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気づけば早1年。春の香りが漂う。



東京に来て1年が経った。

こんばんは、大変ご無沙汰しております。常々感情や思い出をメモすることにし、まとまった時間をとった際に更新しようと思っていたら早3月最終日を迎えておりました。怠惰な自分に喝を入れます。ということで今日、食後のデザートは抜きます。

そんなことはさておき、私が東京に来て、つまりは上京して早1年が経とうとしている。社会人になることをきっかけにこの地に来て、早1年。私は何を感じ何を学んだろうか。振り返ると、嫌なことというか、悩み続けていた時間を思い出す。
東京に対する違和感を持ち続け、どこか斜に構えているような感じ。自分が生活する拠点として合わないと判断し、出ればいいのに、出ることはしない。なんでだろうか。
それは私が何かを「求めている」状態だからかもしれない。何かを得たい。何かを探し求めている状態だ。求めているものを見つけやすい場所として東京は最適だと思う。だから斜に構えているとは外面的にありつつも内面には肯定的な感情があったのだと思う。加えて、最近東京が好きになってきたこともある。何者かになろうとするのを完全に断ち切れたからだとおもう。浴び続けるもので溢れている東京に住むと背後から「お前は〇〇にならなければならない」といわれている気がするのではと思うことが多々ある。したがってその感情に駆られ自身を見失うと「嫌い」になってしまうか疑問を持たずただ居ることになってしまう。
しかし、私は何者かになるのを辞めれた気がする。それはなぜか。東京で出会った人たちのおかげである。そして東京で過ごす旧友たちのおかげであり、訪れた場所、見た景色、根付く文化にいっぱい触れる機会があったからである。なんとなく自分を見つけることができ、「いま」やりたいことに集中している気がする。ありがとう。

春の香りでいっぱいである。

気が付けば春の陽気で満ちている。心が温かい。
季節の変わり目や、季節イベントで盛り上がる世間を見るのはとても好きだ。何かエネルギーをもらえる気もする。だから春の気持ちでいっぱいになっている皆様は騒いだらよろしい、そして好きなものを食べ、過ごしたい人と過ごせばよいのです。春を体験できるのはあなた、私の人生の中で残り何回だろうか?シャワーを浴びる回数とは異なるんです。
遊びたいとき、騒ぎたいとき、会いたいときに心に従うのがいいのです。
感情は生もの。風化する前にぜひ。

春の暖かい陽気に包まれながら明日を迎える皆様へ。
ご自愛ください。我々の明日はもっとあたたかみで包まれていると思います。好きな曲を聴いて寝るのがよろしい。

よく頑張った自分、明日から新卒2年目だ。
正直歳はもう取りたくない。謙虚に生きろ。そして寝ろ。そして花粉症はもう少し続きそうだ。薬を飲め。

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