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ワールド・ワイルドな人生から、雪国のド田舎にしばらく留まることにした話

私は20ヶ国以上の国で過ごしてきたことで 

・マラリアで2回死にかけたり、
・大学院で死に物狂いで勉強していたら、緊急入院したり、
・20家族近くのホストファミリーと生活したり、と

視点はワールドワイド、
(性格は「マイルド」なのですが、)
人生の振れ幅は、かなり「ワイルド」。


そこから人生のテーマを

ワールド&ワイルド

なんですが、
現在は、人生の方向性を整えるために、

「ワールド&ワイルド」の対極にある、
新潟の雪深いド田舎に住んでいます!
(もう不穏な流れが…)



「たくさん海外経験してきている」

って聞くと、

アクティブの塊

なんて思った方もいるかもしれません。


でも実際は、

自分の殻に閉じこもって
どうしていいのかわからなかった
暗闇の時期や、

人目を気にしすぎて、
言いたいことを伝えられず
最終的に職を失ったこともあります。
(実は、ごく最近のことです。)



これからお伝えするのは 

20代の時に経験した、
ワールド&ワイルドな状況で
(おきまりの)
壁にぶち当たり、もがき続けたことで、
前向きな変化を遂げ、

しかし、その10数年後、
学歴もプライドも
オールリセットされ、

ワールド&ワイルドな生き方は
一旦お休みし、

ド田舎で、出直すことにした、
というお話です。


もしあなたが、

・なんか人生、パッとしなくて不安
・人生このままでいいのかな…
・なんとなくの人生やめたい
・一度きりの人生、面白く生きたい!
・自分らしい生き方を追求したい
・自分の天職見つけたい


と少しでも感じていらっしゃるなら、
ぜひ読み進めてみてください。

きっと、何かしらのヒントが見つけられるはずです。


主張しないと、あなたのことがわからない


2022年10月、
新しい時代のキャリア構築を考えるメディア
『Elephant Career』さんに
大学院時代のことをインタビューされました。

大学院生活は、ワールドワイドで、
ハードな生活でした。


このインタビューの冒頭にも
書いていただいている、
この学校に通うきっかけになった話は、

私にとって、
人生のターニングポイントでもあります。

このターニングポイント、今となっては、
本当にすばらしい経験だ!と
思えるようになったのですが、

そんな気持ちになれるまでに
10年近くかかりました。


その経験とは、
2011年、Up with People (UWP)という
グローバル教育プログラムに
参加したことです。


22カ国から100人選抜され
1都市で、ボランティア、ホームステイ、
2時間のステージショーを行い、
翌週は別の都市にて、同じような活動を
6ヶ月間で18都市をやりきりました。


このプログラムは、ステージショーだけでなく、
1960年代から、今でいう
「ダイバーシティ教育」も展開していて

各国の参加者をグループに振り分け、
学び合う時間もあります。

私のグループ名の由来は
思い出せないのですが
(聞き取れなかっただけかもしれませんが)
Pirates(パイレーツ)でした。

グループ集合写真


確かあれは、UWP終了2週間前。

グループメンバー内で
全員に手紙を書くプログラムがありました。

私のチームは、ステージショーの
演奏チームと、メインのダンサーが
集まっていたこともあり、

「ステージ上のあなたはすごく輝いていた」

といった内容を、
一人一人にエピソードを添えて、
手紙を渡しました。



私ももらった手紙に対して、

「どんなメッセージを書いてくれたのかな?」

期待半分、不安半分で、
手紙を読み始めましたが…

一枚、二枚、三枚…

だんだんと、読むのが
辛くなってきました。

理由は、グループメンバー12人中8人から
以下の趣旨の手紙をもらったからです。


「もっと発言した方がいいよ。
そうじゃないとあなたのことわからない。」

現物のコピー


ちなみに、今読み返すと
「みんなめっちゃええこと書いてるやん!」と
思います。


でも当時は、
「最後くらいは、有終の美を飾りたい。」
と期待していたのに、

グループの過半数から、
「あなたのことがわからない」
という内容のメッセージを受取ったので、

「これ、サヨナラ言う時のお土産か…?」

と落ち込み、
メンバーの温かい気持ちまで
感じる取ることはできませんでした。


「私、半年間なにやってきてたんやろ。」


いくつかのいい思い出までも、
黒く塗りつぶされた気持ちになって
プログラムは終了。


その後、心がざわつくことなく、
手紙を読めるようになったのは、

別の場所でも、苦い思い出を積み重ねて
「すべては思い通りにいかないこと」を
思い知り、

そんな思い出を、自分に都合よく、
解釈できる力を得られてからでした。


次の章からは、その解釈力を駆使して
克された思い出だった
UWPからの学びをお伝えします。


私の「輝ける場所」の探し方


私たちはプログラム期間中、ほぼ毎週、
ステージショーをしていました。

このショー、
プロ級のライトや音響は、UWPの自前で
私たち一座と一緒にトレーラーで移動し、

振付けは、プロの振付師と
ステージマネージャーが考案する、
本格的なものです。

メキシコのある都市での準備


その街の大ホールで
パフォーマンスをすることもあれば、

写真にあるような、
野外の特設ステージでライブ、

時に、大学アメフトのハーフタイムに
出演させてもらったり…

当時は全くそんな気分では
ありませんでしたが、

平日は修学旅行、
週末はライブパフォーマンス。

「人生、こんな時間を過ごす時期もあるんだ」
と感じた半年間でした。


その半年間のメンバー、100人のうち
アジアからの参加者は、私含めて
日本人4人、中国人3人だけ。

大半は、北アメリカと、
ヨーロッパからの参加者だったので、

「多様性」
をアピールするショーの上で、
アジア人は、何かと役割があったんです。


私はグループ活動や、
全体でのアクティビティでは

存在を発揮することができず、
自己効用感、ダダ下がりでしたが、

ショーの上では、必ず
スポットライトを浴びる
瞬間がありました。

道具箱に入って登場、日本人4人(リハ中)

そのような経験から、
こう感じるようになりました。


マイノリティであることが
「強み」に変わることもある。


ひねくれた解釈ですね…(ボソっ)

さて、気を取り直して
私は、この解釈を確立してからは

「王道では輝けない
人間かもしれないけれど、

自分と同じような人間が
いない場所に行って、
私が『輝ける場所』を
作ればいいんだ!


と、思うようになりました。


このように気づいてからは、一層、
ワールド・ワイルドな人生へと
加速し始めました。


以下に、選んできた道を挙げておきます。

・正社員オファーをお断りして、ミャンマーで社会人インターン
・日本人がほとんどいない、日本の大学院に進学
・インドの現地採用で、男性80人の工場で紅一点で就業

日本人とインド人との語学の橋渡し、紅一点時代

我ながら、ユニークな経歴であると思います。

しかし、ここで企業の人事の方がいたら
こう思うかもしれません。

「年齢いってる割に、年相応の経験が薄い。」



そうなんです。

年齢が上がるほど、企業は
その道の即戦力が欲しいので、

ちょっと変わった経歴なんて、
転職には全く使えないのです。


まともな企業であるほど、
変わりすぎた経歴の持ち主は
敬遠しますよね。


そんな一貫性のない
キャリアに悩んでいた2021年の冬。

突然、

「会社員的な時間割で、
個人事業主として働かないか?」

と、長年の友人であり、
女性経営者の友人から連絡がありました。


何やら、
「セールスライターを育てて、内製化したい。」
とのこと。


せーるすらいたー?
営業ライター??
営業しながらライターってできんの?

と、心の中で思いました。



この話をもらった当時は、
歩んできたキャリアに
自信を持てなかったから、

一言で自分が「何者なのか」を
語れる言葉も欲しかった。

それに、
「文章は、大学院で
散々レポートも論文も書いたし、
まぁ、大丈夫っしょ。」

と、全く異なる分野の文章の経験をもって
「文章力には問題ない」と過信する始末。



結果、
「セールスライターになります」
と、二つ返事で

友人の住む新潟の片田舎に移住しました。


ど田舎に人生のコマを進めたので、
これからの話は、ワールド・ワイルド
真逆の方向に進んでいきます。


男なし、貯金なし、40手前で失業した高学歴フリーランス女子



2022年4月に移住しましたが、
11月に担当していた事業の閉鎖が決まり、
年末に完全失業しました。

この章のタイトルは、
忘年会の時に拝命したものです。

そして、このポジショニングで、
もうすぐ発信していきますので、
応援よろしくお願いします。


さて、話を事業の閉鎖に戻します。
閉鎖の理由は、諸説ありますが、

私のライティング力不足で
目標金額を達成できなかったことが
大きな要因だと思っています。


この敗因を作ってしまった理由を
1つ挙げると、

「自分をよく見せたい」

エゴが勝り、
心通った信頼関係を、
友人でもある経営者と
構築できなかったことです。


私は従業員ではなく、
個人事業主なのだから、

本来なら、対等な感覚で、
ぐいぐい質問や提案をすべきでした。

でも、

・ライティング初心者だし…
・お金をいただいている身だし…
・大学院まで出てて、できない人って思われたくない
・忙しそうだし、機嫌損ねないために相談は後にしよう


相手のことや優先順位を
客観的に認識することよりも、
自己保身して、
傷つかないようにしていました。


こんなマインドだったので、
事業閉鎖前は、
友人の旦那様を介在しないと
話せない状況にまでなっていました。



そして、迎えた出勤最終日。
はなむけの言葉として送られたのは


「あなたは全てにおいて素人。
 何もできないと思って、プライドを捨て
 仕事を選ばず、取り組んだ方がいい。」


友人から
「できない人」
認定を受けていることを
正面切って、認めざるを得ない瞬間でした。


こんな時いつもなら、
苦しい気持ちを
切り替えるために

とっとと別の「輝ける場所」を
探しに行くのですが、

今回はしばらく
踏みとどまることにしました。


理由は「セールスライティング」を
深めたくなったからです。


セールスライティングは社会を救う?


2022年10月、
例の友人が書いた、1枚のセールスレターが
拡散されて、

結果的にお米6.5トンの食糧ロスを
防ぐことができました。


この出来事は、
ロスをなくしただけでなく、

食の安全を守るために、
有機肥料・無農薬という
難しい農法を貫く農家さんの
食いぶちを確保し、

安全・安心なものを食べたい人たちに
普段の流通なら手に入らない、
貴重なお米を届けることができました。

レター1枚の影響力、ハンパない…


レターを書いた友人は、
別の機会に
セールスライティングのスキルについて、
以下のように語っています。

人々や世の中に本当に伝わらなきゃいけない情報を、必要な人に届けられる力


私はこの時まで

「社会の課題を解決できる人間になりたい!」

と思って世界中を回り、
労働力を提供してきました。

もちろん、この経験は宝物です。

ただ、この1枚の文章が
与えたインパクトに比べると
私の経験なんて、屁…


くやしい。

この米騒動があったせいで、
その2ヶ月後に、
突然の失業者となっても

「やれることは、全部やる」
「セールスライティングの力で、社会課題を解決する人になる!」

と、煮えたぎっております。

雪原の美しいド田舎で、
人生のやり直し、はじめました。


私がつくりたい未来


セールスライターになって、
世の中を見た時に、思ったことがあります。

世の中には、すばらしい思いを持って
作られたモノやサービスがある。

けれども、伝え方が下手で
その価値が十分に伝わっていない物事が
たくさんあるということ。


特に
「この人がもっと世の中に認知されたら、
助かる人が増えるんだろうなぁ…」

その道のエキスパートの先生たちの
コンテンツを
販売していたこともあって、
何度そう思ったことか。


私の強みは
「自分の輝ける場所」に鼻が効くこと。

このスキルを、
・伝えたいことが、うまく伝わらならない
・差別化をどうやっていいのかわからない
・どうブランディングしていいのかわからない


そんなお客様を、
輝ける場所にお連れします。


お客様が本当に見つけて欲しい人に、
見つけてもらえるために。


このようにして、
人と人とをつなげあわせて
つながりで社会を少しずつ温めていけば、

きっと、世界もちょっとずつよくなる。

そう信じています。

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