の縁はなかった。

Dさんは家に来てしばらくすると「この家には猫がいないか」と問うてきた。残念ながらこのシェアハウスでは動物のように不規則で意味不明な行動をする人間は沢山いても、動物なんていない。そんな話をしていると、Dさんは四つん這いになってフローリングをのしのし歩き始めた。
彼がみつけたのは先生の洗濯物が入ったカゴである。その衣服から、白くて毛を見つけ出した。それなりに長くて硬く、チクチクと指に刺さる。人間のものでは到底ない。Dさんはそれを見て「これは犬…いや、猫の毛だ!」と動物に詳しい様子で教えてくれた。
それから話の弾みで先生の状況について話したところ興味津々な様子。Dさんは出版の仕事に顔が広く先生のことを知っていた。マンガとイラストという近しい業界のプロとして、そして何より京都の陰気なサブカル大学生の血が抜けきらない彼は、先生の色恋沙汰をウォッチングすることに暗い情熱を抱いた。
30半ばに差し掛かる大人が同業者の恋愛沙汰に粘着する姿は流石にキショい。そう指摘するとDさんは「失礼な、これは取材です。作品づくりに使えそうじゃないですか」と早口にまくし立ててきた。
そういうところなんだよな。

突然四つん這いになって何かを探し始める33歳(当時)男性

非モテエロ漫画家の異常な粘着

猫の毛を発見してから2週間後、Dさんから連絡がきた。
Dさんはマンガ家としての地位となんらかの大義名分を利用してM先生の専門学校を訪問観察してきたらしい。本当に最悪である。
その結果有力な相手を見つけたようで、教鞭をとっている学校の生徒だという。M先生は佐賀県伊万里市出身で、同じく佐賀県からやってきている声優/VTuberコースの女学生と仲が良いらしい。その学生さんはペットに犬と猫を飼っており、かつ原神が好きで先生との共通点が非常に多い。年齢は20(2022年当時)とのこと。信憑性は不明だが、学生側も成人しているのであれば他人が口を挟むことでもない。
余談であるが、Dさんから「やっぱり絵師なんだよな」「なんでVって絵師と付き合いたがるんだろうな」と執拗に問いかけがあった。曰く、同人作家時代の盟友(おじさん)をとある大手Vに寝取られた恨みがあるらしい。知らんがな。

こうして、M先生の恋愛はシェアハウス内外の人間によって見守られることとなった。ある者は彼を色気づいた弱者オタクとして、ある者は彼を迷える子羊として、またある者は彼を仮想敵として捉えていた。
先生の恋愛を監視する男たちの議論は更に白熱して、更にはなぜか望月の会社の元社員であり、アインツベルン城の元住民までが首を突っ込んでいた。
一部で恋愛の是非を語る面々は端からみていてかなり不可解だった。

突然のおわり

そんな8月のある日、M先生から大事な相談で呼び出される。話を聞けばアインツベルン城から旅立ちたいという話だった。
「ついに先生に破滅がきたのか」と抱きしめる決心をしていたが、どうやら杞憂だったようだ。しかし、なぜか分からないが、先生はしどろもどろになっていた。「望月さんに迷惑をかけるつもりはない」「会社にずっといたいと思っている」「許してほしい、見逃してほしい」という趣旨の話を立て続けにされたが、なぜそんな話をしているのか理解できなかった。色々と話したがすべての会話は曖昧であり、先生は恋愛をしていたのか、いなかったのか。そして引っ越しの確たる理由がなんだったか、この時はなにも分からなかった。
それから先生はアインツベルン城に2022年12月上旬まで滞在して、旅立っていった。

アインツベルン城に残ったものは30代中年男性の恋愛事情を執拗に見守っていた男たちの空回りする情熱だった。
Gくんは引っ越し代を削減したい先生の願いを聞いて、律儀にも荷造りから車まで運転して引越し先まで運ぶ献身を見せた。これに対して先生はGくんにお礼として豪華な食事をごちそうすると言ったそうだが、この約束は2024年5月16日時点でまだ果たされていない。

送ったメールに返信はなかった
Gくん曰く「もう先生に会いたくもないので、食事はいらない」

Dさんは騒動が終わっても尽きることないこだわりで、毛から猫種特定できないか母校に出向いて秘密を解き明かしたらしい。去年の夏に猫種を絞り込めた旨の連絡が来たが気持ち悪すぎてスルーしてしまった。風の噂で聞いたが、この事件の裏側をエロマンガとして世に送り出すため執筆中だとか。
元住民たちは先生を女に逃げた弱者と小馬鹿にしていた。今もきっと先生の話題が出るとニヤつきながらその話をするだろう。
K先生は事件の蚊帳の外だったが、偶然にもM先生と同じ日にアインツベルン城を旅立っていった。
そして我が家には、先生の古着と彼が仕事で関わったライトノベル(打ち切りになってしまったらしい)が打ち捨てられて今現在も望月の部屋の片隅で眠っている。

打ち切られて絵師にも捨てられた作品たち
今はせめて主の衣服に包み眠ってもらうほかない

以上が騒動の顛末である。思い返すとくだらない事件である。
しかし、この騒動のなかに垣間見えた不可解な出来事が、それから1年後の2023年11月に、男女の恋愛で済まない多くの人の人生をメチャクチャにする事件を引き起こすことになるのであった。Gくんもまた、この出来事を契機に災厄に巻き込まれることとなる。
その話は、また機会があれば語りたい。

さいごに

シェアハウスあるあるだが、プラスのエネルギー発しない集団がマイナスの方向にだけ加速、加速するだけした後に巨大な停滞をもたらすということがある。登場人物が何か大きな出来事をつくりだしてくれる

それにしても「おじさんは本当におじさんのことが大好き」である。
M先生の異変を通して、おじさんが独自の価値観でおじさんを批評して、そのおじさんの人生の重大な事案に対して何らかの干渉しようとする。おじさんがおじさんのことばかり考えて日々を生きているという事実を改めて実感した。
おじさんに対して新たなる価値を付与することができるようになれば、この最悪なシェアハウス、ひいてはおじさんを取り巻く世界で新しい価値が生まれるのではないだろうか。

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