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「あの花の咲く丘でまた君と出会えたら」を見てきました。

 先週、遅ればせながら、
(相当に話題になっていた映画のようですね)
「あの花の咲く丘でまた君に出会えたら」という映画をみてきました。
私は、映画は分析的に見てしまうようで、あまり泣かない人間なのだけれど(勿論、号泣したわけではないけれど)この映画は初っ端から、涙が出て、全編を通して、静かに涙が流れ続けた作品でした。

 内容は・・・【親にも学校にも不満を抱える高校生の百合は、進路をめぐって母親とケンカになり、家を飛び出して近所の防空壕跡で一夜を過ごす。翌朝、百合が目を覚ますと、そこは1945年6月の日本だった。通りがかりの青年・彰に助けられ、軍の指定食堂に連れて行かれた百合は、そこで女将のツルや勤労学生の千代、彰と同じ隊の石丸、板倉、寺岡、加藤らと出会う。彰の誠実さや優しさにひかれていく百合だったが、彼は特攻隊員で、間もなく命懸けで出撃する運命にあった。 ・・映画/comより】

 ISSAさんの記事でこの映画が紹介してあり、見に行ったのですが、この映画の凄いところは、人のために命を落としてしまう人、それ故に残された妻や子は苦労を強いられ窮地に追いこまれる、こういう善は果たして良いことなのか、馬鹿なことなのかという、大命題を突きつけたことです。

 映画の初っ端から、こんな大命題を突き付けられて、タジタジにならない人はいないでしょう。そこで、思わず静かに涙が流れだすのです。

 私は、相当に昔ですが、これに似たエッセイを書いたことがあります。

 【それなら、人を助けて不運にも自分が死んでしまった人はどうだろう。昔、ある物語を聞いたことがある。海で人を助けて自分は溺れて死んでしまった人がいた。母親は息子が人を助けたとしても、息子自身が死んでしまったのを嘆き悲しんで気が狂い、村々を哀れな姿で彷徨するようになった。
そんなある日、息子が幻に現れて、母に言った。
「お母さん、なぜ悲しんで、そのように狂ったように彷徨するのですか? 私は人を救ったことで、一生生きたとしても到底たどり着けないほど輝かしい高い霊界に今いるのです。だから、お母さん、私が死んだからと悲しまないでください。私が人を助けたことを誇りに思って、喜んで生きてください」と】

 これは、あくまでも、子と親の話であって、また、あの世が存在すると言う人の話だから、あの世を信じない人には通用しない話ではあるのだけれど。また、残された家族に、恩恵は行くのかという話になると・・、私は行くと思っているのだけれど。

 さて、映画に出てくる特攻に行く若き青年たちは、果たして無駄な死だったのかというと、私は絶対にそうではないと考えています。日本国と、日本の一人一人を護ろうと、自らの幸せな人生は顧みずに若き命を自分から差し出した清く純粋な心を持った人たちの真摯な行為だったからです。

 では、ジハードはどうかというと、日本の特攻の青年たちは、戦争中に、小さい飛行機で、大きな軍艦に体当たりしたのであって、決して民間人や、無差別攻撃などをする行為はしていないのです。
 また、ジハードは、飯山陽さんによれば、全世界をイスラム化しようという理論に根差した行為なのだそうですが、日本は違います。世界日本化などを考えて行動していませんでした。

 特攻隊については、ISSAさんが、記事として載せているので、それを引用させていただきます。見ていただきたいと思います。

 私は、相当前に、ある大学の先生の「日本の戦争は、北進すべきであって、南進すべきでなかった」という本を読んで、そうかもしれないと最初に刷り込みをされたので、そんな思いは今でも時々は顔を見せるのです。
 しかしながら、先の戦争は、アメリカによって仕掛けられた戦争であって、マッカーサ―も、後に「日本の戦争は自衛のための戦争だった」と、はっきり言っているように、また、欧米諸国によって植民地にされて苦しんでいたアジアの解放という意味もあった戦争で、実際、その後は、アジアの国々は次々に独立していくことになりました。
(私の貧弱な知識からですが・・・)

 勿論、多くの国にも被害を与え、日本は焼け野原になり、これほどの犠牲と被害を出して敗戦に至ったのは、たぶん、軍上層部の無作為によるものも大きいだろうと思うけれど、アメリカ軍の物量作戦による町々への大空襲や、原子爆弾による非人道的無差別大量殺戮は、歴史が審判すべき時が来るのだろうと思います。そして、東京裁判も・・。

 映画の中で、特攻に行く青年が、警察官に殴られる場面があって、その時、町の人は「その人はもうすぐ神様になる人だから、殴ってはいけない」と止めに入るのだけれど、確かに、若く清く純粋な精神を持った軍人さんは、尊ばれるべき存在であったと思うのです。
 実際、こういう絶対無私の精神が、きっと、欧米の人達にも伝わり、日本国をぞんざいに扱ってはいけないと思わせたに違いないと、私は思っています。
 
 今回、この映画を見て思ったことは、この純粋な19歳や21歳の青年たちは、ある意味では、日本の、小イエス様たちだったのかもしれない。
 狙撃・暗殺された安倍元総理は、キリスト教的に言えば、日本のイエス様、いや、現代のイエス様だったに違いないと、私は思っています。
(勿論、生き抜いて平和な世界作りをしてほしかった)

 この特攻隊の青年たちは、きっと、日本の小イエス様たちで、日本に多くの小イエス様がいてくれたおかげで、今の日本があるのだろうと、つらつら思ってみたりするのです。

 最後にやはり、ISSAさんが紹介していた
「特攻の母」とよばれた富屋食堂の鳥濱トメさんの言葉を、
私も引用したいと思います。

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私達が何気なく過ごした一日は、
  若い彼らがあれ程生きたいと願った
  一日かもしれない
             鳥濱トメ 
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