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自他境界とセロリ

自分と他人は別物って
そりゃそうやろって感じすぎるけど、
自分と他人の境目って
目に目える境界線があるわけじゃないから
人それぞれ測り方が違ってしんどいときない?

私のパーソナルスペースに入るな!みたいな。

3〜4年前から他人との距離感を測ることが
とても不得意な事に気づいて
ものすごく頭で考えて人付き合いをしてたんだけど
この間ネットで"自他境界"という言葉を
知りました。

書いて字の如く自分と他人の境界のことで
この境界線は人それぞれ違って曖昧で
相手によって境界線も変わってくるけど

例えば、
他人の悩みを自分の悩みのように受け止めて
尽くしすぎてしまったり、
自分の態度や発する言葉の受け止められ方を
考えすぎて気を使いすぎたり、
逆に相手のことを配慮できずに
言いすぎてしまったり。

誰にでも必ず起こりうることだけど
他人と関わることで
ひどく疲れやすい人は、
この自他境界の線引きが
上手くできてないことが多いらしい。

確かに人のことを気にしすぎだなんだと
言われることが多かったわしは
思い当たる節が多すぎて、
じゃあ、この自他境界の境界線を
もっと上手に引けるようになれば
多少は楽になるのか!!と
深く調べてみたところ、
幼少期の親との接し方で上手く引けるかどうかが
分かれてくるって…

詰んだ…やり直せねぇじゃん^P^

そもそも自我や自分と他人の認識というのは
持って生まれてくるのではなくて、
成長過程に周りから受ける刺激で
構築されるものの割合が大きいように思うし、
自他境界に至っては
まだ意識もふわふわしている赤子の頃に
親に抱っこされたりといった経験の元、
この心地よさは他人が与えてくれたものと感じ
そこから"親という他人"を認識し、
徐々に境界線を作っていくらしい。

ネットで見た内容を
だいぶ簡単に砕いた内容なので
もっときちんと知りたい人は
各々調べて欲しいんですが、
とりあえずわしはこの
「自他境界」という言葉と存在を知って
他人と関わる事がかなり楽になった。

今まで経験した人間関係の失敗やトラブルを元に
頭で考えて穏便に他人と関わろうと
ガチガチに意識してたけど、

どこまでが自分で、どこからが他人か。

を軸にする事で余計な感情や言葉を
拾う回数がかなり減った。

他には目の前で誰かが落ち込んでても
必要以上にその状況に引っ張られず、
落ち込んでいるのは他人であって
わしの人生は平常運転、という
認識ができるようになった。

あとね、これはここ数日で覚えたことだけど
他人が自分に発してくる言葉って
大抵が深く考えてない
意味のない言葉なんだな〜と気づいた。

今まで嫌なことを言われたら
なんでそんなこと言うの?と悩んだり、
ノリで言われた軽い言葉の背景を
勝手に想像して(軽い被害妄想)
落ち込んだりしてたけど、
結局みんな自分のことだけ考えて(わし自身も)
その時に思った事をぽんぽん言ってるだけで
あまり意味はないんだな〜と。

もちろん人が傷つくような言葉は
どんなに軽い気持ちでも言っちゃダメだけど、
言われた言葉の意味に毎回頭を抱えて
考えすぎたり、落ち込んだりとかは、
毎回毎回めんどくさいなとなってきた。

てかさ、
自分のことすら理解できないのに
他人のことを理解したり、
ましてや納得させるなんて
超絶難問に決まっとるやんけ!!!!

境界線をあまりにも他人よりに引いてたから
よくわからんイライラを抱えて
謎に毎日モヤモヤしてたんだわ!!!!

と、気づきつつはあるものの
30年寄り添った自分の思考回路を
急に大きく変えることは難しいので、
人間関係で悩み出したら
速攻で山崎まさよしのセロリを
脳内再生しています。

でも、この思考に慣れてくると
もはや他人と関わらなくていいのでは?と
なってくる。

目的思考の白黒思考ダルすぎる。
もっと漠然に生きてぇよ^ - ^

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