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基礎とオンラインの関係



基礎を学ぶ。
学びについてはいろいろありますが、今日はいわゆるこどもの教育についてです。

・我が家の近況
学校は休講、塾はオンラインで授業を再開予定なのが我が家の近況。3月に休講措置がとられた瞬間に、edtechが爆発したり、動画配信がはじまったり。4月には大人も可能な人はテレワークで、オンライン会議が繰り広げられる。おじさまのZoom飲みに参加し、自身もオンライン英会話してみたり(といっても友達と話してただけ)、とにかくこの2か月はオンラインオンパレードでした。
リアルな体験ができないのでオンラインの体験を提供しますって言われるのに飽きて、旅が難しいのに絶望しかけて、結局本を読んでしまうことになって、子育てや家事の多さに疲れて、道端でご近所さんと目が合うのがうれしいというのが最近です。

・家庭学習について
とにかく学校はいま休講。課題一覧を渡されただけでその他特に何があるわけでもないのが現状。4年の息子は、毎日やりなさい!という私の号令のもと、学校の課題と塾の課題をそれとなーくやっていて、いつもよりぐだぐだしています。何もない休日みたいな感じ。そして1年の息子。入学式を青空のもとやったのみで、机に座った経験はまだなし。課題の紙をわたされるも、それが何なのかわかっているのかと言われるとギモン。
そして塾は、今までは動画解説のみでしたが、来週からオンライン授業。3時間ひとりでZoomに立ち向かえと指示。できるのかな~。
まだまだ小学生だし、先は長いし今のところあまり不安はないです。ただ、改めて学校の意味、教育の意味、を見つめるきっかけになっています。


基礎において、
人が教えるというのは必要なのか。それとも不要なのか。


・オンラインで学ぶことについて
まだ我が家には本格的にオンラインでの授業が入ってきていないので、結果から考察はできないのですが、オンラインでワークショップに参加したり、動画配信だったり、リアルタイムを伴わないオンライン環境は沢山経験した結果からのオンライン授業への仮説と洞察をします。
いわゆる教育の基礎については、オンラインは非常に難しい。
あくまでも仮説ですがこれにはいくつか理由があります。

① まだ見ても聞いてもいないことを、一部の聴覚と視覚で体得するのは難しい
② 身体的負担が大きい
③ オンラインといってもサポートありきのオンラインである

① に関してですが、保育園でこどもを観察していると実際の行動を見て、触って「まね」するところから学びはスタートしています。なので1年生の基礎はやはりまねるところから、勉強のスタイルを理解していくパートがどうしても必要になると思います。足し算も文字も書けるようになれば良いのではなく、どうやって勉強をはじめていくのかを体感していく必要性があるように思います。1年生の息子をみていると、ひらがなは書けるようになっても、じゃぁ教科書の文書いてみようか言ったとたんに、なんで?がはじまります。技術だけ体得しても本質がまだ片手落ちな状態。学ぶ楽しさは遊びを通して知っているけど、それが勉強とはまだ結びつけられていないです。

② これはもう自明。ずーっと画面見て、しかも注視して、音も聞いて。疲れないわけがない。テレビだって、目が悪くなるから離れてとか、時間などの約束を決めている家庭は多いと思いますが、勉強でディスプレイ見るからテレビはダメっていうことも難しいし(そもそも目的違うし)負担増なのは確か。これは走って体力をつけたらなんとかなるわけでもないのでエッセンシャルな問題です。


③ ここが実は最大の問題かもしれません。そして状況によって意見が異なるところ。①の本当の基礎についての問題がクリアできたとすれば、オンラインでの教育って、選択肢も可能性もぐっと広めてくれることは間違いなさそうです。場所と場合によっては時間も制約から外れるわけで。ただ、小学生くらいの場合はサポートあっての学習になるのが絶対。別にオンライン授業でなくても、宿題をみたり、○付けをしたり色々サポートはあったわけですが、そこに機器サポートもあったり、やっぱりリアルには敵わない部分のサポートがあったり。学校に行けば必要なかったものが、サポートする側にたくさん出てくる。そしてサポート体制については、まちまちである。この「まちまち」が大きな問題だと思います。今までは学校に行けば保障されていたものが、個人におちてきて差になってしまう。

オンラインがダメなんて全く思ってないです。ただ、いわゆる「道」において師匠から型を受け継ぐことは必須で、それが今の日本では義務教育なんだろうなと思います。別に席に座って静かに話を聞くのが良いスタイルとも思ってないし(私自身それができないタイプ)、割と先生が誘導して答えを出すことが多いのも気になる点ではあるのですが、いわゆる学問の型は義務教育の時代に体得したと思っています。

・今という瞬間について
少しでも学びを止めないために、色んな方面で色んな方が今日も考えてくれているなと思います。私も教育に近い活動をしていますし、保護者としても日々考える毎日です。
もし、今が非常時であるとすれば、無理せず出来ることでサポートするだけで良いなと思います。もっと言うと、その場しのぎのオンラインならあってもなくても良いし、ない方が負担は少ないと思います。一部不安が解消されるかもしれないくらい。
ただ、このオンラインという現象を、非常時を超えて、未来の可能性ととるのであれば、未来のために実験できればよいなと思います。やり方が変わる以上、できるものも、結果も変わります。新しい枠組みで、教育を組みなおしていくことが今必要なのだなと思っています。そしてそこには可能性がある。今まで先生だけに集中していた教育負荷は、これから誰と誰が担えばよいか、体験についてどうすればよいか、個別に進度を変えるには・・・たくさんの問いに対してひとつひとつ考えていきたいです。
今の非常時を抜けたとき、いろんな可能性が日常になるように準備していこうと思います。

・基礎を学ぶこと
子どもひとりが育つには、ひとつの村が必要だ
アフリカのことわざですが、最近本当にそう思います。一人に対して、色んな人がいちいち何度も言わないといけない。背中を見せないといけない。
基礎って、オンラインでは制約でなくなる「場所」と「時間」のたまものなんだと思います。つまりこの制約がないと成り立たない。ただし、そこを一度超えてしまえば、一気に自由になる、そんな感じです。ピアノでも、英語でも、ある日いつもより自由な瞬間ができたことがありました。きっとそれが基礎を超えた瞬間、自由になった瞬間なのだと思います。

あらためて、学びには人が必要で、それもリアルに体温が必要だと感じています。
なので、できるだけ早くこの状況を抜け出せますように。そしてこの後にはオンラインでも、リアルでもたくさんの可能性が芽を出しますように。


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