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恋するオンナの落とし穴 おまけ編

“恋するオンナ”をやりきったのはいいが、
その後に残されたのは自分が撒き散らしたゴミの後片付け。

それもどうにも自分ひとりではできずに旦那にも手伝ってもらうという
なんとも迷惑極まりない。
“恋するオンナ”をわたしはもう二度と味わわなくてもいいと言うほど、
酸いも甘いも経験した。

きっと多くの人は
10代もしくは20代前半で済ませていることだろう。

わたしはこの“恋するオンナ”フィルターに翻弄されたこの1年弱で
旦那と数えきれないほどの喧嘩をした。

その中には文章にするには少し刺激の強い場面もあった。

その度にお互いの素直な気持ちを話し合って、
ここまでやって来れたのは本当にすごいと自分でも思う。

でも、その後始末としてやってくるのは
単純にもう喧嘩したくないと言う防御反応。

これは自分でも気づかないうちにやってくる。

旦那は自分に嘘がつけないので、
怒りや不満も素直に表現する。

恋愛フィルターがかかっていたわたしは旦那のこの表現に
いちいち傷ついたり、イラついたりしていた。

それによって旦那は罪悪感や嫌悪感を感じていたのだ。

わたしは元々自分の感情に鈍感。
周りには分かりやすいと言われるが自分では気づきにくく
知らないうちに誤魔化していることも多々あった。

それにこの恋愛フィルターが重なるとさらに複雑になった。

そうやって誤魔化していたことが旦那との喧嘩の発端だった。

幾度とない“恋するオンナ”との格闘で
旦那の怒りや不満の表現に反応する自分にやっと気づけるようになった。

そこに気づくまではいいのだが、
同時に喧嘩をもうしたくないという回避、自己防衛の意識が働く。

そんなことなければ何にも考えずに旦那の怒りも不満も笑い飛ばせるのに〜

自分が招いたことだからしかたない。
馬鹿だな〜と思いながら、
旦那に素直に話すしか解決方法はないのであった。

本当にわたしは自分のケツも拭けない弱っちい人間だった。
(全然悲観的な意味ではない。
 前まではどこか自己過信している自分がいたけど、
 結局自分も当たり前に人間なんだと最近では自分の愚かな部分も
 認められるようになってきた。)

それにしても自分を見失うというのは本当にハイリスクなことだ。


“恋するオンナ”は悪い奴ではないが、
真剣に向き合う(執着すると)少々めんどくさい。

これからは適度な距離感を保ちながら、
楽しく関わっていこうと思う。

そういえば、
先日旦那と話していて思ったことがある。

旦那は時々、なんか恋したい気分と言い出す時がある。

わたしにとってはもう面倒臭くて二度と関わりたくないくらいの存在だが、
旦那にとっては甘酸っぱい爽やかな存在なんだなと感じて、
自分の物事の捉え方の卑屈さにどんよりした。

いつもはセコマかしく見える旦那が
ピュアでキラキラして眩しくて直視することができなかった。


おわり


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