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恋するオンナの落とし穴①


わたしが結婚した旦那と車中泊の旅が始まったのは
2021年の12月のはじめだった。

夢を追いかけて走り出した旦那についていく形でわたしは
旦那のプロジェクトに参加した。

恋は盲目とは言いますが、これは本当だと思う。

わたしの旅のはじまりは
まさにグッと感情が突き動かされて動き出したものだった。
これが恋だと気づくのに本当に時間がかかったのはいうまでもない。

なぜなら、
出会った時の感覚はまるで家族に近い安心感が旦那にはあった。

むしろ付き合いはじめの頃は
恋愛として旦那のことが好きなのかという疑問さえあって
嫉妬している自分がいると安心感さえ感じていたのに・・・。

過ごす時間が増えて、
旦那の新しい一面に恋をする自分がいたりして。

そんなわたしは、
旦那に恋をしている自分が出てくる度に恥ずかしくなって隠していくのであった。

私たちはどこまでいっても人間で女と男。

2人の関係性の中に恋愛という感覚はどこまでいってもやってくる。

でも、その“恋してる”という感覚を自分の中の“恋愛”という色眼鏡で見て
嫌悪感を示し、蓋をし続けていた。

わたしの“恋愛”とはメンヘラ、嫉妬、自己嫌悪などの
自分でネガティブと捉えているワードがもれなく付いてくる
何とも重苦しいものだったから。

とんでもない色眼鏡である。笑

“恋愛”という言葉自身も勝手にこんなイメージをわたしにつけられて
とんでもない迷惑を被っていたことだろう。

でもそんな捉え方の根本には傷つきたくないという乙女なわたしが
いたりして。

とにかく“恋愛”を拗らせたわたしはなかなかの厄介者だった。

そんなわたしと旦那との喧嘩の発端のほとんどは
わたしがこの“恋している自分”を“母性”で隠したことにより
生まれたこじれが原因だったように思う。

そんなわたしたちの第1回目の喧嘩エピソードを綴っていこう。

それは車中泊生活のはじまりの山梨県での出来事だ。

わたしはその時旦那が生み出したプロジェクトに参加した
助っ人のような認識でいた。
プロジェクトの舵を取るのは旦那で
サポーターとしてわたしができることをしようと思っていた。
もちろんそれはそうなのだか、
旦那とわたしの間には大きなズレがあった。
それはわたしにはその頃まだ恋愛モードな自分がベースでいて
旦那は自分自身の道を歩み出した戦闘モードがベースだった。

そんなわたしのサポートは
旦那の指示通りに動いて、
旦那の面倒くさい身の回りのことをする家政婦だった。

わたしにとってはそれで十分だった。
夢に向かって頑張る旦那の支えになれることに満足していた。

しかし
旦那にとってみれば、1人では心細い戦場で
同じように悩み苦しみながら共に戦ってくれる戦友を求めていたのだ。

そんな歯車の掛け違いで喧嘩が勃発。

喧嘩のきっかけは思い出せないほど些細なことだったと思う。

そんな喧嘩の最中で旦那が発した言葉に
わたしの堪忍袋の尾が切れた。

“あきよって俺の言ったことしかやらない犬みたい”

カッチーーーんっっっ!!!!!!!!

は!!!!!??????

お前がやりたいにことに専念できるようにこっちは
環境整えようと思って色々やってんのにその言い方はないだろ!!??

というのがわたしの意見。

旦那からしてみると自分の意見も言ってくれ。
意見交換の中でいいものができるのだから。

と思っていたんだと思う。
ひとつのものを作り上げるチームという意識からだと
今なら理解できる。

でも恋愛がベースのわたしからしたら、
わたしはわたしなりに支えになってるのに!!!!
それを犬って言うなんて最低!!
わたしがいなかったら何もできないくせに!!!!

喧嘩って大体お互い自分のことしか考えていない。

わたしはあなたの支えになってる“わたし”の押し売り。

旦那は自分のチームの一員としての在り方の押し売り。

そして

ブチギレたわたしは旦那に

“しね!!!!”と一言吐いて車をおりました。笑

恐ろしいオンナだ・・・。笑

献身的に支えになろうと心に決めて
自分のできる事をやろうと試行錯誤しながら立ち振る舞って
いたものを
“言ったことしかやらない犬”呼ばわりされた女の怒りは恐ろしいぞ。

このあと結果的に仲直りしたのだが、

“恋愛しているわたし”の存在に気づいていないわたしは
結果的に旦那のチームの1人としての側面でしか自分の存在を確認できず

なんだか腑に落ちないのであった。

そんなわたしの心の中は“自分が大人になるしかない”。

これが“恋愛しているわたし”の存在を完全に無視したわたしの逃れ文句。

この時“恋愛しているわたし”の存在に気づいていれば、

わたしって旦那のこと大好きなんだな〜

仕事に専念できる環境を作ってあげたいと思って
早起きしてご飯作ったり、身の回りの面倒くさい事を全部やって
あげることに充実感を感じてたんだな〜。

それを旦那にもありがとう。助かるよって言ってもらいたかった
だけなんだな〜って思う。

旦那と楽しく過ごしたかっただけやん!

かわいいもんやん!

でも、この時は全然そんなことに気づけるわけもなく

旦那のチームの一員としてわたしは何もできない無能な人間だという
自己否定がかすかに強くなったり、

“恋愛するわたし”に“大人なわたし”で蓋をした結果、
さらに“恋愛するわたし”の存在を遠ざけるのであった。

こんな簡単なことにも気づけないなんて・・・

本当に

恋は盲目。

それは現実が見えなくなることではなく、
現実に恋愛フィルターを通していることに気づいていないことである。

つづく。




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