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あの頃の私をビンタしてやりたい南米独立史

7月28日はペルーの独立記念日。
ただ誕生日と同じ日付だから覚えていただけで、そういえばきょうまでペルーの独立記念日について何も知らなかった。

思えば高校で世界史を選択していたのに、南米の独立でいうとシモンボリバルがどことどこで、サンマルティン?(すらおぼろげ)がどことどこでというのを国名の語呂合わせで仕分けようしてたし、大学時代のバイトで南米諸国の独立記念日覚えなさいと言われて日付の羅列が覚えられず部長に怒られたのがクライマックス。

さて、ペルー独立の立役者は、ホセ・デ・サン・マルティン先生。

ホセ・デ・サン・マルティンはアルゼンチンではマヌエル・ベルグラーノと並ぶ英雄で、ついこないだまで、5ペソ札の人だった。
没後16年目に初めてお札に登場し、150年に渡り、40のお札、9のコインに描かれた偉人。
ついこないだまでというのは、進むインフレのせいで5ペソ札が廃止されてしまったから。10ペソのベルグラーノは冷や汗かいているに違いない。でも、これまでも描かれない時代もあって復活しているから、今度は10000ペソ札になって戻ってくるかも。

南米の独立と言えば、シモン・ボリバルのほうが有名かもしれないけど、シモン・ボリバルはカラカス(ベネズエラ)、ホセ・デ・サンマルティンはコリエンテス(アルゼンチン)生まれなので、南米大陸の北と南のふたりが、それぞれ南米各国を解放しようと進軍していたんだと想像するとぞくぞくする。(ふたりだけじゃないけど)

ホセ・デ・サン・マルティンの父親はスペイン生まれの軍人で、ブラジルとウルグアイ川を挟んで国境のヤペユというところの総督だった。マラガ赴任を機に家族でスペインに帰国。そのときサンマルティンは7歳くらい。クリオージョ(南米生まれの白人)とは書かれているけれどどういう意識だったんだろうなあ。

サンマルティンはそのままスペインで軍人になり、スペイン独立戦争でも活躍し、いい地位まで登るのに、南米の革命の動きを知るとすっぱりとその職を降りて、50日の船旅を経て34歳のときにアルゼンチンへ戻る。

一方のベネズエラのシモン・ボリバルはバスク系の良家出身で早くに親を失い親戚を頼ってヨーロッパに留学していた。結婚を機に帰国したものの、早くに妻を失いまたヨーロッパへ渡る。しかし彼も南米の革命の機運を知って帰郷。シモン・ボリバルはヨーロッパで南米独立の夢を語ってバカにされたことがあるらしい。ぎゃふんと言わせてやったな!


ホセ・デ・サン・マルティンも、長いことスペイン軍にいたせいで、南米側として信じられるのかと怪しむ人もいたらしい。
父親もスペイン軍に長く仕えた人だし、兄弟もスペインに残っているし、複雑な気持ちもあっただろうなあ。

で、北からボリバル、南からサンマルティンがスペイン王国の副王軍と戦い独立へと導いていく。
ということはもしや、南米各国が独立した年は、南北が先で大陸の真ん中が後になっていくのかな??

と、思いきや、そうとも限らない。

なぜか。
一口で「独立」と言っても、1日ですべてが終わるわけじゃない。アルゼンチンも1810年5月に革命が始まり最初の議会が設立されてから1816年7月に憲法が制定されるまで6年あり、どちらも祝日だけど、独立記念日としては憲法を制定した1816年の7月9日が定められている。

隣国チリは最初の議会が設立された日を「独立」ということにしているから、アルゼンチンより早い1810年9月18日が独立記念日。実際にはスペインの支配が続いていて、サン・マルティンがアンデス越えをしてチャカブコの戦いやマイプーの戦いで副王軍を撃破し、チリを本当の独立へと解放へ導いた。

(昔はサンマルティンに指名されたベルナルド・オイギンスが「独立宣言」した1818年2月12日をチリの独立記念日としていたらしい。)

その後1821年サン・マルティンは改めて北上し、リマを解放し、7月28日に「独立宣言」させる。そんなわけでペルーでは7月28日が独立記念日。

でもこちらもその日に完全に自由になったわけではなかった。解放されたのはペルーの一部だけで、高地のアルトペルーはまだスペインの副王の支配下。

そこでとうとう二人の英雄が出会う。サン・マルティンがシモン・ボリバルに協力を求めてグアヤキル(エクアドル)で会談。わー!感激!!!

ところがなんと、立憲君主制か共和制か、奴隷解放するかなどで話が折り合わず、ふたりは決裂、諦めたサンマルティンはあっさり引退してしまう。

なんてこった。

その後、ボリバルの武将、スークレ(昔エクアドルの通貨単位だった)が残りのアルトペルーの副王軍を撃破しペルーは完全に解放される。それが1824年。

サン・マルティンはあちこちの国からいろいろな役職に声をかけてもらっていたにも関わらず、アルゼンチンからしばらく離れていたため自国ではあまりかまってもらえず、娘とフランスへ亡命。そのまま亡くなった。

ひとり娘メルセデスに残したメッセージの最後の言葉が、

Inspirarle amor por la Patria y por la Libertad

-祖国と自由への愛を奮い立たせる-

最期まで、愛国心と自由への希望を失わなかった人なんだな。

と言うわけで、ただただ南米各国の独立記念日を丸暗記しようとして1つも覚えられなかった18歳の私に教えてあげたい。

20年後の誕生日に、自分の誕生日と同じという理由で急に南米の独立に興味がわくから心配するなと。

20年越しでひとつ賢くなった誕生日。

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好きなことを書いて好きな写真をあげているだけですが、サポートしてくれたら張り切っちゃいます。

Muchas gracias!!
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日々→ラプラタ川を眺める。 週5→ハキリアリ、川の対岸ウルグアイ、朝焼けウォッチャー。 元→ブラジル邦字紙通信員、日本語教師 興味→スペイン語、アルゼンチン語、 三姉妹。外国ルーツの子どもの教育支援、写真、俳句、ディジュリドゥ、エクアドル、絨毯。
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