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コロナ渦で浮き彫りにされた生きづらさ。耐えることが当たり前に苦しめされたこと。後編

前編はこちら

ここからは後編として書いていきます。

(前編の投稿がその前に投稿したことの逆行のような投稿ですいません)

・一人何役もやらないといけない。人手不足だけど、人を増やしたくないという姿勢

人が少ない増やしたら障害者雇用しなければとか 雇用費が増すからやりたくない

ボランティアの精神
一人何役もやる やりたくないなら押し付ける。
怒鳴りたい 文句いいたい
それらの押し付け 文句の受付
全て 私で受ければ
でも できなければ
文句の言い合い 責任の押し付け合い。

それと
やりたくない
責任を負いたくない
誰かがやるだろう
あなたがいるから大丈夫という真面目という理由も
押し付る 人を増やしても結果は同じこともある。

あなたのせいだ。

そういう圧力・権力 サポートなしで全責任を押し付ける行為。

全て 何役も 一人でこなせば
死ぬ覚悟で無理すれば
休みなく こなせば
頼られるのかな 認めてもられるのかな。

過労死ライン超えても だれも言われないから。そもそも存在すらも忘れている。誰かがやっている。やってなければ、押し付ければ事無きになるから。

それが当たり前になったから

お互い様という意味のはき違いも
こっちが無理しているから我慢だろと
別の意味で取られるのも
こういうのが当たり前になったから

普通は完璧
完璧が普通
それらに省かれた レールから外れたら
周りの目は離れるか厳しくして孤独へ突き放す。

障害者が受け入れるとしたら
完璧にやれるかどうか。それを厳しく教育して、短所をなくしていく。
そうしないと、共存なんてできないと周りは思っている。

引きこもりが受け入れるかは
完璧に 人間関係も 耐えられるかも
精神障害があれば直してから出直せと突き放す。

再び 精神障害が起きてもおかしくない
でもなったらさらに差別に文句は言われる

・相手が嫌な思いをするならやらない。そう教えられた。けど実際は

ありがたい経験と思え これも経験だ これが現実
昔はこうだった
だから若者は頼りないし、情けない人間に生まれる
障害者も生まれるんだと差別する
(その時点で多様性を受け入れないよということでしょうね)
そして
嫌な思いではない こういう経験がないからダメな奴が生まれる。

嫌な思いってなんだろか
個人差もあるけど 言ったらどうなるか
すらも昔話のままなのか

いじめ 体罰に誹謗中傷 怒号に理不尽
耐えに耐えること
必要以上に耐えるとどうなるか

心が破壊されるぞ

生死をかけないといけないのか
死んだら称賛されるような世の中なのか

心が弱い人 弱者 障害を持っている人が死んだら
忘れていく 生きづらさを抱えても
その要因すらも隠して 隠蔽してなかったことに
美化されて違う意味でとらえてしまう。

生きるってなんだろうか


わからない

イライラ 怒り 誰かに文句言わないとやっていけない。
こっちもイライラして、それが伝染してイライラする。そして誹謗中傷・差別等が広がっていく。

思い通りにいかないなら押し付けや怒号してもその人には問題ない。
こっちに利益等に影響を及ぼすなら止める。
けど、別にいい人はスルーする。


やがて …

それは前回投稿(こちらです) 以前の投稿で色々と書いてます

お互い様っていうのは今ではこう思われているのかな。(個人的には)

こっちも大変なんだから我慢しろ。
こっちも我慢してんだから我慢しろ。
堪えられないの?”昔はな”で通っていく姿勢で大変な人には声は届かない(いや受け入れない)

こういうお互い様って、本当にお互い様なんですか。

これなら、お互い様が死語になっても仕方ないな。

・右向け右 それに従え。

従わない 周りと違う 普通じゃない 意見を言う
そういうやつは排除 差別 偏見をもつ

それらは小学生から何も言われなくても教えられます。
自然に 学校や地域で。

ゆとりが悪い たかがZ世代 だから平成生まれはダメなんだ
昭和が当たり前 昭和の教えが正解
耐えない若い世代が悪い。昔はなで通っていく。

それに押し殺させた人 孤独にさせた風潮
若い世代との共存すらもできない させない
年配が上なら正義なら悪いことも正義にさせる。


多様性とは
色んな共存するとは

否定ならいくらでもするのが取り柄になっていた。


これがコロナ禍で生み出した
ではなく
元々あった
それに苦しんでいた人もいたけどいない風に隠していた。
知らないフリしていた。


これを若い世代に受け継ぎたい?


やらないよ こんなの


過去のことから今一度引用すること

     2年前に投稿し、最後くらいに書いたことをもう一度載せます。

‣義務教育時代よく自殺や不登校しなかったなと思われたと思います。
 本音を言えば、小学校から自殺も不登校も考えたことはありました。それ以上に学校を辞めようと考えたことも。さすがに義務教育なので、それは難しいかったと。もし辞めたとしても、そんな理由で受け入れるわけがなく、転校先がなく辞めることが現実的に不可能な状況でした。

いいことしても広まらず、こっちにとって悪いことよくないことは一瞬で広がる。噂話に陰口、SNSでも(そのSNSは出始めの頃なのでその点はわかりませんが)
・真面目な人ほど、文句もなく無理な頼みでも引き受けることができる。
(それと、無理に引き受けて失敗してもこっちの責任はない。悪いのは引き受けたほうだ。)

・誰かがやることを待っている。誰かがやるだろう。
 あと、誰かがいくとそれについていく。その方が楽だから。(別にどっちでもいい、意見もないしなど。)

・こっちは忙しいんだ。そしてやれても文句は言う。なにがいけなかったのか。想像してみろ。しても分からない。任せると言ったのに。

 小中学校中心ではありますが、その後個人的な過去から感じたことです。その内今SNS上であってもおかしくないものもあります。まあ、こちらの学年そのものが荒れていてもおかしくないですね。私たちの代は(見た目はいいけど)
 昨今の事情で、陰口みたいなことが最近はSNS上になったりしているんではないかと個人的には思います。陰口のネタにやられる立場も大なり小なり経験はしていたので。やられたらその記録が一生残ることだってあります。
 昨今の事情だけではありません。学校の世界だと、いじめや体罰それも暴力だけではなく言葉のもあります。最悪の場合で自殺したケースも後も絶ちません。

 話を聞いてほしいという気持ち。先生いるだろ、友達がいるだろ。ではないと思います。話を聴いてくれる人がいるかどうか。最近は居場所も含めて対策はしている場合が地域にとって様々ですが・・・そういう環境もこれからは重要ではないのかなと。(私たちの世代も相談できる環境もですが、あっても・・・と思われがちと言われそうですが。)

 個人的には協調性がないやら、見た目は友達いんじゃんな感じでも実は孤独の状況で義務教育をやってきました。
(でも、話しかけてくれる人は数名いました。あと、任せ過ぎだと言ってくれる人もいました。がそれでも無理をしていたかな。) 

個人的な過去 補足説明から

この投稿はこちらです。

学校で耐えても、職場でも 相談でも

耐え続けることに変わりはありません。

SOSの出し方?教わったことはありません。


耐えることが当たり前のように


戦ってきました。

最後に

だからこそ

苦しかったら

逃げろ

自己肯定感をなくすな。
𠮟られること・怒号に耐えても自己嫌悪を持つな。

褒められたことは覚えて!
否定や文句だけで教えたことにはならないこと。

否定や文句ばかり受けていると

一生

それらに苦しんでいきます。

コロナ渦でそれどころじゃない
そう思われるかとおもいますが、

自殺でなくなったら
本当に、取り返しのつかないくらいことになります。

遺言書ではありませんが、先を見据えて予め書いておきます。

ツイートしたこと

余談ですが…

若い世代の親や先生含め大人は

こういう

理不尽で 利益優先や忖度まみれの世の中を臨んでいた のかな

耐えるかどうかをお手並み拝見として

誰かのSOSなんかは知らないフリ

嬉しい 楽しいことは罪だと

自粛して 否定に耐えること


今の世の中をもし望まれていたなら


自殺なんていくらでも増えるぞ


コロナ対策なら


人と会わない

一人で戦う


楽しい感情を殺して


それが本当にいいのかな


よくないけど


それしかないかな


ワクチンも3回やってる

マスクも熱中症覚悟でやってる


自分の心を身体を殺して

戦うのか正しい?


これを次の世代に持ち込みたくない。


楽しい 嬉しい

と感じるのは罪かな

そう思いたくなる 今の世の中です。


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